第10話 姉が出迎えてくれた

デパートから出た後も私は意識してハンナと距離を置いて、アユミからもらったレジ袋を軽くつまむように持って、ハンナの反対側に顔を向けていた。

ハンナ。私の同級生で、白髪ロング、碧眼の少女だ。学園で初めて出会ったとは思えないほど私にはなじみやすかった。人見知りで1年生の時はずっとひとりぽっとだったので、それを横から見てかわいそうだと思った。2年生の時に初めてハンナに声をかけた。ハンナは初めは警戒していたが、次第に嬉しそうな顔をして、私と話してくれたり、私のそばにいてくれたりするようになった。私には他にも友達がいたが、なぜかハンナと一緒にいると落ち着くのだ。ハンナはずっと私のために優しく尽くしてくれるし、ハンナの作ってくれるお菓子はとてもおいしくて心が安らぐものだった。

そんなハンナが私に恋心を抱いていたというのは、にわかには信じがたいものだ。だが友達である以上、無下な扱いをすることもできない。私はこれからのハンナとどうやって付き合っていけばいいのか、決めかねていた。

恋人とは、友達と何がどう違うのだろうか。友達同士ではやらないような特別なこともするのだろうか。私が他の女の子と友達として2人で遊びに行くようなことがあったら嫉妬されるのだろうか。男女の付き合いであれば気持ちは分かる。でも今回は女同士だ。気持ちがわかるとはにわかに言い難いし、仮に男女関係がそのまま女同士の関係にも当てはまると言われてもピンとこない。

やはり最初にカタリナに告白された時に断るべきだったのだろうか、と私は本の入ったレジ袋をぎゅっと握りながら思った。


「ユマ」


聞き慣れた声がしたので、私ははっとしてその声の主を見た。

女子寮の玄関前に立っていた美しい金髪の少女は、間違いなく私の姉カタリナだった。


「お姉さ‥‥カタリナ生徒会長」


私は他人行儀で何歩か進み出て、後輩らしく丁寧にお辞儀する。


「お呼びでしょうか?」

「ううん、ちょっと顔を見たいなと思っただけ」


そう言ってカタリナは私の近くまで歩いてきた。本来ならカタリナが抱いてくる距離感なのだが、カタリナは抱いてこなかった。ただ、結構近くまで来たので、カタリナの汗の匂いがなんとなく伝わってきた。汗は臭いもののはずなのだが、このときのカタリナのそれはまるで香水のように、私のフェロモンを刺激してきているような気がした。私は、自分が自然とカタリナの頬を見つめている気がしたので、思わず視線をそらした。


「カタリナ生徒会長」


アユミ、ノイカ、ハンナも姿勢を正して、新8年生の先輩に失礼がないようにした。


「4人でお出かけ?」


カタリナがいつになく寂しそうな顔をしていたのだが、私はカタリナの心境が読み取れなくて、あっさり「はい」と答えた。


「‥‥そう。そうなんだ‥‥」


カタリナはどこかショックを受けたような様子だった。


「大丈夫ですか?」


私が尋ねると、カタリナは少しの沈黙を置いて「大丈夫よ」と言うと、今度はアユミを向いて尋ねた。


「今日はどこに行ったの?」

「はい、デパートに連れていきました」

「そう。映画館とは反対の方向ね」


カタリナは少し機嫌を戻したのか、少しずつ声が微妙に大きくなっているのが至近距離の私には分かった。


「‥アユミ、わたし、ユマと2人で話したいけど、借りていい?」

「はい、わかりました、どうぞ」


アユミが応答するとカタリナは、「一緒に来てくれる」と私に尋ねた。

私が「はい」と答えかけたその矢先に、ハンナがまたふさわしくないほどの大声で、意を決したように叫んだ。


「カタリナ生徒会長」

「あら、あなたは確かハンナね」

「はい。ハンナです。お久しぶりです。わたくしも、カタリナ生徒会長と2人でお話したいことがございます」


その人見知りで寡黙なハンナの真剣な表情から何かを感じ取ったのか、うなずいた。


「後で部屋で待っているわ」


ハンナとカタリナが話す内容は、私でも分かった。交渉だ。ただ、ハンナは気弱で押しに弱い。2人きりにさせると、ハンナが完敗することは明らかだ。ハンナもかなり無茶をしているのだろうか、額から汗がにじみ出ているのが見えた。


「ハンナ。私も入れて3人で話さない?」


気がつくと私はそう言っていた。


「ユマさま‥」


ハンナも無理している自覚はあったようで、ちらっと私に目線をやった。それからうつむき気味で、小さい声で言った。


「‥ユマさまも含めて3人で、どうですか?」

「‥‥分かったわ。長い話になりそうね。今から来れるかしら?」

「はい」


ハンナは即答した。


◆ ◆ ◆


特殊なガラスが使われている寮の廊下は薄暗かった。外は空が真っ青なきれいな昼だったので気づかなかったのだが、今は地球でいえばもう夕方らしい。月で外に出る時はこまめに時計を見なければいけないものだ。

私とハンナは、カタリナに連れられて5階の部屋に来た。


「くあーっ、また負けた―!‥‥ん?」


部屋では、セレナが友達を連れてカードゲームをしていた。セレナは、カタリナの後ろに私の顔があるのに気づくと、友達に「部屋変えよう」と言った。友達と一緒に部屋を出ていくセレナにカタリナが「悪いね」と言うと、セレナは「えへへっ、しっかりしなよ」と応じた。


「‥‥あれ、キミは?」


セレナが私の後ろに立っているハンナの存在に気づいたようで不審そうに尋ねた。


「私の友達のハンナと言います」

「ハンナでございます。よろしくお願いします」


私が紹介するとハンナは丁寧に頭を下げた。


「ウチはセレナ、よろしくね」


セレナはそう言うと、そのまま友達と一緒に部屋を出ていってしまった。

代わりに入った私とハンナは、カタリナに誘われて、ベッドに並んで座った。カタリナ、私、ハンナの順で、私が真ん中だ。


「それで、話って何?」


カタリナがにっこりと、やわらかそうな口調でハンナに尋ねた。


「はい、その‥」


ハンナは、さっきまでの威勢が感じられないほどにどもってしまっていた。かといって私がハンナを応援すると話がややこしくなりそうだし、私はなかなか手を出せなかった。


「ハンナ、頑張って」


私の代わりにカタリナがエールを送ってくれた。私はカタリナを止めようとも思ったが、正直自分はどうすればいいか分からなかった。


「‥‥カタリナ生徒会長、ユマさまのことでお話があります」


ハンナが意を決したように、今度はきちんと言葉をつなげて、カタリナの目を見た。ハンナはやればできる子だ。


「うん、何?」

「わたくし、ハンナは、ユマさまのことが恋人として好きです」


改めて聞いても女同士の恋愛は意味がわからないのだが、緊張感が伝わってきた。


「‥‥それ、ユマとは話したのかな?」

「はい。デパートのトイレで告白いたしました」

「それで、ユマはどう答えたの?」

「途中でアユミ先輩が来たので話はそこで取りやめになりました」

「そう」


最初は優しくしていたカタリナの声が少しずつ怒りで昂ぶってきているのを感じた。


「カタリナ生徒会長に相談したいのですが」

「何?」

「カタリナ生徒会長がユマさまに百合を教えるとお聞きしましたが、それにわたくしも参加させていただこうと思います。ユマさまは、まだカタリナ生徒会長に恋をしているわけではございませんので、倫理的に問題はないはずです」


形の上で一応付き合っているので、体裁を考えると問題はあると思ったのだが、深くつっこまないことにした。


「カタリナ生徒会長が何と言おうと、わたくしはユマさまが百合を理解するまで、そばにいて寄り添ってあげて、わたくしのものにしたいと思います」

「あはは、それ、相談じゃなくて宣言だよね?」


カタリナは乾いた笑い声をあげた。

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