第6話_瞳の奥にひそむ亡霊
アルティナは力任せに枕を投げつけた。
狙ったのは隣りの部屋----壁にさえぎられたが、衝撃は反対側にも伝わっているはずだ。隣室には、今しがた別れたばかりのラーカイラムがいる。
「ふざけないでよね! なにが気楽な奴だよ。人の気も知らないで。
自分の名前以外のことをきれいさっぱり忘れていて……それで悩まないわけがないじゃない!」
怒りの言葉を壁に叩きつける。反応のないことがアルティナをよけい不愉快な気分にさせた。枕を拾う気にもなれず、アルティナは倒れこむようにしてベッドへ横になった。
天井には、照明用のランプが吊り下げられていた。灯さなくとも、外の建物の明かりや月の光が室内をごく薄い青紫色に染めており、なんら不都合はなかった。
「あたしがせっかく、よけいな気を遣わせないようにしてあげてたっていうのに。なによ、あの言い種」
やり場のない憤りをこめ、親指の爪を強く噛むアルティナ。
暗く沈むのは同情を誘おうとしているようで嫌だった。だからずっと、ラーカイラムの前では無理にでも明るく振る舞っていたのだ。
「もう、頭にきた。記憶さえちゃんとしていれば今すぐにでも別れてやるのに」
ラーカイラムと行動をともにすることに決めた理由はいくつかある。
まずは、目覚める前のアルティナのことをほんの少しだけでも知っているため。どこでどういう手掛かりとなるかわからないからだ。ラーカイラムの他に頼れる者がいない、ということも挙げられる。そしてなにより、こうなる原因を作ってしまったことに負い目を感じて積極的に協力してくれるだろうと予想したためだ。しかし、性格と口の悪さは計算外であった。
「あ~あ。あの男について行けば本当に記憶が戻るのかなぁ」
のぼせていた頭が冷えてくると、今度は不安なものが脳裏をよぎり始めた。薄暗い部屋に一人でいるためか、どうしても悲観的な考えがうかんできてしまう。
「ずっとこのままだったらどうしよう……」
弱音を吐くと、それまでこらえていた想いが一気に噴き出してきた----
どんな人生だったのか。
家族や友人にはどのような人がいたのか。
慕っている男はいたのだろうか。
自分自身を好きだと言えていただろうか。
そんなことさえわからない今の自分がまるで無価値なガラクタのように感じられた。どんなことでもいいから思いだしたい。
美しい記憶でなくても良かった。失敗や後悔の苦い思い出でも、自分が生きてきた証しとなり、成長の足跡を残す。だが、今の自分はそれらの片鱗すら覚えていない。たまらなく寂しく、悲しく、そして情けなかった。
「いっそのこと、助けてもらわなければこんな思いをせずにすんだのに……」
こぼれた涙が耳を冷たく濡らす。
アルティナは目の周りを拭ったが、涙はとめどなく溢れてきた。
**********
----闇の中にぽつん、と光が落ちていた。
突然その光が爆発的に膨脹し、闇に隠されていたものをさらけ出す。
そこには、巨大な町が広がっていた
「なに……これ。夢……?」
アルティナはその光景を見下ろしていた。 奇妙なことに肉体の感覚がない。浮遊感をともなった意識だけがその場にあるような感じだ。
競うように乱立する、天まで届きそうな建物。
道の上だけでなく、宙に張りめぐらされた透明な筒の中を、高速で走っていく乗り物。
ゴミひとつない、様々な店の並ぶ通りを多くの人々が行き交う。
建物の照明、乗り物が放つ光の束、街灯や看板の明かりが集い、夜の町を真昼のような色に染め抜いている。
舗装された地面には土も、草木もない。ただ、人によって造り出されたもののみが占めている世界----
華やかでありながら、何故か空虚で寒々しい雰囲気があった。
「どうしてこんなものが……」
わけがわからずにアルティナが困っていると----
なんの前触れもなく、空がふたつに裂けた。
一本の青白い稲妻が、天から放たれた矢のごとく疾り下りる。それは音もなく町へと吸いこまれていった。
次の瞬間、すべてが閃光に包まれた。
光そのものが力となって膨れあがり、爆発音が大地を、大気を、裂かんばかりに震わせる。
そびえ立つ建物のガラスが砕け、鋭い雨となって降りそそぐ。
巨人にも似た建造物がたわみ、折れ、吹き飛び、飴細工のように溶け、曲がってゆく。
落下する破片が加速によって凶器と化す。それらは人間を突き刺し、切り刻み、あるいは押しつぶした。
乗り物が次々と追突し、炎上する。
混乱し、我先にと逃げる群集。足をもつれさせて転んだ老人になど目もくれず、容赦なく踏んでいく。
地が割れ、噴き上げた焔の柱が生き物のようにあらゆるものを喰らおうとする。
破滅的な破壊の力----
悲鳴や怒号は絶え、屍が無残なありさまで重なっていた。焼け、あるいは血まみれとなり、男か女も判別できない。ある屍の腹部から臓物がこぼれており、その中に埋まっているのは赤ん坊の首だった。
あまりの凄惨さにアルティナは嘔吐を催した。
「ひどい……なんでこんなことが……」
(苦しい。おまえのせいだ)
低い声が響く。
「え?」
(俺がなにをした……)
(どうして僕達が……)
地の底から轟くような暗い声だ。アルティナは恐気を感じた。
「誰だか知らないけど止めてよ。なにがあたしのせいだって言うの!」
(俺達を殺した)
(私の赤ちゃんを焼いた)
(あたし達の未来をめちゃくちゃにした)
のそり、と死体の一つが立ち上がった。それを皮切りに、人影があとからあとから身を起こす。手足の欠けた者、頭蓋がひしげている者。それらが血みどろのままゆっくりと歩を進める。
亡者の流れは細いものから大河となって、まっすぐにこちらへ向かってきた。無数の双眸が赤く、ぎらぎらと輝いている。
(憎い。すべてを奪ったおまえが憎い)
「こないで! あなた達のことなんて知らない。あたしはなにも覚えていないんだから!」
恐怖のあまりアルティナは叫んだ。自分のほうへと近寄ってくるのに、この場から離れることができないのだ。
(忘れてしまえばどんな罪でも許されるのか?)
(おまえがそのつもりでも、我々の苦しみが消えることはない)
慟哭する死者の群れが手を伸ばす。つかまれそうになった瞬間----
はじかれるようにしてアルティナの目は覚めた。
視界にあるのはランプを下げた天井。バイロンの店の二階にある、宿泊客用の部屋だ。
シーツが湿っている。全身に冷たい汗をかいていた。
体の芯から寒気がする。アルティナは額にはりついていた前髪を払った。
「今の……」
夢にしては現実感をともないすぎている。細部まではっきりと脳裏に焼きついていた。
自分が唯一知る町のルースハとは似ても似つかない場所だった。だとすれば、失った記憶に関係があるのだろうか。
「おまえのせいだ」、確かにそう告げていた。
「どういうことよ、いったい。あたしがをなにをしたの……」
思いめぐらすだけで何故か胸騒ぎがする。
悪夢の続きが待っているようで、アルティナはそれから眠ることができないまま夜明けをむかえた。
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