第12話_前夜
西の空を、重苦しい感じのする雲が覆っていた。
わずかに傾いた太陽はまだ隠されておらず、くっきりとした影を生み出している。
山すそに伸びる街道----周りの木々が葉ずれの音をたて、湿りけのある風がアルティナの栗色の髪を大きく膨らませた。
「やっぱりターバンがあったほうがいいみたい」
前のターバンはラーカイラムの怪我の包帯となってしまった。代わりに両手で押さえ、アルティナは次の町で新しいのを買ってもらおうと思った。
「降り出す前に町へ入っておきたいな」
鈍い色の空を仰ぎながら、先頭のデイルが言った。今日の宿を取る予定のダーフィアまであと三、四時間の距離だ。デイルの知る魔術師がいる場所まで残すところ一日である。
「ねぇ、今晩ぐらいは少しぐらい豪華な宿にしない? 一つの区切りみたいなものだし」
「そんな金はねぇ」
ラーカイラムは即座に拒否し、財布をゆすったり、叩いたりしてみせた。実に軽そうな音しかしない。アルティナもそれほど期待してはいなかったが、ここまであてつけられると逆になんとしてでも豪華な宿に泊まりたくなる。
前から荷馬車が近づいてきた。三人は端に寄り、馬車のために道を開けてやった。人当たりのよさそうな御者が頭を下げる。どうやらこのあたりの農夫のようだ。荷台には干し草が山のように積まれていた。
「逆方向じゃなけりゃ乗せてもらうんだけどな」
アルティナの考えと同じことをラーカイラムが口にする。
「あれ?」
アルティナの目には、正面をすぎる馬車の速度が落ちたように映った。御者が馬に鞭を入れ、それを合図に干し草が高く舞い上がった。荷台からいくつもの人影が飛び出してくる。
総勢八名。皆、銃や剣をもっていた。突然のことで反応が一瞬遅れ、ラーカイラムとデイルとの間は男達に隔てられてしまった。一人に対して四人ずつで襲いかかってくる。
「またかよ!」
「嬢ちゃんのほうは任せたぞ」
突き出された刃をラーカイラムはぎりぎりでかわし、デイルの光刃剣が飛んでくる銃弾ごと相手の一人を薙いだ。アルティナは闘いの邪魔にならないよう、後ろに下がって見守っていた。
デイルの闘いぶりは豪快そのものだった。光刃剣を振り回し、受けようとした剣ごと男を両断する。「命が大事なら逃げるんだな」、不敵な笑みがアルティナには状況を楽しんでいるように思えてならなかった。
ラーカイラムはデイルと対照的な動きを見せていた。
風を切る銀の閃きをかいくぐり、手刀や膝蹴りを叩きこむ。首の後ろやみぞおちといった人体の急所を攻めており、喰らった相手は地面にうずくまり、立ち上がろうとしなかった。銃を使いはしたが、その場合は武器に当てたり、牽制のためにわざとはずしているようだ。
最後の一人が地に伏した時、御者がなにかをしようとしているのをアルティナは目の端に認めた。
「ラーク、あの人!」
御者は手投げ弾を握っていた。ピンに手をかけ、抜こうとしている。こんなに近い距離で爆発させれば本人にも被害がおよぶ。仲間がすべて返り討ちにあって逆上したに違いない。
「ちくしょう!」
叫んだのはラーカイラムだった。同時に銃声が起こり、眉間に穴をうがたれた御者はピンを引ききれないまま倒れた。
「あたし達を恨んだりしないで成仏してね」
アルティナは彼らを気の毒に思った。命を奪われたくないのは向こうも同じだったろう。
「兄ちゃん、どうしたってんだ?!」
デイルのただならぬ声に誘われ----アルティナも驚きに目を丸くした。ラーカイラムがかがみこみ、吐いているのだ。
「どうしちゃったのよ! 悪いものでも食べた? それとも変な病気?」
気が動転しつつもアルティナはラーカイラムの背中をさすってやった。
「大丈夫、いつものことだ」
答える声は弱々しく、顔色も真っ青だ。普段のラーカイラムからは想像もつかない。
「いつもの?」
「ああ。俺……人を殺っちまうとこうなるんだ。医者に言わせると精神的なものなんだと」
アルティナはそれ以上尋ねなかった。ラーカイラムの声にどことなく悲しい響きを覚えたためだ。誰にだって、他人には明かしたくない昔話の一つや二つはもっている。もっとも、それすら覚えていない今の自分がそんなことを言えるものではない。
じきにラーカイラムの発作は治まった。他の通行人の姿は見当たらなくなっていた。かかわりあいになるのを恐れてどこかへ散ってしまったに違いない。
「これで何組めだ?」
気絶あるいは絶命して動かない男達を見下ろしながら、ラーカイラムがどちらにともなく訊く。
「一二組じゃなかったっけ」
「そうか? 一四だと思ったけどなぁ……」
アルティナが述べるとデイルは異議を唱えた。
仮面の女を退けてからこっち三日間、一行は日に幾度も襲撃を受けていた。しかも、徐々にその間隔が短くなってきている。正確な数など頭の隅にも留めていられなかった。
「まったく、きりがねぇぜ」
「どのみち明日で終わりさ。そんなことより、二人は後ろに隠れておけ。俺が御者をやってやる」
デイルの発想で、馬車は戦利品として頂戴することになった。干し草の中に埋まるのは気が進まないが、追跡者の目をあざむけて、なおかつ歩かずにすむのは捨て難い。
「でも、これってさぁ……」
荷台は広く、干し草で作られたベッドのようなものだった。
「正当防衛かもしれないけど、荷馬車まで奪ったりしたら追い剥ぎと変わらないんじゃない?」
「俺達に身のほど知らずの喧嘩を売った、その詫び金代わりと思えばいいじゃねぇか」
ラーカイラムはあっさりと言う。アルティナはそう簡単に割り切れなかった。なんとなく後ろめたいものを感じてしまう。
アルティナは大の字になり、ボーッと空を眺めていた。干し草の中から顔だけを出した格好だ。ゴトゴトという規則的な揺れが優しく、眠気を誘う。
「このまま発見されなければいいのにな……」
そうすれば、戦闘にならずにすむ。これ以上、自分をめぐって人が傷ついたり、命を落とすのを見たくはなかった。
「どうしてあたしなんかを狙うんだろ」
奇妙なことに、これまで襲ってきた連中の誰一人としてアルティナの正体についてなにひとつ知っていなかった。ただ、どこかの組織の上から「連行してこい」と命令されたり、「あの娘にはなんらかの価値がある」といったあやふやな噂を信じて狙ってきただけだ。 そのことが、返り討ちに合って運悪く死んでしまった人達に対しての同情を強めてしまう。
そんなことを考えていると、かすかな音が近くから聞こえてきた。耳を澄ますと、それはラーカイラムのいびきだった。口をだらしなく開け、熟睡している。よほど疲れていたのだろう。
「けっこう迷惑かけちゃってるよね」
ラーカイラムの首に細く、赤い線が引いてあるのが目についた。起こさないように指先でそっと触れてみると、やはり拭うことができた。負ったばかりの傷から血がにじんでいるのだ。
これまでずっと、負傷してきたことに対してラーカイラムは一度も愚痴をこぼしていない。少なくとも自分の前では----アルティナは今になってそのことに気がついた。
こみ上げてくる熱いものがあったが、それは上手く言葉にならず、アルティナは無言で謝り続けた。
**********
ダーフィアに到着したラーカイラム達は昨日までよりかなり値の張る宿を選んだ。
大規模な農業町であるダーフィアではちょうど年に一度の収穫祭をやっており、盛大な祭りを楽しもうと他の町からもわざわざ足を運んできた者や、それらを目当てにした隊商でほとんどの部屋がすでに埋まっていたのである。宿屋にとってはいい稼ぎ時かもしれないが、アルティナの分の宿代まで出したラーカイラムにとってはいい迷惑だ。
アルティナは祭りを楽しみに外へ行こうと言いだしたのだが、雨が降ってきたのでそれは諦めるしかなかった。
三人は宿にある広い食堂で夕食を取っていた。
「やっと明日で終わるな」
ジョッキを片手にラーカイラムは何気なく言った。重ね上げられた皿を挟んでアルティナの顔が見える。食べ放題ということなので、食費の心配をする必要がないことだけが救いだった。
「ふぉはへ」
相槌を打ってから口の中のものを飲みこむアルティナ。デイルは例によって料理よりも酒で胃を満たしているようだった。底なしなのだろうが、その量にラーカイラムは呆れた。
「まともに食ってるのは俺だけか」
そう感想を口にすると、
「そう言うラークは好き嫌いが激しいじゃない。偉そうなことは、全部残さずに食べてからにしてよね」
アルティナに強い口調でたしなめられた。
負けん気を刺激されたラーカイラムはさっきからニンジンをフォークの先で転がしていた。が、どうにも口へ運ぶ気になれない。
「なぁ。記憶が戻ったとして、それからどうするんだ?」
小さな、赤黄色の塊に向かって尋ねる。
「わからないわよ。実際になってみないと。
あたしを狙ってる人達のこともあるし、どこかに行かなきゃならない場所があるのかもしれないしね」
「そうだよな。その時にならねぇとなにもわからねぇよな」
案ずるより生むが易し、というやつだ。食わず嫌いのこのニンジンも考えているより味が良いのかもしれない。ラーカイラムが意を決してフォークを突き刺すと、アルティナに名前を呼ばれた。
「これ……受け取っておいて」、そう言ってアルティナが差し出したのは例の呪文護符だった。
「ラークの探していたものとは違うかもしれないけど」
ラーカイラムは伸ばしかけた手を引っこめた。
「なんでだ? 記憶を取り戻した後でねぇと報酬にならないんじゃねぇか?」
自分で言ったことのはずだが、アルティナはばつが悪そうにしていた。
「明日に渡すのも、今こうするのも同じだと思って。それにね、ラーク、一度もかすめ取ろうとしなかったじゃない。もう、充分すぎるほど協力してくれたわよ。だから、ちょっと早いけど……ね」
「よくわからねぇ奴だな」
断わる理由もないのでラーカイラムは呪文護符を手に取った。なによりもまず、金属板に記された文字を確認する。
「なんて書いてあるんだ?」
酒瓶片手にやりとりを傍観していたデイルが口を挟む。
「プログラム----ゴスペル」
デイルの問いかけに、ラーカイラムとアルティナは同時に答えた。
「おい、おまえがなんで知ってるんだ!」
ラーカイラムは腰を浮かした。その勢いに気圧され、アルティナはイスをのけぞらせた。
「どうしてって……暇な時に見たから」
「そうじゃねぇ。おまえ、字が読めないんじゃなかったのかよ?」
「あ----」、アルティナが素早く呪文護符をひったくる。
「でもでも、これはわかるよ。『プログラム----ゴスペル』でいいんでしょ?」
記憶の一部が戻ったのかと思われたが、メニューに書いてある標準文字のほうは相変わらず読解できなかった。興奮していたアルティナは、気の毒なほど肩を落とした。
「けどなぁ。この古代文字が読めて、標準文字は駄目なんて。おまえ、ひょっとして変な魔術師の許で箱入り娘みたいに育ったんじゃないのか」
ラーカイラムが冗談めかして言ったことをアルティナは真剣に考えこんだ。もうひとつ、思いつくことがあるのだが、笑い話ではすまない深刻な問題となるので黙っておいた。
「まぁ、悩んでもしょうがないわね。明日になればはっきりするでしょ。ラークはどうなの、それが探していたもの?」
「わからねぇ。『ゴスペル』なんて古代呪文は初めてだ」
おそらく新種の古代呪文だろう。内容を確かめるまでは喜べない。
「『プログラム』っていうのは関係ないわけ?」
「ああ。それは古代呪文の大昔の呼びかただからな」
「ふぅん。それで、どうするの?」
質問の意味を、ラーカイラムはすぐには理解できなかった。
「ここまできたんだ。最後までつきあうぜ。おまえの過去にも興味があるしな」
理屈で飾った理由など必要ない。ただ、放っておけないだけだ。
「期待してるよ。ちゃんと守ってね」
アルティナが笑う。嫌なことをすべて吹き飛ばしてしまうような明るい笑顔だ。
「それじゃ、万事うまくいくことを祈って乾杯といきますか」
酒好きのデイルの提案にアルティナはもちろんのこと、ラーカイラムも珍しく賛成した。
外では窓を叩く雨音が、次第に強くなっていた。
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