第17話 カーミラ家の系統

ところで賢明な読者はお気づきだと思うが、月の上で勢いよく走ってから転んだときに衝撃が地球の6分の1になるわけではない。重力ではなく走る勢いがそのまま反発力になるので普通に怪我するし、骨折する人もいる。


「痛い‥‥です」


6階の階段近くで、地面にぴったりうつぶせになったまま動かなくなったハンナを見下ろして、マーガレットは壁にもたれてため息をついた。これでも加減はしたほうなので、ハンナの体にできた痣(あざ)はそんなに多くない。服の下に隠れる程度だ。


「ハンナは尾行に向いてないのだ。帰るか?」

「あの‥わたくしは尾行ではなくて‥マーガレットさまを止めたくて‥」


ハンナはゆっくり起き上がって、ため息をついた。


「止める?なぜなのだ?」

「あのお二人は‥少なくとも生徒会長さまは、真剣にお付き合いになっているのです。それをこそこそ見るのは、失礼でございます‥‥もしわたくしがデート中に見られていたら、あまりいい気分ではないです‥‥」

「‥‥」

「好奇心や自分のために見るものでは、ございません‥‥あれはお二人のプライベートでございます」


ハンナはうつむき気味に、マーガレットから視線をそらしながら、小さい声で言いたいことを言った。


「‥‥それでもマーガレットは証拠を掴むのだ。マーガレットには信念があるのだ」

「‥‥わたくしが事情を知っています。すべて説明いたします。どうかここは‥抑えてくださいまし」


ハンナにしては、目つきがどことなく真剣だ。それを見たマーガレットは少し頭を抱えてから「分かったのだ」と小さくつぶやいた。


2人は、A〜G7つの館に囲まれた広大な中庭のフードコートまできて、グレープを持ってきて1つのテーブルに固まった。


「‥‥そうか。生徒会長とハンナがユマを取り合っているのか」

「はい。ユマさまはともかく、わたくしたちにとっては真剣な交際でございます」


それを聞いた後、マーガレットは食べかけのグレープをテーブルに置いて、小さい声で言った。


「どこまで真剣なのだ?」

「えっ?」


突拍子もない事を言われてハンナは一瞬面食らった。だが、心臓に拳を当てて宣言した。


「‥‥真剣さはこれから証明いたします。わたくしの行動で」

「そういうことではないのだ」


マーガレットはそう言うと、またアームパネルの画面を開いて、1枚の写真をハンナに見せた。学生証の写真だ。


「これは月に初めて来た日の夜に机の上に置いてあったユマの学生証なのだ。よく見てみろ」

「‥‥どこも変わっていないように見えますが」

「名前のところを見てみるのだ」

「‥‥あっ」


ハンナが思わず息をついたのを見て、マーガレットは写真の一部分を指差した。


「そうなのだ。名前が変わっているのだ。ユマ・クィンティンに」

「‥‥」

「妙に引っかかって、マーガレットなりに調べてみたのだ。まだ2日しか調べてないから確証は持てないが、ユマの元々の名前はユマ・カーミラ。カーミラの姓は、2000年前に伝説の聖女アリサ・ハン・テスペルクの弟子になったとされる人物と一致するのだ」

「そんな大げさな‥‥名前がかぶることはよくあることでございます」


ハンナが反論するが、マーガレットは首を振った。


「事実、ユマは学年1位の魔力を持っているのだ」

「は、はい、それはそうでございます」

「もし、ユマにはさらにそれを上回る力が隠されているとしたら?」

「あの、身を乗り出さないでください、近いです‥」

「もし、生徒会長がユマの力を何かに利用しようとしているとしたら?」

「ち、近いです‥‥」

「‥‥とまあ、これがマーガレットの推測なのだ」


マーガレットはテーブルから乗り出した身を戻して、もう一度グレープに手をかけた。


「ハンナ、お前に野望がないのは分かるのだ。だが、生徒会長は学園中だけでなく、訓練の成績を見る限り、学生でありながらベテラン軍人すら凌駕するほどの技力を持っていると評価されているのだ」

「そこまで強いとは、初耳でございます‥」

「だろうな、マーガレットが独自に集めた資料にそう書いてあったのだ」

「そ、それは危険でございます‥」


そこでマーガレットはグレープからいちごを一個取り出して口に入れ、汚れた指をぺろりと舐めると、続けた。


「もし、ユマが世紀を変えるほどの力を持っていて、あの生徒会長がユマの力を利用したら‥‥下手すれば2人の乗ったメイジ1つが、1万のメイジの大軍や1つの惑星に匹敵するのだ」

「それは考えすぎでございます」


ハンナが即答で反論したが、マーガレットは目を閉じた。


「マーガレットの野生の勘がそう言っているのだ」

「マーガレットさま‥‥」

「たとえ信じてもらえなくても、マーガレットは独自に調べるのだ」

「あ、あまり危険なことはなさらないでくださいまし‥‥」


震え声でそう言うハンナを見下ろして、マーガレットは立ち上がった。


「マーガレットは他にもやることがあるのだ。ハンナはどうする?このまま帰るか?」

「はい‥‥」

「分かったのだ」


マーガレットはグレープを全部口の中に詰め込んでしばらくもくもく食べて飲み終わってから、ハンナの耳にささやいた。


「必ずユマをお前のものにするのだ。世界平和のためにも、生徒会長にとられてはいけないのだ」

「ですから、大げさでございます‥‥」

「大げさではないのだ」


マーガレットはそう一方的に反論して、そのまま人混みの中に消えてしまった。

テーブルに1人残されたハンナは呆然とした顔で、その後姿を見届けるしかできなかった。


◆ ◆ ◆


私とカタリナはコクピットを出て、浮遊の魔法でゆっくり地面へ降り立った。やはりといえばやはりだが、私達の周りには人だかりができている。ここで私は少しの羞恥心を感じたが、カタリナは私の手を優しく握ってくる。


「行こうか、ユマ」

「うん、お姉さん!」


カタリナとの関係性をことざら強調するように、お姉さんのところを少し大きめの声でしゃべった。まず鍵を返さなければいけない。人混みをかき分けようとしたとき、子供の泣き声が聞こえた。


「ママ、ボクもあれに乗りたい!」


小さい子供があれを見れば滾(たぎ)るのは必然だろう。しかしメイジの中には軍事機密も多く、まだ学園にすら入っておらず機密について教育を受けていない児童にうかつに見せていいものではないだろう。そう思ったが、カタリナはその子供に手を伸ばした。


「おいで、乗ろう」

「あっ、すみません」


隣りにいた母親が申し訳なさそうにカタリナに頭を下げた。子供が笑顔をみせてカタリナの手を握ると、カタリナはその体を持ち上げた。


「ユマ、もう一回魔法かけて」

「で、でも‥」


私はためらった。というのも、周りには他にも子供がいるのだ。そしてみな、私達に羨望の視線を送っている。


「他にも子供が集まっているんだけど‥‥全員乗せるの?」

「あっ」


私にそう言われて、カタリナは周りを見回した。そして状況を把握したのか、子供をゆっくり地面におろした。


「ごめんね、やっぱりなし」

「うう‥うわーん!!」


子供は涙を流し始めた。すぐに母親が駆け寄ってきて、何度もべこべことカタリナに頭を下げた。カタリナも申し訳なさそうに数回頭を下げたが、それでもひとつ何かを思いついたのか、私を振り向いた。


「ユマ、全員を乗せるわけにはいかないけど、浮遊の魔法で遊べる?」

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