第9話_仮面の女


 衝撃が疾る。


 地をへこませ、放射状の亀裂を生み、あらゆるものを破壊していく。


 建造物の崩壊がさらなる崩壊を呼び、被害は連鎖的に拡大していった。


 大小無数の破片が飛び散り、塵煙がなにもかもを包みこもうとまたたくまに広がってゆく----


「……なんとか助かったみてぇだな」


 伏せていたラーカイラムは顔を上げ、様子をうかがった。細かなガラス片があたりにちらかっており、背には小石のような瓦礫がいくつも乗っていた。


 切り傷やすり傷を負っただけで、どうやら運よくつぶされずにすんだようだ。


「だったら早く退いてよ」


 真下でアルティナが困ったような表情で口をとがらせていた。ラーカイラムは自分の体で彼女をかばってやったのだ。結果的に押し倒す格好となり、アルティナはなにかを言いたげだったが、今はそんなことを気にしていられない。


 言われたとおりにしつつ、ラーカイラムは周囲に視線をめぐらせる。直感が危険を告げていた。


「どこだ……」


 視界はまだ完全には晴れていない。だが、確かになにかがいるはずだった。


 アルティナの小さな叫びが耳を打った。ラーカイラムは銃を引き抜きざま、そちらへと向きなおった。


「どうした!」

「服が……こんなに汚れちゃったぁ。あ、ほころんでるところも」


 手であちこちをぽんぽん、と払うアルティナはべそをかいていた。なにかがあらわれたのではないかと気負っていたラーカイラムはかなり拍子抜けした。


「そんなことでいちいち騒いでんじゃねぇ。どうせおまえの金で買ったもんじゃねぇだろうが」

「そんな言い方ってないじゃない。これ、気に入ってたんだから。洗えば綺麗になるかなぁ」


 アルティナは真剣に悩んでいる。ラーカイラムは彼女にも聞こえるように嘆息した。馬鹿にされたと思ったのか、


「ラークの嘘つき。なにが、めったなことじゃ崩れないよ。嘘つきは泥棒の始まりで、泥棒はすぐに捕まって縛り首にされちゃうんだからね」


 アルティナがわけのわからない理論で非難する。ラーカイラムは顔も向けずに反論した。


「俺は最初から盗人みてぇなもんだから嘘ついたってかまわねぇんだよ。それにな、あれは嘘じゃねぇ。

 どうやら、めったじゃないことが起きたみてぇだ」


 塵煙がかなり薄らいできている。むこうは既にこちらを見つけているかもしれない。


「めったじゃないこと?」

「すぐにはっきりするさ」


 その時がきた。

 ズンッ、と威嚇するような重い足音をたて、そいつらは姿をあらわした。


 そいつらは人間とは異なっていた。


 金属質の光沢をもった緑色の身体の大きさはラーカイラムの三倍近い。頭部には一つの『眼』があり、ガラス質の表面にラーカイラムとアルティナが反射して映っている。全体的に丸みを帯びた形状は、弾丸の貫通力を分散させるためだろう。


「な、なによ。あれ?」


 アルティナが怯え、ラーカイラムの服を引っ張っるようにして強く掴んだ。


「殻闘機(かくとうき)。古代の魔術を応用して造られた戦闘用の鎧だ。中には人が入るんだが、あんなちんちくりんなもんを好んで着る奴の気がしれねぇぜ」


 軽い口調とは裏腹に、ラーカイラムの神経は緊張しきっていた。殻闘機は全部で五体、ラーカイラムとアルティナを遠巻きに囲んでいる。しかし、それ以上なにもしてこなかった。


「てめえら何者だ? あんなことしやがって……俺じゃなかったらぺしゃんこになってるぞ!」


 ラーカイラムは語気を強めた。建物が倒れてきたのはこいつらの仕業に違いない。


「わたし達が何者か、なんてことより自分の身を心配しな」


 無言の殻闘機に代わって答えた声は女のものだった。悠然とした足取りでこの場に近づいてくる一人の人物。年の頃は二十代前半だろうか。口許を除いて、顔の右半分を仮面で覆っている。黄金色の仮面で、表面に美しい彫刻が施してあった。左の素顔も調っている。だが、男でも真似できないほどに目つきが鋭い。紫色の髪は短く、着ているものは男物の戦闘服だった。


「てめぇがこいつらの親玉かよ。なかなかおもしろいことをやってくれたじゃねぇか」


 ラーカイラムは仮面の女から危険な匂いを感じ取っていた。単に「戦闘能力が高い」というものとは異なるなにかだ。


「おまえがあの程度で殺られるわけがないだろ、《黒い狼》」


 相手に通り名を知られていてもラーカイラムは驚かなかった。《黒い狼》は裏の世界では有名なのだ。しかし、《黒い狼》だと承知のうえでラーカイラムに喧嘩を売ってくる者は少ない。


「俺になんの用だ?」

「おまえに、ではないんだけどね。その娘をこちらに渡して欲しいのさ」

「またかよ」、ラーカイラムは冷たい目でアルティナを見た。

「おまえ、なにをしでかしたんだ?」

「知らないわよ。あたしだって迷惑してるんだから」


 ラーカイラムの陰に隠れたアルティナがうろたえ気味に親指の爪を噛む。


「なぁ、あいつらと一緒に行ったほうが手っとり早く過去を思いだせるんじゃねぇのか」


 そのほうが自分も楽だ。例の呪文護符はここまでの必要経費とさせてもらおう。そんなことを半分本気で考えていると、


「なにをこそこそしている。《黒い狼》、もとよりおまえには関係のないことだ。おとなしくその娘をよこせば、五体もの殻闘機の相手をしないですませてやるぞ」


 仮面女の一言がラーカイラムの心を決めた。なめられて引き下がるわけにはいかない。


 ラーカイラムは金色の仮面を見据えたまま、アルティナを強引に抱き寄せた。「ちょっ、なにするのよ」、さも嫌そうなアルティナの抵抗をラーカイラムは無視した。


「俺はこいつと契約しててな。護衛も請け負ってるんだ。物騒なてめぇらにやるわけにはいかねぇな」

「危険手当ては出さないわよ」


 腕の中から見上げながら、アルティナがぼそっと呟く。せっかくの闘志に水を差す台詞だ。ラーカイラムは聞かなかったことにした。


「はっ、《黒い狼》が馬鹿だとは知らなかったよ。利口な奴だったら組織に入れてやろうかと思っていたんだけどね」


 仮面女が下目遣いで嘲る。美人なだけにそんな態度もさまになっていた。だが、ラーカイラムも負けてはいない。


「サル山の仲間入りなんざしたくねぇよ。弱ぇ奴はすぐ群れたがるから困るぜ」

「ラーク。相手を挑発したらなにされるか……」


 アルティナの危惧はすぐに現実のものとなった。しかし、ラーカイラムとしては望むところだ。


「なら、力ずくで奪い取るしかないね。今さら考えが変わっても遅いよ。

 おい。その男を二度と立てなくしてやりな」


 殻闘機の円陣が縮み始める。仮面の女は冷ややかな笑みを形作り、ラーカイラム達を眺めていた。


「ラーク、どうするのよ。あんなの五つも敵にまわして」

「心配するな。一つ訊くけどな、五匹の蟻と一頭の狼、闘ったらどっちが勝つ?」

「そりゃあ、狼だろうけど」


 アルティナが怪訝そうに眉根を寄せる。


「そういうことよ!」


 ラーカイラムは叫んだ。懐から取り出した手投げ弾のピンを抜き、球状の本体を足元に落とす。と、同時にアルティナを再び脇に抱え、殻闘機の一体めがけてつっ走った。


 一瞬後、手投げ弾が炸裂した。しかし、爆圧や熱風は襲ってこない。


 代わりに、閃光がほとばしる。


「なによこれ? 目が開けてられない!」

「好都合だ。しばらくつぶってろ」


 正面の殻闘機が腕を大きく振る。低く身を屈めてかわしたラーカイラムの頭上すれすれを、凶悪な力を秘めた重い風が吹き抜けた。アルティナのおでこがラーカイラムの膝にぶつかったが、この状況下ではたいしたことではない。


 目の前にいる殻闘機の脇をすり抜け、包囲を突破したラーカイラムは一目散に逃げ出した。


**********


「----ちぃっ、ふざけた真似を」


 女は頭をふり、目をしばたたかせた。


 瞳を突き刺すような光は消えていたが、左目はまだ回復していない。だが、仮面の覗き穴には紫外線を最小限しか透過させない色つきの膜が張ってあるため、右目は無事だった。


 機械の作動音とともに、殻闘機の手首のあたりから銃口が出現する。


「銃は使うな!」


 女は怒鳴りつけた。殻闘機の無機質な『眼』が、黄金の仮面を捉えようと忙しく動く。


「やはりな。奴の閃光弾のせいで視覚モニターに焼きつきができているのだろ。動体センサーや聴覚センサーだけを頼りに撃ってみろ。間違いなくあの娘にも当たる」


「しかし、イリーシャ様。このままで逃げられてしまいます」


 殻闘機の中にいる人間の声が装置を通して外へもれてきた。


「言われなくてもわかっているさ。ここはわたしに任せな」


 イリーシャと呼ばれた仮面の女は楽しそうに口の端を上げた。近くに立てかけておいたライフル銃をかまえ、


「このわたしをコケにしたことを後悔させてやるよ」


《黒い狼》にじっくりと狙いを定めていく----


**********


「もう下ろしてよ」


 うんざりとした口調で、アルティナ。


「駄目だ。おまえの足にあわせたらすぐに追いつかれちまう。運んでやってんだから少しは感謝しろ」


 ラーカイラムはまだ息を乱してさえいなかった。いくら体力に自信があるとはいえ、これはアルティナが軽いおかげもある。

「偉そうに。だいたい、蟻五匹なんてあっと言う間に倒せるんじゃなかったの?」

「気にするな。さっきの状況だと、どう見たってこっちが不利だったからな」


 アルティナを守りながらでは勝ちめが小さい。そのことは黙っていた。



 不本意だがここは一度退くしかないだろう。確かこの都市には地下街があったはずだ。とりあえずそこへ身を隠すしかない。


「調子のいいことばかり言って。これからどうするつもりなの?」


 呆れ顔のアルティナに答えようとした時、長い銃声とともに熱い痛みが腿を貫いた。

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