第10話_乱入者


 急にラーカイラムが転んだせいで、アルティナは放り捨てられる形となってしまった。


 すりむいた肘がひりひりと痛むのを我慢し、文句をぶつけようとしたアルティナの目が大きく開かれた。


 うずくまっているラーカイラムのズボンが真っ赤に染まっていた。瓦礫の隙間を埋めるように、血溜まりが広がってゆく。


「ラーク。血が……血が出てるよ!」


 アルティナは取り乱していた。突然のことで、ただおろおろするばかりだ。


「やかましい。そんなこた自分でもわかる」


 呻くようにラーカイラムはもらした。


「ラーク、大丈夫なの?」

「足に穴が開いただけだ。これしきのことで痛いわけねぇだろうが……ま、とりあえず血を止めねぇとな」


 脂汗をにじませ、ぎこちない笑いをうかべるラーカイラム。アルティナは包帯の代わりになるものを求めた。頭のターバンに思い当たった時、


「止血してやる必要はないさ」


 いつの間に追いついたのか、ラーカイラムを見下ろしている黄金の仮面に気づいた。


「俺を撃ちやがったのは……てめぇか」

「だったらどうなんだい、え? このイリーシャ様をなめてくれたお礼さ」


 立とうとするラーカイラムの腹を仮面の女が蹴りこんだ。ラーカイラムの体がくの字に曲がる。


「《黒い狼》だかなんだか知らないが、少しばかり闘い慣れしているからって粋がるんじゃないよ」


 イリーシャは何度もラーカイラムを蹴り、踏みにじる。怪我をしている左ももを重点的に攻めていた。イリーシャの足を包むブーツが次第に赤く濡れていくが、イリーシャはやめようとしない。


 ラーカイラムはなされるがままだった。こんなことをされて黙っているような男ではないはずだ。出血多量で意識が鈍くなっているのではないだろうか。


 アルティナはラーカイラムの名を叫んだ。黒い瞳が応じる。力強い視線だ。抵抗できるのに、なんらかの意図があって堪えている。そんな瞳が無言で語りかけてくる。


「まさか、あたしを逃がすためにあの女を引きつけてるの?」


 そう考えると、ラーカイラムが小さく頷いたような気がした。


 確かに、自分に用があるという仮面の女と一緒に行くのは嫌だった。こんな女だ。どんな酷いことをされるかわかったものじゃない。


 殻闘機は周りに一体もおらず、女はラーカイラムに注意のすべてを奪われていた。ラーカイラムの思惑通りにするには今、この瞬間しかないようだ。


「わたしがおまえの馬鹿さを治してやるよ。せいぜいいい夢を見るんだね」


 女が長い銃身の先端をラーカイラムへと向ける。アルティナはとっさに行動へ移った。


「待って!」


 イリーシャに身体ごとぶつかると、狙いのそれた弾丸はラーカイラムの頬をかすめた。


「なんのつもりだ、小娘?」


 イリーシャには獣を思わせる迫力があった。気圧されそうになったが、アルティナは奥歯に力を入れ、負けずに見つめ返した。


「あたしが目的なんでしょ。どこへでもついていくわ。抵抗もしない。

 だから、関係のないこの男は見逃してあげて」


 アルティナの真剣な台詞をイリーシャが口笛ではやす。


「お熱いねぇ。我が身を差し出して男を助けようなんて。こんな男のどこに魅かれたんだい?」

「こんな男で悪かったな」


 アルティナは耳と目を疑った。反抗的な声とともにラーカイラムが起き上がろうとしている。しかし、力が入らないのか、足ががくがくと震えていた。


「まだやるつもりかい。頑丈だねぇ。痛みを感じる神経が通っていないのと違うか?」


 アルティナはラーカイラムの許へ行こうとしたが、イリーシャに腕を掴まれて阻止された。


「無茶しないで、ラーク!」

「ほぉら、命の恩人がこう言っているぞ。それとも、本当に殺されたいのか?」

「うるせぇな。そいつをてめぇに渡すわけにはいかねぇんだよ!」


 踏ん張った足が崩れ、ラーカイラムは膝をついた。それでも闘志を失わず、射殺すような視線を金色の仮面へと放つ。


 今のラーカイラムではろくに動けるはずがない。闘えば、それこそみずから死ににいくようなものだ。アルティナはなんとかしてラーカイラムを止めたかった。


「お姫様を護る騎士のつもりかい。馬鹿馬鹿しい。

 ふぅん……この娘、けっこう可愛い顔をしているな。気に入られようと、頭の悪い男が格好つけたがるのもわかるよ」


 ライフルを捨てたほうの手で、イリーシャはアルティナの顎を強引に引き上げた。アルティナの爪先が垂直に立つ。


「そんなことはどうでもいいだろうが。俺はまだ充分闘えるぞ」

「根性だけで勝てると思ったら大間違いだよ。

 そうだ。おもしろいものを見せてやろうか」


 イリーシャはいやらしい形に口許を歪めると、腰に吊してあったナイフを引き抜いた。薄い刃を赤い影が包みこむ。ナイフの柄が小型の火炎放射器となっていた。


「この娘の顔を焼かせてもらうよ。なぁに、殺しはしないから安心しな」

「な……冗談じゃないわよ!」


 アルティナは声に全身の力をこめた。金色の仮面の奥にある、濁ったような琥珀色の瞳が妖しい光を放っている。怒りを上回る寒気がアルティナの背筋を這った。


「もちろん本気さ。あの男がまだおまえに未練があるみたいだからな。顔の半分も焼けただれれば、奴だっておまえのことなんかどうでもよくなるだろうよ。

 そうなれば、あいつは殺されずにすむし、わたし達だって任務を無事果たすことができる。いいことずくめだろ?」


 正気とは思えなかった。アルティナは離れようともがくが、腕力のあるイリーシャには通用しない。


「ふざけんじゃねぇ!」


 揺らめく炎の向こうでラーカイラムが拳銃を握っているのが見えた。


「いいのかい? 可愛いお姫様に当たるかもしれないぞ」


 イリーシャはアルティナが盾となるよう位置を変えた。ラーカイラムの動きが止まる。


 ためらっているラーカイラムの目をアルティナは見つめた。


「撃って----」


 信じてるから、と言う間はなかった。


 ラーカイラムのリボルバーが高く吠える。計六回----最後の銃声が長く残った。


 アルティナはなんの痛みにも襲われなかった。イリーシャのくぐもった笑いがすぐそばで聞こえる。


「残、念。全弾外れだな。さぁ、お次はこちらの番だ」

「待ってくれ!」


 ラーカイラムの悲鳴のような言葉をイリーシャは楽しそうに聞き流した。


 すくみあがって声も出せないアルティナの右頬を熱気が舐めようとした刹那----空気を裂き、飛来した一本の短剣がイリーシャの足元に突き立った。


**********


 躊躇せず、イリーシャはアルティナを捨て、その場から跳び退った。


「なんだ……?」


 ラーカイラムは状況が把握できず、イリーシャの目線を追った。


 一人の人間が、アルティナを挟んで金色の仮面と対峙している。


 銀と黒を基調とした派手な服装。がっちりとした体つきで、背もラーカイラムより頭一つ分は高い。赤い髪をした中年の男だ。


「嬢ちゃん、怪我はないかい?」


 腰を抜かしてへたりこんでいたアルティナは無言で何度も首を縦にふる。


「ん。それじゃ、あの血だらけの兄ちゃんのそばへ行ってな。俺の近くにいるととばっちりを受けるぞ」


 イリーシャへと視線を移す赤髪の男の表情には明るさすら漂っていた。


「貴様、邪魔するつもりか!」


 鋭い語気のイリーシャ。威圧感を強めるかのように、鈍重な金属音が届く。映像盤が正常になったのだろう、先程の殻闘機がこちらに接近しつつあった。


「他になにがあるんだ。この状況で大道芸でもやれって言うのか?」


 赤髪の男はつまらなさそうに答えた。


「今日は馬鹿によく会う日だな」


 イリーシャが指を鳴らすと、殻闘機は戦闘態勢へと移った。手首の装甲がずれ、内部からせり出た二連式の銃口を赤髪の男に向ける。


「かまわないから蜂の巣にしてやりな。ただし、どんなことがあっても小娘にだけは当てるんじゃないよ」

「やれやれ、血の気の多い姉ちゃんだ。

 仕方ない。とっておきの芸を披露してやるか」


 赤髪の男は懐から取り出した筒状の物を大きくふるった。強い音とともに筒の先端から光の粒子が噴き出し、長い刃を形成する。


「|光刃剣(こうじんけん)だと?!」


 ラーカイラムは驚きを隠せなかった。それはどうやらイリーシャも同じのようだ。


 光刃剣とは古代に作られた武器で、その名称の由来となった光の刃はあらゆるものを切り裂くと言われていた。その仕組みはいまだ解明されておらず、現存するのはこの大陸でも数本だけだとラーカイラムは聞いたことがあった。


「あんな物をもってるなんて……何者だ、あいつ?」


 殻闘機の銃が耳をつんざくような音を撒き散らす。


 止血のためにとターバンをきつく巻いてくれていたアルティナが、強張らせた顔をはね上げた。


 光刃剣がかすかに唸った。三日月にも似た光の粒子の軌跡が一瞬だけ宙に留まり、霧散する。


 気合いとともに赤髪の男は激しく剣をふり回した。乱舞する光が幾重にも重なり、赤髪の男を守る壁と化す。躍動する光に触れた瞬間、銃弾はことごとく消滅していった。


 光刃剣にこのような使い道があるとはラーカイラムも知らなかった。古代の超技術の結晶であるからどのような能力があってもおかしくはないが、光の粒子を障壁として使用するなど、あの男の太刀さばきも並の速さではない。


 予想外の展開に殻闘機らは狼狽気味だった。


「くっ、こんなことが……」、イリーシャがなんらかの決断をし、アルティナめざして走る。


 気づいたラーカイラムはアルティナをかばおうと前に出た。意志に反して、足を踏ん張ることさえできない。身体を支えるのがやっとだ。


「退け、死に損ない!」


 身体を低く、紅色のナイフを地面すれすれに垂らしながらイリーシャが迫る。


「誰が? この俺様が負けるわけねぇんだよ!」


 ラーカイラムは前へ倒れこむようにして、ありったけの力をこめた拳を叩きつけた。炎が、ラーカイラムの脇腹から胸にかけて疾り抜ける。


「ぐっ!」


 手応えはあった。金色の仮面がはじけ飛び、イリーシャは大きくよろめいた。


 ラーカイラムの腹部から血がしたたり落ちる。傷そのものは浅いが、皮膚下の肉を直に灼かれたため、その部分を削ぎ捨ててしまいたいほどの苦痛だった。


「よくも……このわたしの仮面を……」


 イリーシャの声が、なにかを呪うように暗く響く。そちらへ視線を移したラーカイラムは硬直し、痛みも忘れてしまった。


 イリーシャの右の素顔----額から頬にかけて----が赤黒く変色しきっていた。高熱によってただれた皮膚や肉がなんの治療も施されずに放置され、そのまま固まってしまったかのようだ。いくつもの斑点は腐った傷口に群がる蛆虫を連想させた。


「そいつは……」


 美しい左側との差が著しいだけに、ラーカイラムは憐れみさえ覚えた。


 イリーシャが仮面を拾う。だが、大部分が欠けており、目元しか隠すことができなかった。


「貴様を八つ裂きにしてやりたいところだが……今は例のものを確保するのが優先だな」


 イリーシャは自分に言い聞かすように呟いた。声になんの感情もこめられていないことが、むしろ怒りのすさまじさをあらわしているようだ。


 睨み返しつつ、ラーカイラムは銃を求めた。少し離れた位置に見つかったものの、それを手に取ってから弾丸を詰め換えているような暇はない。おまけに身体が言うことを聞いてくれそうにない。しかし、諦めるわけにはいかなかった。


「どっちも、てめぇにはできっこねぇよ」

「ふん。状況がわかっていないみたいだな」


 イリーシャが歩を進める。と----


「おまえさんもな」


 背後からスッと伸びてきた光の刃が、イリーシャの喉元につきつけられる。


「貴様、いつの間に……」

「ああ。姉ちゃんの仲間なら、ほれ」


 赤髪の男が顎で指す。両手両足、さらには頭部まで断ち切られた殻闘機が無残な姿をさらしていた。胴体そのものも両断されており、機械油に混じって赤い液体が目につく。着用者だった人間も生きてはいない。


 赤髪の男のほうは傷を負うどころか、まったく疲れていないようだ。五人もの人間を斬り伏せておきながら顔色一つ変えていない。


「攻撃を止めるよう忠告したのに聞いてもらえなくてな。おまえさんはどうする? こっちの質問に正直に答えるなら見逃してやってもいいぞ」

「ならば殺せ。部下を死なせておいて自分だけ助かろうとは思わない」


 冷静な口調だった。虚勢ではなく、本心からそう考えているようだ。赤髪の男は満足そうに頷いた。


「気にいった。よけいに殺したくなくなったよ」


 光の刃が収縮し、飾りけのない柄に戻る。


「いずれ後悔することになるぞ」


 イリーシャの表情は苦汁に満ちていた。赤毛の男から離れると、まるでなにごともなかったかのような足取りでこの場を去ってゆく。


「次はもう少し骨のある奴らを連れてこいよ」


 赤髪の男の陽気な声にイリーシャは一度だけ振り返った。逆光のためはっきりと見えたわけではないが、ラーカイラムは彼女の目から涙がこぼれていたような気がした。


「と、それどころじゃねぇな……」


 ラーカイラムは目に入った血を拭った。


 名も知らぬ中年男が味方と決まったわけではないのだ。

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