第2話_赤い大地のオアシス


 高い空がどこまでも続いている。


 赤茶色の荒れ地が広がり、乾いた風の中に 土埃が舞っていた。


「赤い大地のオアシス」----それがルースハの異名である。


 大陸の南部と西部とを結ぶ大交易路のほぼ中間に位置するこの町は中継基地としての役割を果たしていた。隊商の休憩はもちろんのこと、物資の補給、商品の取り引きなどが行なわれ、数多くの露店で大通りは常ににぎやかだった。


 さらに珍しいこととして、この町の地下には古代文明期に設けられた水路がそのまま残っている。豊富に出てくる綺麗な水は飲料のためだけではなく、最近では潅漑用にも回されていた。天然の河川に恵まれていないルースハの町があるのはこの地下水路によるところが大きいのだ。


「活気があるのはいいが、こう人が多いと歩きにくくてしょうがねぇ」


 裏路地に入るなりラーカイラムはぼやいた。


 さまざまな店と人であふれかえっていた大通りからの喧噪がここまで流れてくる。ラーカイラムはそれらを振り切ろうとするかのように早足で進んでいた。


 この地帯では木材があまり採れないため、建物のほとんどは煉瓦や、粘土とやわらかい石とを混ぜあわせたもので作られている。両側に続く三階建てには所々ひびが入っており、老朽化が進んでいた。ラーカイラムは妙に懐かしいような気がした。


「子供の頃にいた貧民街と似てるな……」


 厳しい生活だったが、楽しい日々を仲間達とすごした場所----今はもう、跡形もない。


 下唇を噛みしめながら、陰りのある角を曲がると、ラーカイラムは何者かにぶつかった。走っていた少年が急には止まれなかったのだ。くたびれた服装の、ひと目で貧民街の住人とわかる子供だ。


「ごめんよ、お兄ちゃん。俺、追われてるからかかわらないで」


 一○歳ほどのその少年はろくに目をあわせず、ラーカイラムの横を抜けようとする。


「こら」、ラーカイラムが迷わず少年の足を引っかけると、少年は見事に転んだ。


「痛いなー。なにするんだよ!」

「下手くそ」


 いたわりのかけらもないラーカイラムのその一言で、頬を膨らせていた少年が表情を強張らせる。


「ぶつかる時はもっと勢いよく、体が当たる直前に手を動かせ。それと、相手をちゃんと選ぶんだな。さ、俺の財布を返してもらおうか」


 組んでいた腕を解き、ラーカイラムは少年の出方を待った。歳のわりにはいい腕をしているが、所詮それは素人を相手にしてのことだ。ラーカイラムまではだまされない。


 少年はいさぎよかった。だぶついた袖の中からラーカイラムの財布を取り出す。それほど中身が入っていないとはいえ、いや、入っていないからこそ、失うわけにはいかなかった。


「次からはこんな路地じゃなく、大通りでやるんだな。鈍い金持ちがすぐ見つかるぞ」

 ラーカイラムがそう言い捨てると、


「兄ちゃん、俺を保安官のところへ突き出さないのかい?」


 神妙な顔をしていた少年は意外そうに目を丸くした。


 保安官とは町の治安を守る役人のことだ。町ごとに組織された自警団ではあるが、横のつながりも深く、保安官の所属する組織をまとめて『保安局』と呼んでいる。


「いやぁ、それがな。俺がおまえぐらいの時も同じことしてたんで、偉そうなことはできねぇんだ。今だって、場所によっちゃ俺自身保安局に目をつけられてるし……」


 言葉を濁らせたラーカイラムは、「苦労してんだね」と少年に同情された。十歳近く年上のラーカイラムとしては苦笑するしかない。


「まぁな。先輩として忠告しといてやるが、貧乏人は絶対に狙うなよ 。獲物は、どん底の暮らしを味わったこともねぇくせにおまえ達を軽蔑するような金持ち連中だけにしておけ。それが、俺達の世界の仁義ってやつだ」

「そういえば、兄ちゃんの財布かなり軽かったな」

「よけいなお世話だ!」


 真実を突かれ、半分本気で怒ってしまった。その反応がおもしろかったのか、少年が笑う。からかわれたみたいで、ラーカイラムはあまりいい気がしない。


「ったくよ……あ、そうだ。おまえ、この町のことは詳しいだろ。バイロンって奴がやっている店を知らないか?」

「あの人の店かな」


 少年の思い当たる店は一軒しかなかった。ラーカイラムは道案内を頼み、ついでに荷物も運ばせた。大きめのバッグで、遺跡荒らしに必要な道具や大型の銃がつめこんであるため、少年にはたいした労働だ。


 バイロンの店はごくありきたりな、宿と食堂を兼ねたものだった。夜の繁華街の一画にあるため、昼前のこの時間では人通りも少ない。ラーカイラムは多めの駄賃をやり、少年と別れた。


 扉を開けると、上部に取りつけられている鈴が涼しげに鳴った。


 客はもちろん、カウンターの裏にも誰一人として見当たらなかった。掃除のためだろう、テーブルの上にはイスが逆さまにして置いてある。内装からすると大衆向けの店のようだ。


「おい。誰もいねぇのか!」


 ラーカイラムが声を張りあげる。しばらくすると奥のほうからずんぐりとした男が姿をあらわした。


「なんなんだ、こんな朝っぱらから?  表に『準備中』と吊るしてあったろ」


 年齢は四○がらみというところか。眠そうな目で、欠伸をしながら顎の無精髭をなでている。


「あんたがバイロンさんかい?」

「そうだが……」

「あんたから買いたい情報があるんだ」

「なんのことだ? うちが扱っているのは酒や食いものだけだ」


 ラーカイラムが本題に移ろうとした途端、バイロンの態度が変わった。眠気は飛んだようだが、どこか拒否的な感じがする。元々無愛想な性質なのだろうか。


「そんなわけねぇだろ。バイロンって情報屋がこの町にいるって……ひょっとして、もう足を洗っちまったのか?」

「なんのことかさっぱりわからん。だいたい、このルースハに同じ名前の人間が何人いると思っているんだ」


 バイロンのそっけない返事に落胆したラーカイラムは心の中で舌打ちした。男の言っていた遺跡のことを尋ねたかったのだが、当てがはずれた。


「そうか……邪魔したな----

 まったく、ザリュウの奴め……バイロンの店がいくつもあるなんて俺は聞いてねぇぞ」


 去りながらぼやくラーカイラムを、


「ちょっと待て! 今、ザリュウの名を口にしなかったか?」


 咎めるような口調でバイロンが引き止めた。


「ああ、言ったぜ」

「おまえ、あいつの知り合いか? あいつはどこにいるんだ?」


 ラーカイラムがなげやりに答えると、興奮した面持ちでバイロンが詰め寄ってきた。


 ザリュウは腕の確かな魔術師の一人である。レイティアの件を始めとして、なにかとラーカイラムに協力してくれていた。そのザリュウはこの町の出身で、バイロンとは古いつきあいがあったらしい。ラーカイラムはザリュウとの関係をおおまかに話した。


「そうか。ここのとこ音沙汰ないから死んだものと思っていたが、しぶとく生きていたのか……」


 バイロンは口の端をわずかに上げた。嬉しさを素直にあらわせない男のようだ。


「ってことは、やっぱりあんたが情報屋をやってるんだな」

「そうだ。騙してすまなかったな。

 保安局や魔術管理局の連中が最近うろついていてな、奴らに都合の悪い情報を扱っていることがばれると面倒だから初顔は受けつけないようにしているんだ。

 おまえもそうするつもりだったんだが、ザリュウの名を出されたら話は別だ。なにが知りたい?」

「俺が訊きたいのは、ここらで見つかったっていう古代遺跡のことなんだ」

「ほう。まだ公にはされていないはずだが。どうやってそのことを?」


 イスをテーブルから下ろしていたバイロンが、感心したような目をラーカイラムへ向ける。


「五日前に一戦やらかした相手がほざいててな。

 じゃあ、本当なのか」


 どんな些細なことも逃すまい。イスに座って足を組みつつ、ラーカイラムは耳に全神経を集中させた。


「町から離れたところにでかい谷があってな……」、バイロンはそう前置きしてから話を始めた。


 一○日ほど前、この地を地震が襲った。町ではこれといって被害はなかったが、谷では脆くなっていた岩が落ちたり、断崖に亀裂が生じた。切り立った岩壁の一部が崩れ、出現した洞穴の奥で今回の遺跡が発見されたらしい。まだ調査隊すら派遣されていないとのことだった。


「万が一、古代文明が滅んだ頃から隠されてたとしたら……中になにがあってもおかしくねぇな」


 今度こそ、レイティアを救うことのできる古代呪文が手に入るかもしれない。そう考えると、ラーカイラムはじっとしていられなかった。


「ありがとよ、参考になったぜ。いくらだ?」


 まだ公表されていないような事柄だ、値が張るのは覚悟していた。予想通り、バイロンの告げた情報代は相場の三倍以上だった。


「と、言いたいとこだがな。ザリュウの身内から金を取るわけにはいかん。あいつには借りもあるし……」


 払おうとしていたラーカイラムは驚いて手を止めた。いくらずうずうしい性格を自覚しているとはいえ、これだけの額を無料にしてもらうのはさすがに気が退ける。


 せめて何割かは支払いたい。そう申し出るとバイロンは愉快そうに笑った。


「いいってことよ。それより、本当に行くつもりか? どんなに危険な代物があるかわからないんだぞ。せめて、もっと詳しい情報が入ってからでも」

「心配してくれるのはありがてぇが、調査が終わってからじゃ遅いかもしれねぇんだ」


 徒労に終わるにせよ、古代呪文の有無をこの目で確かめないことには納得できない。


 重たい表情となっていたのか、バイロンは説得を諦めたようだった。


「手伝ってやりたいところだが、俺は足手まといになるだけだし」


 バイロンが腕組みして考えこむ。「気にする必要はねぇよ」、ラーカイラムが声をかけると、バイロンはいい案がうかんだように指を鳴らした。


「おまえ、歩きだろ?」

「あ? あぁ、そうだけど……」

「だったら馬を貸してやろう。谷場までの距離はかなりあるからな。待ってろ、すぐ表に回してくる」


 ラーカイラムは困ってしまった。馬の扱いは大の苦手なのだ。だが、好意でやってくれているので無下に断わることもできない。


「『小さな親切、大きなお世話』って、こういうことなんだろうなぁ……」


 一人きりとなった店の中で、ラーカイラムはしみじみと呟いた。

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