第14話 予定を変更した
「‥で、レズっていう単語はどこから出てきたのかな?」
5階の部屋に連れられ、ベッドに座ったハンナとマーガレットに、セレナが机の椅子に座って尋ねた。すぐ隣にはカタリナのスペースがある。
隣のハンナが不安げに背中を曲げているのを気づいているのか、気づいてないのか、マーガレットは遠慮もなく返した。
「今朝の食事で、ハンナがユマの頬を舐めていたのだ」
「‥えっ?」
セレナは微妙に大げさに反応した。隣のハンナはうつむいて黙ったままだ。
「そのあと、生徒会長がやってきて、ユマの隣に座ったのだ。ハンナとユマを取り合いしているように見えたのだ」
「‥っ」
図星だったのか、ハンナは顔を上げてマーガレットを見た。まるで探偵気取りかのように、双眼は鋭く、ぎょとんとした顔をしたハンナを捉えていた。
「‥それがどうしたの?ただの行き過ぎた関係かもしれないじゃん」
セレナが顔をしかめて言って、椅子から立ち上がって仁王立ちした。一方のハンナはまたうつむいて、体に熱を溜めていた。
するとマーガレットは、左手の甲に右手のひらをかざした。すぐに左の手首が光って、そこから空中に画面が現れた。アームパネルという、昔に存在した腕時計と呼ばれたものと、コンピュータを魔法で融合させた技術だ。今はまだ高価で、持っている人はあまりいない。普通の人はスマートコンという、薄い四角形のパネルのようなものを使っている。
マーガレットはアームパネルを少し操作して、一冊の本の写真を映し出した。そのピンクの本を見た瞬間、ハンナは「‥っ」とまた舌を噛んだ。
『おんなのこのきもち』
昨日買ってきた、百合やレズの初心者のために書かれた本だ。マーガレットはそのパネルをセレナに向けてみせた後、言った。
「昨日、ユマが読んでいた。ユマの机の上に置きっぱなしにしていたところを撮ったのだ」
本来どこかに隠すべき本ではあるが、百合やレズを理解していないユマはそのようなことを考えていなかった。机の上に置きっぱなしにしても問題はないと思ったのである。
「ユマは、ハンナと生徒会長に挟み撃ちにされて、困惑していたのではないか?」
マーガレットが問い詰めるようにセレナに聞いた。セレナはしばらく顔をしかめた後、「はぁ」とため息をついてベッドに座った。
「それは君の推測だよね?その本を読んでいたからって、百合に関わったとは限らないじゃん」
「でも‥」
「証拠が足りないのよ、証拠が」
そう言ってセレナが足を組むと、マーガレットはアームパネルを消して少しベッドの模様を眺めて、それから言った。
「分かったのだ。証拠を集めるのだ」
「えっ?」
「ユマと生徒会長の行き先は分かっているのだ」
セレナが目を見開いて何か言おうとしたのと同時にマーガレットはベッドから立ち上がって、走って部屋を出た。
「あっ、お待ち下さい、マーガレットさま!」
ハンナが慌ててその後を追いかけた。
部屋に1人になってしまったセレナは、ベッドから立ち上がった。顔からは少し汗が出ていた。嫌な予感がした。
慌てるように机の引き出しにしまっていたスマートコンを取り出して、カタリナに電話をかけた。
◆ ◆ ◆
私はカタリナに連れられて、大きな複合商業施設へ向かった。この地域では随一の規模を誇っていて、何より学園から歩いて30分ほどの距離にある。バスを使うこともできるのだが、地球の重力に慣れていれば、これほどの距離は歩いたほうが気軽だろう。
月の町並みは、思った以上に地球と似通っていた。月も気候条件が地球と大きく違うわけではない。月の四季は、地球のような地軸の傾きというよりは、むしろ一周に1ヶ月もかかる自転によって発生する。地球でいう未明早朝は冬、午前は春、午後は夏、夜は秋のような感じだ。以前は夜間と日中の気温差が著しかったが、先人による魔法などの努力で改善されている。ここは緯度が高くもなく低くもなく、夏の暑さも冬の寒さもマイルドになっている。地球の温帯に位置する土地に建つような造りの家が多い。色とりどりの屋根に、ベランダがあったりなかったり、テラスがあったりなかったり、敷地面積こそ画一的であるものの個性ある家が並んでいる。ただ植物は、頻繁に季節が変わるだけあって地球にはないものが多く、そうでないものでも気候を自在に管理できる保護ドームの中に入れられている。四季が1ヶ月で一周するため、地球の植物をそのまま持ってくるとすぐ枯れるのだ。
地球と同じようで、所々違っている町並みを、私はカタリナの説明を受けながら眺めていた。これだけでも観光の価値はあるというものだ。
ミューザと書かれた看板が出てきた。これが複合商業施設の名前らしい。アユミやノイカと行ったところより遥かに大きく、外観を見る限りではとても1日で見回れそうな規模ではない。同時に、学園の位置するところは月の中でも大きな都市の郊外であることを感じさせる。
「映画館はB館の8階よ」
カタリナはるんるんと鼻歌を歌いながら歩いた。私も慌ててカタリナの後を追った。
「えっと、B館ってどこ?」
「ここがE館だから、ちょうど反対側ね。中庭をまたぐわよ」
「分かった」
中庭はフードコートの一部になっていて、日差しと植物に囲まれて、多くの客がテーブルに座って食事していた。「後でここで食べよう」とカタリナが言ったので、私はうなずいた。それを通り抜けて、私達はB館に入った。
B館のエントランスに入ったところで、カタリナのかばんの中のスマートコンが鳴った。それを取り出したカタリナは、画面を見るなり眉をひそめて私に言った。
「ごめん、電話。ちょっと待ってくれる?」
「分かった」
私は壁にもたれて、カタリナの電話を待った。カタリナは特に場所を移動せず、私のすぐ隣で電話している。
「‥えっ?」
電話をしているカタリナがどこか困惑したような表情を浮かべている。
「それ本当?本当なの?セレナ。‥‥困ったわ。わたし、映画に行くって言っちゃったから、そのことを言ってるのかしら。このあたりで大きな映画館ってここしかないのよ。‥‥うん、‥‥うん」
映画に行くことについて何かを相談している様子だ。何があったのだろうか。
電話を終えてスマートコンをかばんにしまったカタリナは、小さい声で私に言った。
「この周りに、ユマの知り合いはいない?」
私は周りを注意深く見回した。人が多いのだ。周りを行き来する1人1人の顔や素振りを確認したが、そのような人影はない。
「‥いないかな」
「よし」
そう言うと、カタリナはまた私の手を握った。
「映画は中止よ」
「えっ?」
「代わりに‥ゲームセンターで遊ぶ?」
「うん、いいよ」
突然のことで何がなんだか分からなかったのだが、さっきの電話が関係しているのだろうか。事情が変わった様子だ。
ゲームセンターはC館の3階から8階まで、とても広大だ。ゲームセンターというとクレーンゲームやレースゲームなどが多く置かれている印象だが、このミューザではとにかく規模が違った。クレーンゲームなど優しいもので、屋内なのにゴーカートがあったり、ジェットコースターがあったり。さすがに屋外の本場の遊園地と規模は違うものの、ミニ遊園地の様相を呈している。
ということを3階の壁に貼ってあったエリアマップで知ったのだが、カタリナは私を3階のクレーンゲームのところへ連れて行った。
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