第23話_別れ


 アルティナは軽い放心状態となって成り行きを眺めていた。今起こっていることが夢、それも現実感のともなわない悪夢のように感じられる。


 要塞の動力炉が爆発したことは指令室でも確認できた。自動的に予備の動力へ切り替わったものの、《箱船》の巨体を支えるだけの出力にはほど遠いようだ。ヴォーレン達はなんとか体勢を整えようとあらゆる努力を試みていた。「どこかに強制着陸を。動力炉が死んでも、兵器群とレーザー衛星さえ使えればなんとかなります」、ヴォーレンもさすがに緊張している。要塞内の警備用映像盤には侵入した魔術管理局と銃火を交える《ヴァール・シャインリッヒ》の面々の姿がうつっていた。人数や火器の性能では互角、その状況で要塞の動力炉が破壊されたというのは《ヴァール・シャインリッヒ》がわを浮き足立たせるのに充分だった。誰の目にも《ヴァール・シャインリッヒ》の劣勢は明らかだった。


 映像盤の一つにラーカイラムの姿が入った。流れこむ煙の中をものすごい勢いで駆けている。


(……ラーク?)


 それを見てアルティナはようやく我を取り戻した。レーザーの発射を食い止めることができなかったものの、ラーカイラムは無事だったのだ。


 ----ピーッ!


 突如奇妙な電子音が発され、すべての映像盤から映像が次々と消えていった。


(なに? なんなの?)


「現在ニオケルアラユル状況ヲ考慮シタ結果、本要塞ヲ保有シテイル側ノ勝率ハ五パーセント未満ト判断。シタガッテ、機密保持プログラム発動ノ条件ニ符合スルタメ、当プログラムヲ最優先命令トシテ実行シマス。

 ナオ、地表ヘノ到達ハオヨソ十分後。乗組員ハタダチニ脱出シテクダサイ」


 無機質な機械合成音声がはっきりと響きわたる。要塞のいたるところでそれは聞こえたはずだ。


「本要塞ノ破棄ニトモナイ、第三級以上ノ情報ヲ消去シマス」


 ヴォーレンの部下達がせわしく組体をいじる。しかし、どのような命令も要塞は受けつけなかった。要塞の機能を維持するためのプログラム、それもまた消去されたのだ。


「こんなことが!」


 ヴォーレンが血相を変え、壊すような勢いで手近な組体を操作する。


 アルティナの昔の記憶によれば、当時はこの要塞のすべてが最重要の国家機密とされていた。万が一この要塞が敵の手に落ちたことを想定して、このような措置を準備しておいたに違いない。このままではこの要塞は地面に激突してしまうだろう。


(それでもいいわ……)


 多くの人の命を奪うためだけの古代の遺産など存在するに値しない----それを司る自分も。


 アルティナは諦めと自責とがごちゃまぜになった、自暴自棄に似た想いにとらわれていた。


「最終手続キトシテ、『中枢人形』ノ持ツ全情報ヲ消去。制御部品ヲ破壊シマス」


『中枢人形』、それはアルティナのことを指していた。


 額を貫いていた光が強さを増し、脳の数か所が熱くなる。刹那、頭が破裂してしまいそうな痛みをアルティナは感じた。


 そのほんのわずかな瞬間に、アルティナの意識になにかしらの強い心が接触した。氷のような冷徹な意志。己れすら焦がす憎悪。そして、断末魔の叫び----


 それらは要塞の中枢の役目を果たしていた「もう一人の自分」の意識だった。


 造られた存在とはいえ、人間の心を完全に失っていたわけではなかった。殺戮のためだけに生みだされた己れを、そして、自分のような存在を許した世界を、あらゆるものを憎んでいた。


『誰』が悪いのではない。戦争を認める世界が、その世界を築いたすべての人々に責任がある。


 断末魔の叫びの中、一言も話したことのない彼女の悲痛な訴えがアルティナの心に楔を打ちこんだ。苦しんでいるのは自分だけではなかったのだ。


 額から流れ出している血が溶液に散っていく。光信号変換器が壊れた衝撃で皮膚が裂けたのだ。


 アルティナは顔を手で覆って泣いた。まるで古くからの親友が命を落としてしまったような、それも自分の責任で死なせてしまったような、悲しみと罪悪感に染まった想いをアルティナ抱いていた。身体の支配を取り戻すことができてもアルティナは嬉しくなかった。


「あたしも……逃げたら駄目なんだね……」


 このまま要塞と最期をともにしなければならない。それが当然のことだと思った。指令室のすぐ外で爆発が起こる。扉が吹き飛び、爆煙の中から人影がとびだしてきた。


**********


 大型の扉を手投げ弾で破壊したラーカイラムは指令室へ踊りこんだ。


 非常灯だけが照らす薄暗い室内には中心にガラス柱があり、そこにアルティナがうかんでいる。他に、あわてふためく者達が七、八人・・それらを瞬時に認め、ラーカイラムは激しい動きで、銃を撃ちまくった。一人だけ、仕留め損なった男がいた。ラーカイラムにすら負けない反応力と素早さで、数発の弾丸を見事にかわしたのだ。


 その男が《ヴァール・シャインリッヒ》の指導者ヴォーレンであることは一目でわかった。どう見ても優男だが、人の実力は外見からでは計り知れないものだ。


「なるほど……噂以上の方ですね。《黒い狼》とはよく言ったものです。今のあなたはまさしく獣のようですよ」

「気取ってんじゃねぇよ。てめぇが残るとは都合がいい。アルティナを、あの中から出してもらおうか。断わったり、おかしな真似しやがったらてめぇの眉間をぶち抜いてやる!」


 ラーカイラムはこみ上げてくる吐き気を抑えた。目はヴォーレンを見据えたままだ。


「残念ですが、あの支柱を操作することはもうできないのですよ。今のあれはただの人を閉じこめた機械の柩です」


 銃口をまっすぐに向けられても顔色ひとつ変えず、ヴォーレンは悪びたふうもみせなかった。


「そうかい。だったらくたばりな……」


 ためらいを殺し、ラーカイラムは引き金に力を加えた。が、吐き出された六発の銃弾を、ヴォーレンは最小限の動きでかわす。そして、ラーカイラムが弾丸を詰め替えるより早く、ヴォーレンの拳銃が引き抜かれる。


「ラーク!」


 アルティナの悲鳴が、機械を通したようなくぐもった声となって届いた。


 しかし、ヴォーレンは銃口をラーカイラムではなく、自分のこめかみに押しつけたのだった。


「なんのつもりだ!」

「我々の負けです。時代はまだ調和よりも争いを望んでいるようですね。ですが、あなた方の手によって裁かれるつもりはありません」


 ヴォーレンの冷ややかな笑みが銃声の直後にひきつり、ゆっくりと倒れていった。大勢の命を奪い去ったこの事件の首謀者にしてはあっけなさすぎる最期だった。


 互角以上にわたりあえたはずなのに、この男であれば無事に逃げおおせることができたかもしれないのに、何故自ら命を絶ったのか、ラーカイラムにはわからなかった。見つめる虚ろな瞳から逃れるようにしてラーカイラムはアルティナのほうへ視線をうつした。


「遅くなってすまねぇな。今すぐその中から出してやるぜ」


 柱の基部をどうにかすればなんとかなるだろう。ラーカイラムはそう考え、ガラス柱を支えている機械の塊に近寄った。


「あたしのことはいいから。ラークは早く脱出して、墜落までもう時間がないはずだから!」


 思いもよらない返事がきたので、

「なに言ってんだ。こんなもんすぐにぶっ壊してやる!」

 ラーカイラムは手投げ弾を炸烈させた。が、機械やガラスにはヒビひとつ入らない。他の手投げ弾で挑戦しても結果は同じだった。


「無理よ。これは硬度の高い材質でできているの、手投げ弾ぐらいじゃ壊れないわ」


 ガラス柱の中でアルティナが訴える。その声はガラスを通してではなく、なんらかの装置を介して他の場所から流れ出てきているようだ。


「ちくしょう! どうすりゃいいんだ」

「どうもしなくていいから、とにかくここから逃げて」

「ふざけんな。おまえをここに置き去りにして俺一人で逃げられるか!」


 アルティナを助けだす方法を必死になって考えるラーカイラムだったが、

「違うの、あたしはここにいないと駄目なの。この要塞と一緒に今の世界から消える必要があるのよ!」

 アルティナの強い口調に耳を疑った。


「あたしが……多くの人の命を失わせたこのあたしが生き延びていいわけがないのよ。犯してしまった罪から逃げるわけにはいかないの!」


 苦しそうに顔を歪めるアルティナ。ラーカイラムはどんな言葉を返せばいいのか思いつかなかった。ただ、これだけは言える----


「そんな御託はいい。俺が、おまえを連れてここから脱出したいだけだ。嫌なら、俺を止めてみせろ。おまえが正しいのならそれができるはずだ」


 ラーカイラムは思いつく限りの手段を試すつもりだった。


 アルティナが頷くような形で顔を伏せる。


「ごめんなさい……」


 その弱々しい言葉が終わるのとほぼ同時に、ラーカイラムは背に強い衝撃を受けた。


 視界が暗くなり、床が迫る。


 手をつくより早く、ラーカイラムは気を失っていた。


**********


 倒れたラーカイラムのそばにはデイルが立っていた。その手にあるのは光刃剣だ。


「ありがとう、おじさん」


 アルティナは心から感謝した。


 どこから話を聞いていたのかはわからないが、デイルはラーカイラムの背後に忍び寄り、

「俺がこいつを連れていってやろうか」

 といった内容を身振り手振りで表現したのだ。それでアルティナが頼むと、デイルは光刃剣でラーカイラムに斬りつけた。ただし、ラーカイラムには傷ひとつついていない。光刃剣の機能のひとつに相手を麻痺させるようなものがあるのだろう。


「本当にいいのか?」


 ラーカイラムを肩に担いだデイルがひどく哀しい表情で尋ねる。


「あたしは大昔にとっくに死んでおくべきだったのよ……そうすれば、こんなことは起こらなかった。もう、決めたの」

「嬢ちゃんが納得しているのなら、俺が口を出すことはできないな。

 短い旅だったが、楽しかったぞ」

「あたしもよ」


 デイルの屈託のない笑顔に、アルティナも微笑みを返した。作りものであることはお互いわかっていた。嬉しい時や楽しい時の笑みではない。辛いから、悲しいからこそ、その想いをまぎらわせるために作る笑顔なのだ。この場で笑顔を向けてくれる相手の強さがなによりも心に染みた。


 出ていこうとしたデイルが足を止め、「最悪の結末だ。……役にたてなくて、すまない」、背を向けたまま別れの言葉を告げる。


「ラークのこと、お願いします」


 アルティナが力強く応えると、デイルはなにも言わずに走りだした。


「さよなら……そして、ありがとう」


 一人ぼっちとなった薄暗い空間に、アルティナの声が寂しく流れた。

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