第2話 寮に来た
月といっても、水がない、空気がないというのは大昔の話だ。魔法で宇宙空間に存在する水素と酸素を組み合わせ、塩素とナトリウムを合わせ、他にも金、炭素など様々な混合物を添えて海を作り、同じように酸素と炭素、窒素などを混ぜ合わせて空気を作った。重力が異なることを除いては、ほぼ地球と同じようなものだ。大気圏に突入するときの摩擦ももちろんある。
月の1日は、地球の27日に相当する。つまり、半月かけて昼になって、半月かけて夜になる。今日は8月中旬なので、太陽が昼の位置にたって月面を照らしている。大気があり、魔法で保護された層もあるので気温の変化は軽減されている。とはいえ、寝ているときも外はずっと昼のままというのは、しばらく期間がないと慣れるのは難しそうだ。
私たちは列を作って、観客の声に応えるように、教官に連れられてロードを歩く。
この先輩たちの様子を見て、私の全身がむすむすくすぐったくなってくる。5〜7年生たちが出迎える中には、生徒会長もいるはずだ。
月キャンパスにいる生徒会長は、カタリナだ。何度もメールでやり取りしているから、カタリナが生徒会長に就任したことを私は知っている。やっとカタリナに会える。小さい時に、学園で1年生の時に、姉として先輩として私を世話してくれたあのカタリナだ。
カタリナは背が高くて、ショートの私と違って金髪ロングで、青い済んだ目をして周りを癒やしてくれる。私は自然と周囲に金髪の人がいないか探してしまう。
「生徒会長もこの中におられるのでしょうか。久しぶりの姉ですね」
船内ではまとめないと各方向へ散らばっていたハンナの白い長髪も、月の重力には負けてふわふわと下へ垂れ下がっている。ハンナももちろん、私とカタリナの関係を知っている。
「うん、ずっと待ち遠しかったんだよ、お姉さんと一緒に学校へ通える日」
「羨ましいです。わたくしはひとり子ですので」
ハンナは静かに、淋しげに目を伏せた。ハンナはこういう子なので、私や周りの人たちが支えてあげなければいけない。厳しい人は、この時点で軍人としてどうなのと文句を言ってくるが、軍人といったって前線に出るだけでなく後方支援や事務の仕事もあるし、ハンナならそれを問題なくこなせるだろう。それに私にとってハンナは友達なのだ。
私はハンナの手を握ってあげた。ハンナはしばらく手を引っ込めようとしていたが、私が強い力で握るとハンナは何も言わず私の手を握り返してくれた。
ふと、列の一番前を歩いていたノクタン教官が立ち止まったので、生徒たちも同時にたち止まる。
「この人が、月キャンパスの生徒会長、カタリナ・クィンティンだ。挨拶しろ」
私たちは列の中腹のほうなので前はよく見えないが、列の先にカタリナがいるらしい。私は心臓が高鳴ってきた。カタリナと前に会ったのは去年の学園祭のときだ。半年ぶりに、やっと半年ぶりに、憧れの姉に会える。
私の魔法の成績は学年1位ながらも2位と大きい差をつけたわけではないが、姉カタリナは低学年のときから先輩の誰よりも優秀な成績をおさめてきた。魔法ではなく、技法だ。技法とは、様々な機械を扱う能力、そしてロボットの操縦力だ。これに関して姉は他の追随を許さない。先輩からの信頼も厚く、同級生からはもてはやされた。義理の妹である私も、姉のことを誇らしく思っているし、姉の立場を羨ましいとも思っているし、密かな目標だ。カタリナが生徒会長となったのも無理のない話である。
列の前にいる生徒たちが1人1人、カタリナと握手している。姉にはたまのイベントで会えるし頻繁にメールのやり取りをしているとはいえ、やはり憧れの人は憧れの人だ。緊張する。私の手がカタリナに握られるかと思うと胸が昂ぶってくる。
前の人達の頭の隙間から、カタリナの顔が見える。笑顔で1人1人に挨拶している。
順番的にはハンナが私より先なのだが、ハンナは私の目を見て、それから一歩下がった。ここまでしなくていいのにと思いつつ、私はハンナの前に行った。
前の人が終わって、私の番だ。目の前に、憧れのカタリナがいる。きれいな服だけでなく、間近で見るナチュラルメイク、髪の毛の匂い、日光を照らす金髪、そしてそのにこやかな瞳、何もかもが初めて会ったときのように新鮮で、むず痒い。
「久しぶりだね、お姉さん」
私はそう言って手を伸ばしたが、カタリナは態度を一変させた。
「ユマ」
「はい‥?」
さっきまで他の人に見せていた笑顔とは一変して、かなり真剣で、何かを叱りつけるときの表情をしていた。私はびっくりして肩をすくめてしまった。
「馴れ馴れしく呼ぶのはやめなさい」
その一言で私は目を丸くして、魂が抜けたように白くなって、姉の前から動けなかった。
「ユマさま、後ろがつかえております‥」
ハンナが小さい声で囁いてきたので、私はびくっと肩を揺らした後、「‥‥はい」と力なくつぶやいて、握手もせずにその場から歩き去ろうとした。
その時、カタリナが急に私の肩を触って、耳に顔を近づけて、かろうじて聞き取れるほどの声で指示してきた。
「今夜、私の部屋に来なさい」
「‥‥はい」
私は元気になっていいのかどうか分からなかったけれど、周りには見えないくらい小さくうなずいた。
◆ ◆ ◆
メグワール学園には寮が用意されている。家族が月に住んでいるのならば生徒もそこへ住むことはできるのだが、そもそも月は地球より遥かに小さく、表面積もかなり狭い。月に家族が住む生徒の数もたかだか知れているし、事実上の全寮制と言っても差し支えはない。それでも学園に通っている間に親が月へ引っ越してくるケースもゼロではない。
私が義理の妹として住まわせているクィンティン家もご多分にもれず、実家は地球にある。カタリナも私も寮に住むことになる。寮は男、女の2つで建物が分かれていて、私たち新5年生は寮の1階の一部と2階の部屋を使う。
1つの部屋の定員は4人で、私は2階にある206という部屋を割り当てられた。4年生の春休みは1ヶ月間あるが、2週間を地球で過ごし、そしてこれからの2週間を月で過ごすわけだ。
部屋の中には、4つのベッド、タンスと学習机が置かれていて、部屋の中央にはいくつものダンボールの箱が置いてあった。4人分の荷物というだけあり、箱の数も大きさもすごい。もっとも月は重力が6分の1なので、持ち上げること自体は楽なのだが、私はまだ地球の重力に慣れているから、重いものを持つと意識して力を入れて持ち上げようとすると、自分の体も浮き上がってしまう。慎重に持ち上げなければいけないのだ。といっても私は魔法で自分の体を重くすることができるから、それでなんとかバランスは取れる。
そうやって私が荷物の整理をしているところへ、1人の少女が部屋に入ってきた。ハンナだ。
「あっ、ハンナも同じ部屋?」
「はい。わたくしもこの部屋でございます」
ハンナはふわりと白い長髪をはためかせて、ゆっくり部屋に入ってきた。荷物の山を見て、ハンナは困った顔をして首を傾けた。
「これは‥どのベッドを誰が使うか、決めなくてはいけませんね」
「確かにそうだね。他の2人が揃うまで待とうか。その間に、4人分の荷物が混ざっているから整理して分けよっか」
「はい、そのとおりでございます」
ハンナは手荷物をドアのそばの床に置いて、私のところへやってきた。
私とハンナは荷物のラベルを1つ1つチェックする。
「あっ、このラベルの名前は‥」
私がそこまで言った時、部屋に青色のツインテールをぶらさげた少女が入ってきた。髪の毛が大きな黄色いリボンで結ばれているのが象徴的だ。そして、そのリボンに隠れて灰色の獣耳と、尻からは灰色の狼のようなしっぽが顔をのぞかせている。獣人なのだ。
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