第13話_静かな夜
誰かが呼んでいる。
はっきりと聞き取ることのできない声に導かれ、さえぎる物がひとつとして存在しない空間をアルティナは進んでいた。
どの方向を見ても変化はない。乳白色の世界が際限なく、どこまでも広がっていた。
手持ち無沙汰に前髪をいじるアルティナ。不思議と恐怖心はなかった。何故このような場所にいるのかわからないが、この先になにかがあるのは確実だった。
「退屈だなー。どこまで行けばいいんだろ」
その時、遥か前方で、霧の中からにじみ出るようにして人影が出現した。アルティナは早足で近づき、そして、言葉を失った。
目の前に自分と瓜二つの人物が立っていた。まるで鏡を覗いているかのようにそっくりな顔だ。が、雰囲気が微妙に違う。相手は上品な服の上に長い白衣を羽織っていた。表情にも、大人のような落ちつきが感じられる。
「初めまして、と言うのも変ね」
自分と同じ顔の少女が大人びた微笑みを送る。
「あ、あなた誰よ!」
アルティナは動揺しきっていた。これは夢に決まっている。
「わたしはアルティナよ。正確には『アルティナ』という存在を構成する要素のひとつだわ。無論、あなたもね」
「なによ、それ。だいたい、ここはどこなのよ?」
「『アルティナ』の意識領域の一部、無意識下にある思考領域の一区域というところね。話したいことがあって、わたしがあなたをこちらに呼び寄せたの」
「呼び寄せた? 自分が本当の『アルティナ』とでも言いたいわけ?」
「まだ正しく把握できていないようね。わたしは一番古くからの自我というだけよ。今の『アルティナ』は紛れもなくあなただわ」
落ち着きはらった物言いにアルティナは苛立った。
「もったいぶった言い方はやめてよ。さっさと用件に移ったらどうなの」
「そうね。あなたに覚悟があるのか知りたいの」
「なによそれ。どういうこと?」
「あらゆる現象は、論理的に説明のつく原因によって引き起こされるものよ。何故、自分が記憶を失っているのか、考えたことはあるかしら?」
「それは……ラークの、機械の中で眠っていたあたしの目覚めさせかたが悪かったから……」
この目で確かめたわけではないが、他に思い当たることがない。ラーカイラムが、自分が不利になるような嘘をついているとは考えられない。
「自分の名前や生活習慣は忘れていないことを不自然だと思わなかったの?」
「……そんなところまで気が回らなかったわよ。ラークじゃないなら、原因はなんなの?」
「わたしよ。わたしがそれまでの記憶を封じこめて、その結果『あなた』という自我が生まれたの」
そう告げる顔には愁いが色濃くあらわれていた。
「あなた、何様のつもりよ。いったい、なにを企んでいるの」
今の言葉を鵜呑みにすれば、自分が本当に無価値な影ということになる。そんなことは認めたくなかった。
「知らないほうが……忘れてしまったほうが幸せなことがあるものなのよ。お願いだから、記憶を取り戻さないで。それが『あなた』のためなの」、白衣がひるがえり、背を向ける。
「ちょっと待って! まだ話は終わってないわ。もっと詳しいことを……」
「嫌悪したくなる過去をもう一度わざわざ思いだす必要はないのよ」
悲しげな声が響く。アルティナは引き留めようとするものの、二人の間は開く一方だった。
ふいに周りが暗くなる。背後に人の気配がし、アルティナは振り返った。
先程とは異なる、もう一人の自分がいた。 身体に密着した灰色の服。感情のかけらもない虚ろな瞳の奥で自分の姿が見つめ返している。
「今度はなによ!」
怒鳴ってみても、返事どころか動こうとさえしない。人形か、あるいは死人のようだった。
周囲でざわめきが起こる。闇な中からあらわれた例の亡者どもが口々にアルティナを呪い、罵っていた。
耳をふさいでも効果はない。目を閉じても、血みどろの屍の群れは消え去らなかった。その中心に、無表情なもう一つの自分がいる。
「もうやめて、やめてったら!」、涙声で叫ぶ。それは不快感をもよおす嘲笑へと吸いこまれていった。
「記憶なんてどうでもいいから、誰かここから助けてよ!」
必死の想いに答えるかのように、雷鳴に似たすさまじい音が轟いた。なにもかもが一瞬にして失せ----
アルティナは身体が激しく揺さぶられ、名前を連呼されていることに気がついた。
目を開けると、眼前にラーカイラムの顔があった。
**********
稲光が瞬間的に室内を照らす。宿の一室で、三つ並んだベッドの窓際のやつにアルティナは横たわっていた。やはり夢だったようだ。
「大丈夫かよ? すげぇうなされてたぞ」
どうやらラーカイラムが揺り起こしてくれたらしい。
「うん、もう平気。ちょっと恐い夢を見ただけだから」
それを聞いてラーカイラムは安心したようだった。隣りのベッドに戻り、腹筋運動を始めたりする。そういえば、寝る前の日課の一つだと言っていた。デイルの姿が見えないが、そんなことはどうでも良かった。
「なにがどうなってるのよ……?」
親指の爪を軽く噛む。頭の中がごちゃごちゃで、まったく整理がつかなかった。自分一人ではどうしてよいかわからない。
押しつぶされてしまいそうな不安にたえかね、アルティナは思いきって打ち明けることにした。
「さて、と。俺も寝るとするか」
「待って、ラーク。話したいことがあるんだけど」
「あぁ?」
面倒くさそうなラーカイラムにアルティナは自分なりにまとめながら説明した。
古代の都市が破壊される光景を夢に見たこと。亡霊の、恨みの言葉。そして、たった今、夢の中で別の自分に会ったこと----
笑われるのではないかと心配したが、ラーカイラムは最後まで黙って耳を傾けてくれた。
「どう……なにかわかりそう?」
ラーカイラムが首を横にふった。
「悪ぃ、さっぱりだ。魔術師か専門の医者ならちゃんとした答えを出せるだろうけどな。さしあたっての問題は、記憶を蘇らせないほうが幸せだってところだな」
「うん。あたしもそう思う」
同意し、アルティナは膝を抱えこんだ。向かいのベッドの端に腰をおろしているラーカイラムが足を組み替えて、なにかを告げる。 雷鳴のせいでよく聞こえなかったので、「もう一回」とアルティナはお願いした。
「おまえ自身はどっちがいいんだ?」
「そりゃあ……昔のことが知りたいわよ。自分がどんな所で生まれて、どんなふうに育ってきたのか----当然でしょ」
「だったら悩む必要なんてねぇだろ」
「でも、恐いのよ……変な夢で脅されたりしたし。ひょっとしたら、あたしは本当にとんでもないことをしてるんじゃないか、このままでいるほうがいいんじゃないか、って。
ラークはどうすればいいと思う?」
アルティナはラーカイラムの顔を見ることができなかった。なんでもいいから優しい言葉をかけてもらいたい。だが、「おまえが自分で決めろよ」、返ってきたのは突き放すような台詞だった。
「そんな言い方って……あたしがなんのために相談したと思ってるのよ、無責任」
見放されたような気分になり、怒りよりも涙が出てきそうだった。喉の奥がかすかに震えている。
「あのなぁ、本人でさえ決めかねてる問題を他の奴が『こうしろ』って決定するほうがよっぽど無責任じゃねぇか?
仮に結果が悪かったとして、一番苦しむのはおまえだろ。周りの連中は同情してくれるかもしれねぇが、その時に他人のせいにしなきゃならねぇなんて自分が惨めだぞ」
いつになく真剣なラーカイラムに、アルティナは唾を飲みこんだ。
「言ってることはわかるわよ。でも……」
誰かに安心させてもらいたい。気休めでもかまわないから、背中を押して迷いを払ってほしかった。
「まぁ、俺も偉そうな人生は送ってねぇけどな。嫌なことがひとつもなかった、後悔したことのない人生なんて、そっちのほうが恐ろしいぜ。自分の欠点や失敗に気づいてねぇ証拠だろ」
「……ラークにも、そういう思い出があるの?」
「当たり前だろ。俺なんか失敗してばっかりだ。そのわりにはちっとも良くならねぇけどな」
ラーカイラムの苦笑につられ、アルティナは口許をほころばせた。なんのかんのと言っても、ちゃんと親身になって応えてくれている。
「わかったわ。たくさんの人が傷ついておきながら、その原因であるあたしが今さら逃げるわけにはいかないもんね。昔のあたしがなにをしでかしたのか、ちゃんと確かめるわ」
組んでいた指に思わず力がこもる。ラーカイラムは優しげな笑みを返した。
気がつくと、あれほど激しかった雷の音が遠ざかりつつあった。
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