第20話_漆黒の怪鳥


(嫌……お願い、ここから出して!)


 アルティナは叫び続けていたものの、それが声となって絞り出されることはなく、封じられた自我は依然として暗い淵に沈んだままだった。


 ガラス柱の中にうかぶ彼女は灰色の服を身につけていた。脳裏を膨大な情報が駆け抜け、人形としてのもう一人の自分が的確に処理していく。


 肉体を支配することは無理でも、感覚は共有している。周囲でなにが起きているのか、アルティナは把握することができた。ヴォーレンとその部下達が要塞の細部を把握するまでに三日かかった。要塞と理論上で一体化している彼女はすべてを感覚的に捉えているのだが、端末を通してでしか干渉できないヴォーレン達が要塞の性能を理解するまでには時間が必要だった。要塞の機能をひととおり検索しおえたヴォーレン達は次の行動へと移っていた。それはアルティナが最も恐れていることだった。


(いけない! あれは人間の使っていい物じゃないのよ!)


 アルティナの叫びは心の奥底でむなしく響くだけだった。要塞を操るための人形と化した彼女は、ヴォーレン達の命令にしたがって、その『忌むべき物』の封印をひとつひとつ解いてゆく。


 要塞の指令室には必要最低限の人数しかいなかった。他の者達はたいていそれぞれに割り当てられた作業に従事しているのだが、今は違った。要塞内の各所にある映像盤で、これから行なわれる実験に注目しているようだ。


「ヴォーレン様。こちらに近づいてくる機影がありますが……」

「映してください」


 部下が組体を操作し、映像盤に周囲の光景を映しだした。


 いくつもの小さな影が要塞を取り巻くようにして接近しつつある。その数、百というところか。流線型の機体に腕をつけた、空中戦用の戦闘機と殻闘機の中間に位置するような兵器だ。


騎竜きりゅうですか。どこの所属かわかりますか?」


 騎竜。それがこれらの兵器の名称だった。大きな翼と安定性を確保するための尾のような部分に注目すれば、古代の神話に出てくる竜に見えないこともない。


「通信が入っていますが、つなげますか?」


 部下の問いにヴォーレンは頷いた。座っているイスは指揮官用の物だ。かすかな雑音の後、通信用の拡声器から声がもれだした。


「聞こえるか? こちらはザイバルク国家治安維持軍だ。我が国の領土内において、おまえ達の存在は平穏をいちじるしく乱す恐れがある。ザイバルク国評議会はそう判断した。よって、ただちに投降、もしくはこの地域より撤退せよ。五分以内に返答が得られない場合にはザイバルク国への侵略行為とみなし、一斉攻撃を開始する。

 繰り返す……」


 いつでも攻撃ができるよう、騎竜が武器を用意する。小型のミサイルや機関砲、近接戦闘用の巨大な斧などをを装備していた。


「ヴォーレン様、どうなさいますか?」


 考えこんでいるヴォーレンへ、イリーシャが声をかける。それが合図であったかのようにヴォーレンはぱんっ、と手を叩いた。


「決めました。目標を変更します。例の物をザイバルク国の首都に向けてください。それと、騎竜部隊の責任者との間に会話用回線を開いてください」


 晴々しいほどの笑顔でヴォーレンが言う。


(駄目、やめて!)


 ヴォーレンの意図に気づいたアルティナは必死になって叫んだ。そんな彼女を嘲笑うように、もう一人の自分がなんの迷いもなく、与えられた命令を処理していく。アルティナはなんとか肉体の自由を、脳の支配を取り戻そうとあがいた。なんの感情も持たない人形を激しく罵った。


「あなた方の言い分はわかりました。お勤めご苦労様です。私の答えの前に、あなた方の上役にぜひとも伝えておきたいことがあるのですが……中継していただけませんか?」

「その必要はない。我々の仕事はおまえ達をここから追い出すか、建物もろとも湖に沈めるかのいずれかだけだ」


 丁寧な口調のヴォーレンを組みやすい相手とみたのか、映像盤上の騎竜部隊の責任者は強気だった。


「そうですか。軍内でのあなたの地位に大きな影響を与えることなのですが……どうしても引き受けていただけませんか?」

「そのようなたわごとで私をだまそうとしても無駄だ。私は国家のためだけに動いているのだ。姑息な時間稼ぎなど通用しない!」


 この通信が簡単に傍受できることを考えると本心かどうかはわからないが、きっぱりとした台詞が返ってきた。少しの間そばを離れていたイリーシャが「準備が整いました」とヴォーレンに耳打ちする。


「これが最後となりますが……どうしても本国へは連絡していただけないのですね?」

「くどい! 我々は与えられた任務をまっとうするのみ。おまえ達の取り引きなどに応じてたまるか!」

「わかりました。

 では、お願いします。目標、ザイバルク国首都。出力最大」


 ヴォーレンの指示を受けて、部下達が最終調整を行なっていく。


 アルティナは絶望の塊となりながらも抵抗を諦めなかった。が、意識を封じこめている殻は堅く、突き破ることができない。


 ----ピッ!


 目標となった地域の情報がまとめあげられる。ザイバルク国首都、ザイバルク。人口、二四八○○○人。誤差、前後二○○以内。


 ルースハやダーフィアといった辺境の町とは異なり、ザイバルクはまがりなりにも一国の首都である。集まる人の数も多く、敷地面積も広大だった。いくつもの建造物が高さを競い、大陸でも有数の大都市と認められている。


(みんな逃げて!)


 時間がない。アルティナは絶叫したが、それを聞く者はいなかった。


「五秒前。四、三、二、一……」

「発射」


 ヴォーレンがわずかに興奮した声で告げる。


 一瞬遅れて、一条の青白い稲妻が地上を貫いた。遠くにある山の向こう側、ザイバルクのあるあたりを。


 要塞と時期を同じくして開発された衛星兵器。数百年ものあいだ惑星軌道上で眼下の世界を見下ろし続けていたそれが超高熱のレーザーを放ったのだ。


 まばたきひとつほどの間をおいて、稲妻の落ちた場所で閃光が膨れあがる。次いで、轟音が大気を震わせながら広がっていった。


 光が静まっても、異変はそれだけでは終わっていなかった。まだ昼すぎだというのに東の空が真っ赤に染まっている。まるで血を流したような色。その下にあるザイバルクが燃えているのだ。


 アルティナは声にならない悲鳴をあげた。


 再び多くの人々の命を、未来を奪ってしまった。自分の意志でやったのではない、そんな言い訳は通用しない。自分がいなければ、こんな要塞に戻ってこなければ、少なくともこの惨事は防げたはずなのだ。


 アルティナは自分の存在が、今ここにいるということが許せなかった。いっそ死んでしまいたかった。が、その道を選ぶことさえできない。


「すばらしい! これほどの威力をもった兵器があれば我々の理想が叶えられる日もそう遠くないでしょう」


 感動した面持ちでヴォーレンが誰にともなく言った。世界統一を目指す《ヴァール・シャインリッヒ》に対する抵抗への抑止力としてこの衛星兵器を使用するつもりなのだ。


 罪悪感と絶望に、アルティナはこれ以上たえられそうになかった。


「騎竜が動きます。火器の一斉放射、きます!」、指令室に声が響く。


 総数一二○機の騎竜がもてるミサイルや機関砲を要塞に向けて撃ちだした。広がる白煙の中、狂ったように赤い火花が明滅する。


「防御力場展開。無人砲台に反撃の指示を」


 ヴォーレンの指示にしたがい、部下達が組体を操る。防御力場とは特殊な機関によって発生させられる強力な障壁のことである。通常の攻撃ではまず破られることがない。要塞周辺の空気がゆらぎ、波のようなもやが出現した。防御力場によって大気の屈曲率が変化し、防御力場とそうでない空間との境目にこのような現象が起こるのだ。


 騎竜の放った攻撃が防御力場にぶち当たり、激しい爆発を巻き起こす。騎竜部隊は手をゆるめず第二波、三波とおびただしい数のミサイルや機銃を放った。ありったけの憎悪を武器にこめ、漆黒の要塞へと叩きつけていた。爆煙が周辺一帯を包み、地上にどす黒い雲を生み出した。東の彼方ではいまだに空が燃え続けている。


 騎竜部隊の攻撃がおとなしくなり、やがて完全に静まった。弾薬をすべて使い果たしてしまったのだ。爆音が次第に小さくなっていき、やがて消えようとした頃、爆煙の奥から数十本もの光の槍が突き出てきた。要塞に備えられていたビーム砲によるものだ。一人の少女の脳という高性能な部品によって完璧に制御されているそれらのビーム攻撃は確実に騎竜を捉えていった。


 ものの一○秒と待たずに、あれだけいた騎竜はすべて打ち落とされた。


 一方的な戦闘が終了したことを報告されると、ヴォーレンは満足そうに頷いた。


「性能に問題はなさそうですね。では、そろそろ計画の第三段階にうつりましょう」


 要塞の回路の一部が切り替えられる。


 甲高い音が、始めはかすかに、そして徐々に大きくなりながら指令室に届く。


 湖面が荒れ、波が要塞を側面から飲みこもうとする。


 がごんっ、と要塞が揺れた。


 要塞は波をはじき散らし、ゆっくりと、上昇してゆく----古代に作られた漆黒の要塞はその鳥に似た姿が示すとおり、空中を移動できる能力を備えていた。広げていた翼が閉じられ、要塞は機動形態となった。


「これよりこの要塞を《箱船》と呼称することにします。準備が整いしだい移動開始。派手に《箱船》のお披露めといきましょう」


 厳かともいえる口調でヴォーレンが告げた行き先は大陸最大の都市だった。文化的にも経済的にも大陸内では頂点に位置する都市である。ヴォーレンはそこを制圧することで《ヴァール・シャインリッヒ》の存在を天下に知らしめようというのだ。


 漆黒の怪鳥----《箱船》が方向を定めて進みだした。《箱船》が目的地に到達すれば、これまでより多くの死者を生みだしてしまうに違いない。それこそ、全世界を巻きこんでの戦乱となる可能性は大いにある。人の築いてきた文明がもう一度滅ぶ。そんな暗い予感がアルティナの心に鋭い爪をたてた。


 ----ピッ!


(これは……?)


「索敵範囲内に二隻の浮舟を確認。交信を求めています」

「またですか……つなげてください」


 ヴォーレンが楽しそうな笑みをうかべる。ややあって通信回線が開くと、映像よりも先に勢いのある言葉が飛びこんできた。


「アルティナを返しやがれ! そこにいるのはわかってんだ! とっとと言うとおりにしねぇとてめぇらの尻に鉛玉ぶちこんでやるぞ!」


 その声はまぎれもなくラーカイラムのものだった----

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