第5話_取引


「つまり、記憶がもどるまで呪文護符をダシにして、この俺をこき使おう。と、そういうわけだな」


 言って、ラーカイラムは空にしたばかりのジョッキ越しに少女の言葉を待った。


「こき使うなんて人聞きの悪い。あたしはただ、記憶を取り戻すのに協力してもらいたいだけよ。その報酬としてこの呪文護符をあげるってこと」

「どこがどう違うんだ?」 

「気分的なものかな」


 ラーカイラムの皮肉を問題にすることなく、アルティナはスープを静かに啜った。


 煙草の煙がこもった空気の中を酒と料理の匂いが混ざり合い、複雑なものとなって流れている。ここはバイロンの店の一階にある食堂だ。


 崩れゆく遺跡から二人は危機一髪のところで脱出に成功した。ルースハにたどりついた時には日も暮れていたので、そのまま泊まるつもりでバイロンの店を訪れたのだ。


 周辺は多くの人でにぎわっており、ラーカイラムが昼に見た場所とは別世界のようだった。この店も混んでおり、忙しそうに動き回るバイロンとはまだろくに話をしていない。


「どう? 引き受けてくれる?」


 スープをたいらげたアルティナがその深皿を、何枚も積み重ねられてできた山の仲間に加えた。すべて彼女一人が食べた跡だ。ラーカイラムは見ているだけで食欲をなくし、注文したステーキにはほとんど手をつけていない。


「なにが、『くれる?』だ。人の弱みにつけこみやがって」


 遺跡の内部でアルティナを起こすことになった経緯や、「やり方がまずかったせいで記憶喪失になってしまったのかもしれない」ということをラーカイラムは既に説明していた。ついでに理由には触れず、ある呪文護符を自分が探していることも彼女には告げておいた。


 アルティナはそれを踏まえたうえで「協力しろ」と言うのだ。ラーカイラムにしてみれば、陰湿な表現で「責任を取れ」と言われているみたいでいい気がしない。


「弱みにつけこむなんてことしないわよ。

 そりゃあ、あたしがこうなった原因の半分はあなたにあって、この呪文護符をあなたが欲しがっているのは事実だけど----

 あたしはそういうことを抜きにして、平等な立場で助力をお願いしてるの。お金なんかもってないからせめて呪文護符をその代わりにするしかないのよ。

 信じてもらえる?」


 真摯な眼差しのアルティナに、


「信じてもらいたけりゃ、そんな話をしながら俺のステーキにフォークを刺すのはやめるんだな」


 頬づえをついたまま、ラーカイラムは冷たく言葉をかけた。


「あ、ごめんなさい。もう食べないのかと思って」


 照れくさそうに肉切れからフォークを引き抜くアルティナ。何事もなかったようにミートパイをつつく少女を見て、ラーカイラムはため息をついた。


「わかったよ。そっちがどんな考えでいるのか知らねぇが、手を貸してやる」


「本当? じゃ、取り引きは成立ね」


 アルティナが嬉しそうに手をぽんっ、と叩く。


「でも、どうやって記憶を蘇らせればいいんだろ……」


「それなんだけどな、まずは俺の知り合いの所へ行こうかと思う」


 魔術師ザリュウの研究所へ。古代魔術の力を使えば、アルティナの直面している問題も片がつくはずだ。仮にザリュウがそのための組体をもっていなくとも、魔術師仲間と連絡をとるなどして、有力な情報を得られるに違いない。


 さらに、報酬として渡される呪文護符の内容が未知のものだった場合にその場で調べてもらえる。一石二鳥というわけだ。


 理由を話すとアルティナは素直に賛同した。


「どうせ他にあてはないしね」

「なら、とりあえずはこれで良しと。それじゃ、呪文護符をもらおうか」

「やだ」


 間髪入れずにアルティナは拒否した。ラーカイラムは納得がいかず、受け取ろうと思って伸ばしていた手を引っこめない。


「なんでだよ?  契約を結んだだろうが」

「あたしは『記憶を取り戻すのに協力してくれた報酬として』って言ったはずよ。最後までつきあってくれないと報酬の意味がないじゃない」

「それは認めてやる。だが、せめて呪文護符に記されている文字を読ませてくれたっていいだろ」

「駄目。もし、あなたの欲しがっているものじゃなかったら、今夜にでもあたしを放っぽって逃げたりするでしょ」

「考えすぎだ」


 そんな気は毛頭ない。いきがかりじょう記憶を取り戻すのに全面的に協力してやる。ラーカイラムがそう補足するより先にアルティナは口を開いた。


「抜け目がないと言って」


 この件についての話はもう終わりとばかりに、アルティナがオレンジジュースのストローをくわえる。


 口では女性に勝てない。ラーカイラムはそのことを痛感した。諦めて従うしかなさそうだ。


「それにしても……よく食うな」


 テーブル上の皿をざっと計算しても四人前は軽く超えている。あの小さな体のどこに入っているのだろうか。


「ずっと寝てたせいでお腹がぺこぺこになっちゃってて……腹が減っては戦ができぬ、って言うでしょ」


「食べすぎ」と表現されさすがに恥ずかしいのか、顔をかすかに赤らめる。


「なぁ。本っ当に、自分の名前以外なに一つ覚えてねぇのか?」


 ラーカイラムは思いきって尋ねた。


「なんで今さらそんなこと訊くの? ここに来るまでにいろんなことを質問して確かめたじゃない」

「そりゃそうだが……食べっぷりを見てると悩んでいるような感じを受けねぇから」


 ラーカイラムが言うと、アルティナはフォークを横にふりながら舌をちっちっちっ、と数回鳴らした。


「落ちこんで解決するなら、いくらでもそうするけどね。悲劇の主人公を気取ったところで昔のことを思い出すわけじゃないし。前向きにいかなきゃ」


「気楽な奴だな」


 ラーカイラムの言葉には感心と呆れが半分ずつこめられていた。


「それより、そろそろデザートを頼みたいな」


 アルティナはメニューを取り、載っているケーキやアイスクリームの写真をほとんど全部指した。アルティナは文字も読めなくなっていたので、このようにして希望の品をラーカイラムが代わりに注文してやるしかないのだ。


 テーブルの上にずらりと並べられたデザート類を眺めるだけで、ラーカイラムは胸の奥が甘ったるくなった。


「おい。代金は必要経費として後から返してもらうからな」

「心配しなくても報酬の中に入れておいてあげるわよ」


 臆面もなくアルティナは微笑み、口の端についていた生クリームをぺろっと舐めた。


 懐の財布がずっしりと重たくなったような気がする。この少女につかまったことをラーカイラムは早くも後悔していた。


**********


 ちょうどその頃----


「あの男に間違いなさそうですね」


 ラーカイラム達を遠くの席からそれとなく観察している者がいた。まだ若く、青年の域を脱していない。


「そのようだな」


 向かいに座っていた男が相槌を打つ。くすんだ赤い髪の、三○代も終わりに近そうな中年だ。服装は二人とも他の客と大差ない。


「だったら、さっさと片づけましょう」


 勢いこんで立とうとする青年を、「その前にやることがあるだろ」中年が意味ありげな言葉で止めた。


「なんです?」、青年が緊張した面持ちで尋ねる。

「まだ料理を食い終わっていない」


 中年はしれっと答えた。そのままつまみを口へと運ぶ。テーブルの上には燗のついた酒や、魚のひらきなどもあった。


「こんな時にもふざけるつもりですか?」


 青年はなにかを抑さえたように低い声を出した。しかし、中年が気にした様子はない。


「これぐらいのことで怒るな。すぐに冷静さを欠くのがおまえの悪いところだな。そんなことではいい仕事ができないぞ」

「どうせ僕はデイルさんと違って半人前ですよ。それで、一人前になるにはこういう時どうしたらいいんですか?」


 ふてくされる青年を見て、「野郎がすねてもみっともないだけだ」デイルと呼ばれた中年は迷惑そうに顔をしかめた。


「俺に考えがある。後できちんと説明してやるから、とりあえず本部へ連絡を入れてこい。目標を確認した、とな」


 指示を下すと青年はすぐ行動に移った。


 相方がいなくなったためか、酒を飲むデイルの表情にはどこかゆとりがあった。


「景気づけには熱燗が一番だな」


 独りごち、視線をラーカイラムとアルティナのほうへと向ける。なにを話しているのかここまでは聞こえないが、無邪気に笑う少女に対し、黒髪の青年は困っているような表情をうかべていた。


「さぁて、他の奴らはどう出るかな……」


 物騒な形の笑みを作るデイル。その灰色の瞳には獣を思わせる鋭い光が宿っていた----

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