第19話_復活
ここがどこなのかラーカイラムにはわからなかった。
闇一色に塗りつぶされ、自分自身の肉体さえ見ることができない。いや、そもそも目を開いているのかどうかさえあやふやで、自分が肉体を備えているという確信さえももてなかった。
どのくらいの間、ここにこうして漂っていたのだろうか。
遥か遠くからなにかが近づいていた。自分がそちらへ向かっているのかもしれないが、どちらとも言えない。
それは扉だった。暗黒の深淵に白い扉だけがうきぼりとなっている。その扉はひとりでに開き、奥から光が溢れ出した。温かく、ひどく懐かしいものさえ思わせる、虹色の光の洪水。昔聞いた子守歌とよく似た音楽がかすかに響き、光とともにラーカイラムを優しく包みこむ。誘われるようにして扉をくぐろうと前に出たラーカイラムを誰かが呼び止めた。眼前の扉からではない。背後に広がる闇の空間からの声だった。
助けを求めるような、叱りつけるような呼び声だった。それはよく知る人物のものであるはずなのに、誰のものかはっきりと思いだせなかった。
声の主に会いたい。考えるより先に心がそう渇望していた。
ラーカイラムは白い扉から離れ、ゆっくりと声に導かれていった。
**********
視界に光が戻る。どうやら眠っていたようだ。
完全に目を覚ましたラーカイラムは周囲の様子がおかしいことに気づいた。
天井一面に電灯が設けてあり、部屋は魔術の組体で埋めつくされている。長い白衣を着た数人の者達----魔術師が組体の前でなにかを話していた。
ラーカイラムが横になっているのはベッドではなく、水槽のような容器だった。薄紅色の液体が水槽を満たし、その中にラーカイラムは顔だけを水面から出した状態で沈んでいる。ラーカイラムが身を起こすと、魔術師達が慌てだした。「早く知らせろ!」、そんな声もする。
口と鼻を覆っていた酸素吸入器を取り外し、ラーカイラムはもう一度この部屋を見回した。魔術の研究施設だろう。しかし、見覚えはない。
「ここはどこだ……? 何故俺はこんな所にいる」
ラーカイラムは視線を落とすと、自分がなにも身につけていないことを知った。数か所に、水槽の内壁から生えた電極がはりついているだけだ。頭に霞がかかっているみたいで、ラーカイラムはなにも思いだせなかった。身体がだるく、ひどく気分も悪い。まるで長い間悪夢を見ていたかのようだ。
部屋の扉が開き、男がとびこんできた。がっちりとした背の高い中年で、銀と黒を基調とした派手な服を着ている。
「やっと気がついたか!」
その男が勢いこんでラーカイラムに言葉を投げた。ラーカイラムの目が覚めるのを待ち構えていたようだが、当のラーカイラムはこの赤毛の男が何者か思いだせなかった。
「どうした、俺がわからないのか? 俺だ、デイルだ。おっさんだ!」
「おっさん……?」
あせったようなデイルの言葉にラーカイラムの脳裏でなにかが反応した。氷の塊が溶けていくように、止まっていた記憶が流れ始め、一連の出来事を描いていく。
「そうか……俺、あの女に撃たれて……アルティナ? おっさん、アルティナはどうなったんだ!」
今しがた起こったことのように鮮明な記憶へとたどりついたラーカイラムは水槽から身を乗り出し、デイルに詰め寄った。その途端に全身から力が抜け、倒れそうになったラーカイラムはデイルに支えられた。
「じっとしていろ。傷が癒えたといってもまだ完全に回復していないはずだ」
言われて初めて、ラーカイラムは負っていた傷がすべて治っていることに気づいた。あのただれた胸の傷までもが見事に完治しているのだ。触れてみても、痛みや奇妙な感じはまったくしない。気を失う直前に銃弾を何発も喰らったとはとても思えなかった。
「そんな馬鹿な……」
ラーカイラムが呻くと、「ぎりぎりで間にあったんだぞ。もう少しでも遅かったらここにある治癒用の組体では役にたたなかったらしい」 デイルが近くの魔術師を目で指しながら言った。
ラーカイラムは納得がいった。本格的な治癒用の組体であれば肉体的損傷のほとんどを治すことが可能なのだ。ラーカイラムがそれの世話になるのは初めてだったが、実際に怪我はすべて完治している。しかし、素直に喜ぶことはできなかった。命が助かったのはありがたいが、魔術のお陰というのが気にくわない。
「それはもういい。そんなことより、アルティナは? あいつはどうなったんだ!」
ラーカイラムが噛みつくような勢いで尋ねると、デイルは表情を曇らせた。
「……連中に連れ去られた」
その答えを聞き、ラーカイラムはすぐに行動にうつった。水槽から出ると、「ちょっと借りるぜ」近くにいた魔術師の白衣を強引にはぎ取り、とりあえず身につける。
「待て、なにをするつもりだ?」
「アルティナを助けに行く」
ラーカイラムの背にデイルが言葉をかける。ラーカイラムはそちらを見ずに返答し、出入口へ向かった。
しかし、扉を抜けたところ目眩に襲われ、ラーカイラムは膝をついた。通路の壁に寄りかかりながらなんとか立ち上がると、
「無茶だ。おまえは二日間昏睡状態だったんだぞ。もうしばらくは安静にしておく必要があるんだ」
追いついてきたデイルが強い口調で咎めた。
「冗談じゃねぇ! こんなところでじっとしていられるか。アルティナの命が危なくなっているかもしれねぇんだ!」
萎えそうになる気力を奮い、ラーカイラムは叫んだ。あのような連中の手にアルティナを渡したままにしてはおけない。二本の足で立つことさえ辛いが、こんな場所で休んでいるわけにはいかなかった。
「それはない。あいつらが嬢ちゃんに危害を加えられるわけがないんだ」
道をさえぎるデイルを押し退けようとしたラーカイラムだったが、その確信ありげな物言いを聞いて動きを止めた。すっかり忘れていたが、ダーフィアでもデイルは意味ありげな台詞を吐いていた。
「どういうことだ? おっさん、あんたなにもかも知ってるんだろ。だったら俺に教えてくれ! あいつらは何故アルティナを狙ってたんだ」
すがりつくようなラーカイラムをデイルは無言で見つめ返していたが、ややあって頷いた。灰色の瞳が憐れむような光を宿している。
「嬢ちゃんはな、連中にとっては大事な部品なんだ」
「部品……?」
意味が掴めずおうむ返しに口にしたラーカイラムを無視し、デイルはさらに話を続けた。
古代文明末期にどこかの国が難攻不落の要塞を作りあげた。その国は後の大戦で滅んだのだが、肝心の要塞が戦争に加わったという記録はなかった。戦火をまぬがれた記録によれば、その要塞を制御するための古代呪文と中枢を司る生体部品が何者かによって盗まれ、損失を補うのが間に合わず、要塞は歴史の影に埋もれたという。
「その生体部品がアルティナだっていうのか?」
ラーカイラムは笑いがこみあげそうになった。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。それなのに心のどこかで完全に否定しきれない自分がいた。
「あんな生意気娘にそんなことができてたまるか。だいたい、数百年前の生体部品とアルティナが同じだっていう保証がないじゃねぇか」
唯一の望みにかけるような思いで、ラーカイラムはその台詞をデイルにぶつけた。デイルは静かに首を横に振った。
「噂みたいなものだがな、その古代呪文と生体部品はある地域に隠されている、そう長い間言われてきたんだ。それがちょうどルースハの周辺区域だった。先日の地震であの谷場から遺跡が発見されたという情報が伝わった後、噂を確かめるために様々な組織が動き出した。
結局はおまえが一番のりして、遺跡そのものはつぶれたが……『ゴスペル』、あれは紛れもなくその古代呪文だ」
最後の望みも打ち砕かれ、ラーカイラムは言葉を失った。さきほど完全にはデイルの言葉を否定できなかった理由がわかった。アルティナが標準文字は読めないにもかかわらず、古代文字のほうは理解できると知った時、彼女が古代文明の遺児ではないかと危惧したことがあったためだ。すべてを知っていたくせに何故教えてくれなかったのか。そう問いただそうとしたが、今のラーカイラムにはなんとなくわかった。 そんな御伽噺のようなものを信じることなどできなかっただろうし、知っていたとしてもアルティナには聞かせてやりたくない内容だ。
「間違いないのか……?」
ラーカイラムの声は震えていた。やりきれない想いが膨れあがり、ラーカイラムは白衣の裾を握り締めた。爪が食いこみ、赤い染みを作る。
「ああ。《ゲッターディヒトゥング》の目的地も確認してある。その要塞が隠されていた場所とみていいだろう」
「どこにある」
「おまえ一人でどうにかなる問題ではない。後は俺達に任せろ」
「ふざけるな! だったら俺も連れていけ! 俺はあいつを守ると約束したんだ、あいつを助け出すのは俺の役目だ!」
「約束、か。だったら来るな。嬢ちゃんを助け出したとして、おまえが辛い思いをするだけだ」
「アルティナを助けて……俺が辛い思いをするだと? そんなことがあるわけない!」
「おまえのためだ。はっきり言っておこう。生体部品は要塞の制御に影響がないよう、人間らしさをすべて消されたらしい。おそらく、記憶もな。人形同然になってしまうのさ」
「嘘だ! あのわがままなアルティナのどこが人形と同じなんだ!」
認めたくないばかりに叫びつつ、ラーカイラムはあの晩のアルティナの話を思いだしていた。
アルティナを悩ませた夢----あれが事実だと早くわかっていたら打つ手があったかもしれない。ラーカイラムは拳に怒りをこめて壁へ叩きつけた。結局はなにもしてやれなかった自分が情けなかった。
「おまえはよくやった。だが、要塞が稼働し始めたことも確認されている。要塞の頭脳となった彼女はもうおまえの知っている嬢ちゃんとは違うんだ」
慰めの表情でデイルが言う。その言葉はラーカイラムの心に重くのしかかった。
古代魔術の虜人----そんな言葉が脳裏をかすめる。
「あいつもそうなのか……」
ラーカイラムは心の中でそう呟き、唇をきつく噛んだ。
「それでも……俺はあいつを助けに行かなきゃならねぇんだ。あいつはこの世界で一人ぼっちなんだ。俺が見捨てるわけにはいかねぇ」
デイルに対して言っているのではなく、むしろ、自分に言い聞かせていた。
「それに、古代魔術のせいで人生を狂わされる人間を見るのはもうたくさんだ……」
レイティアのような人間をこれ以上つくりたくない。そんな想いとともに、苦くて熱いものがラーカイラムの奥底からこみあげてきた。
自分のことなど忘れていても構わない。だが、古代魔術の呪縛からはなんとしても解放してやりたかった。
涙でにじむ視界の中、根負けしたようにデイルは肩をすくめてみせた。
「作戦の邪魔だけはするなよ」
震えそうな感謝の言葉を飲みこみ、ラーカイラムは強く頷いた。
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