第8話_廃棄地区


 空が、雲が、朱に染まっていた。


 西の地平線にのった太陽が世界を燃やす。


 丈の長い草原を貫く形でまっすぐに伸びた街道。そこに落ちるラーカイラム達の影さえも紅い。


「ねぇ、ラーク。ちょっとだけでいいから休もうよぉ」


 数歩遅れているアルティナが甘え声で提案した。


「駄目だ。日が暮れるまでには町へ入っておきたいからな」


 ラーカイラムはにべもなく却下した。アルティナが早く服を決めてルースハを離れていれば、今ごろは宿でビールでも飲みながらくつろいでいたはずなのだ。


「たかが半日歩いてるぐらいでへばってんなよ。先は長いんだぜ」


 ラーカイラムはふり返らずに言う。


「長いって、どのくらい?」

「この調子で行くと一週間てところか」

「そんなに? その間ずっと歩きどおしなの?」


 アルティナの声には早くも嫌になっているような響きがあった。


「当たり前だ。いちおう、夜はどこかの町に泊まるつもりだけどな。ちんたら進んでると野宿になるかもしれねぇぞ」


 一本取った、とラーカイラムは満足した。いくら気楽な性格とはいえ女性。野宿は嫌うに違いない。これであまり文句を言わずに足を動かしてくれるだろう。


「だったら次の町で馬車を手に入れようよ。そうすればくたびれないし、中で寝ることもできるじゃない」


 名案を思いついたように声をはずませるアルティナを、ラーカイラムは半眼で眺めた。


「ほう……その趣味のいい服、いくらしたか教えてやろうか。昨日の晩メシ代、どのぐらいだったか知りたくねぇか。参考に財布の中身を見せておいてやろうか」

「や、やぁねぇ。なに本気で怒ってるのよ。もちろん冗談よ。じょ、う、だ、ん。

 さ、馬鹿やってないで早く行きましょ」


 アルティナは曲げていた背筋をしゃんと伸ばし、目をそらしつつ、ラーカイラムを追い抜いた。先程まで脱力感の塊だったのに、ラーカイラムから離れたがっているかのように歩が早い。


「すなおにしてりゃ可愛げもあるんだがなぁ」


 口を開くと小憎らしい。この娘ならば記憶をなくしたままでもたくましく世の中を渡っていけるだろう。


「やれやれ。面倒な荷物を抱えこんじまったぜ」


 ため息をつき、ラーカイラムは空を仰いだ。


 いくつもの雲が流れている。重なったり切れたり、刻々と変化しながら。


 地上ではそよ風すら吹いていない。街道は静かなものだった。馬車でも通れば乗せてもらうところだが、二人の他には遠くを歩いている人影がまばらにあるだけだ。


「あー、やっと見えてきた」


 嬉しそうにアルティナが指差しているものは遥か前方の、町のような広がりをもつ影だった。


 ラーカイラムは彼女の勘違いを訂正しておくべきだと思った。黙っていてあの場所に着いた時、アルティナががっかりするのは目に見えている。


「喜んでいるところ悪いんだがな。あれ、町じゃねぇんだ。いや、町と言えばそうなんだが宿はおろか、まともな家なんてありゃしねぇ」


「はぁ? なにそれ。もっとわかりやすく説明してよ」


 正直なところあまり気がのらない。それでも、不満顔のアルティナがしつこくせがむので、ラーカイラムは話さざるを得なかった。


「あそこはただの廃棄地区さ」


 廃棄地区。それは古代文明の都市の残骸のことである。


 破壊されて機能を失った都市は捨てられ、風雨にさらされたまま幾百年の時をすごしてきた。再開発を行なおうにも労力や道具が不足しており、また、そのために必要な投資に見合うだけの価値も認められていなかった。


「なんの価値もねぇ、過去の亡霊だ」


 ラーカイラムが吐き捨てるようにして締めくくる。隣りに並んで聞いていたアルティナの表情が苦々しいものとなっていた。


「どうした?」

「あ、ううん。別に。ところで、古代文明って結局なんなの? 魔術や古代呪文ってのも昨晩の解説じゃいまいちわからなかったし」


 慌てたように質問を投げ、話題を変えようとするアルティナ。その様子をラーカイラムは不思議に思ったが、それも少しの間だけだ。


「ずっと昔に文明が、世界そのものが一つの終わりを告げたんだ。その先史文明が遺したもの、そいつは俺達なんざ想像もつかねぇ高度な技術だった。

 あらゆる奇跡を可能にし、死や破滅さえ弄ぶことのできる力。人間が扱うには強大すぎるその力を、いつからか皮肉的に呼ぶようになったんだ。……『魔術』、ってな。

 古代呪文は俺達が日常使っているものとはまったく異なった言語だ。魔術を発動させて維持するために大昔に生み出されたらしいが、今じゃ魔術師でなきゃ理解することはできねぇ。

 と、ガキの頃に読まされた教科書の受け売りなんだが理解できたか?」


 アルティナは両のこめかみを人差し指で押さえ、小さく唸った。


「まぁ、だいたいね……でも、ラーク。なんで不機嫌そうに話すの?」


 アルティナが上目遣いで反応をうかがう。

「別に俺は怒ったりしてねぇぞ」

「だったらいいんだけど。ひょっとして、食事と服の代金のことを根にもってるのかなと思って……。

 良かった。そうだよね、ラークはそんな器の小さい男じゃないもんね」


 裏に含みのある言い回しだ。男ならこれからは金のことを口にするなという意味だろう。


 ラーカイラムは負けじと軽口をたたく気になれなかった。


 実のところアルティナの指摘どおり、ラーカイラムは機嫌を損ねていた。魔術のことを口にする時にはどうしてもこの感情を抑えられない。


「これからは顔に出さないよう、少しは努力してみるか」


 そう考えたものの、無駄なことだと予想はできていた。


**********


 街道は廃棄地区を避けていた。が、見捨てられた都市を通り抜けるほうが近道だとラーカイラムが保証した。慣れた者は必ず廃棄地区のほうを選ぶらしい。少しでも早く町に到着しようと二人は街道から離れた。


 廃棄地区が近づくにつれ、アルティナは緊張していった。


「こ、これ……」


「安心しろ。これ以上はめったなことじゃ崩れねぇ」


 今にも倒れそうな角度に巨大な建物が傾いでいる。実際、折り重なって倒壊しているものがいくつもあった。縦横に割れ、あるいは溶けかかったものも多い。


 建物の破片と思われる鉄や石の塊で路面はあらかた埋めつくされていた。


 しっかりとした足取りで前を行くラーカイラムとの差が開く。足場が悪いせいだ。急ぐとよけいに体勢を崩し、転びそうになったので手をついた。


 掌がちくっ、と痛む。小さいが、鋭いガラス片が刺さっていた。


 それを抜き取ったアルティナは傷からにじむ血を口で吸いつつ、辺りをぐるりと見回した。


「似てる……」


 昨夜の夢と。町の様式や破壊の痕跡が。夢に出てきた惨劇の舞台と実にそっくりだ。


「こういう町があるってことは……あの夢は本当にあったことなの?」


 しかし、自分がそれにどう関係しているのか。


 なにか、頭の片隅に引っかかるものがあった。意識の手でまさぐるものの、それをつかみ取ることができない


 耳鳴りがする。鼓膜の奥でかすかに響く声。


(過去を忘れて、なにもかもなかったことにするのか?)


 山のような瓦礫の下、怪獣にも似た建物の骨組み。いたるところに亡者が潜み、呪いの言葉を吐いていた。


 アルティナは後退った。その肩になにかが乗り、驚きと恐ろしさのあまりアルティナは心臓が止まりそうになった。


「どうした? 顔色が良くねぇぞ」


 アルティナの肩に手をのせたラーカイラムの声が幻をかき消した。


 詰まりそうだった呼吸が楽になる。手にはじっとりと冷たい汗をかいていた。


「大丈夫……。ちょっとめまいがしただけだから」


 ばれないようにアルティナは掌の汗を拭いた。馬鹿にされそうなので昨夜の夢のことは隠していた。第一、ラーカイラムに話したところでなにかが解決するわけではない。


 心を見透かそうとするような視線をラーカイラムがそそぐ。不安になっていたためと、本気で心配してくれているようだったので、悪い気はしなかった。しかし、長い間目線が重なっているとさすがに恥ずかしい。


「ひと休みするか」


 唐突にラーカイラムが告げ、背を向けた。


「あたしなら平気だよ。疲れてないから」


 気を遣わせまいとしたが、「俺がへとへとなんだよ」、ラーカイラムには通用しなかった。


 ラーカイラムにはばてている様子など微塵もない。アルティナは感謝の言葉を口の中で呟いた。


 腰を下ろし、足の筋肉をもみほぐすアルティナ。昔はあまり運動をしていなかったのか、ふくらはぎがぱんぱんに張っていた。


 銃の手入れをやっているラーカイラムから水筒が投げ渡される。一口だけのつもりが二口、三口と水を含んでしまった。


「静かだね」


 それが、自分達の他には動くものがいないためだと気づいて、アルティナはぞっとした。人間や野生動物はおろか、植物さえも見当たらない。


 風が吹いた。そよぐものもなく、寒々とした風鳴りが細く流れてくる。


「この都市は死んでいるのさ」


 もの寂しさをあおるようなことをラーカイラムが言った。


「で、でも、天まで届きそうな建物をいくつも作ったりするんだから、古代の文明ってすごいよね」


 重い雰囲気を払おうと、アルティナは努めて明るく声をかけた。


「古代文明がすげぇもんか。大昔の馬鹿どもが遺した魔術で、どれだけの人間が苦しめられたか……」


 ラーカイラムの険しい表情をアルティナは見誤らなかった。さっきは目の錯覚かと思ったが、古代文明や魔術のことを口にする時のラーカイラムはなにかを嫌悪している。


「それに今の言葉……」


 まるで魔術の裏の面を知っているかのような物言いだ。だとしたら、古代の都市が破壊された理由----自分が見た夢に関連したなにかを聞き出せるかもしれない。


「ラーク。ちょっといい?」


 覚悟を決めて尋ねようとしたものの、ラーカイラムは応えてくれなかった。


 獣が獲物を探るような目をあちこちへ走らせている。アルティナのことなど眼中にないようだ。


「ラークってば……」

「黙ってろ」


 有無を言わせぬ調子に、アルティナは素直に従った。


 ふいにアルティナの耳に奇妙な音が入った。なにかがきしんでいる。それは次第に大きく、間隔が短くなっていた。


 二人の頭上にふっ、と影が落ちる。建物のひとつがゆっくりと、こちらに倒れこんでくるところだった。


 驚きの声をあげるより先に、アルティナは自分の身体が軽くなるのを感じた。ラーカイラムが片腕で彼女を抱え上げ、影から逃れようと疾走する。


 巨大な根棒と化した半壊の建造物が見えない力でふり下ろされてゆく。それは徐々に勢いを増し、周囲を巻きこんでいた。


「あたし達もつぶされちゃうの?」

「やかましい。しゃべってると舌噛むぞ」


 横倒しになっていた柱を跳び越えつつ、ラーカイラムが忠告する。


「これって絶対、ここで死んだ人達の祟りよぉ!」


 アルティナは心の中で泣き叫んだ。


 次の瞬間、轟音とともに世界が上下に跳ねた----

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