第1話_黒い狼


 深い森に銃声が響く。


 続けて二度、三度と――


 驚いた野鳥達が先を争って飛び立ち、翼をもたぬ小動物は巣へと潜っていった。彼らを追い立てるように、乾いた音が重なりながら、澄んだ空気に長い尾を引いていく。街道のはずれに位置し、普段は人の踏み入ることさえ稀なこの森は今、銃撃戦の舞台と化しているのだった。


 茂みの中から男が飛び出してきた。右手に拳銃を握ったまま、鋭い視線を周りへと走らせる。


「あの野郎、どこへ行きやがった…」


 切迫した声をかき消す銃声の直後、隣りの木の幹でなにかが弾け、樹皮が散った。しかし、相手の姿はつかめない。男はその場から離れた。


 乱立する木々が盾となって銃弾を阻んでくれる。男は木と木の間を縫うようにして抜けていった。


 長い歳月の中で積もった落ち葉が腐り、やわらかな土のようになっている。折り重なった梢の隙間からもれる日の光が、まだら模様の影を地面へ落としていた。


 男の顔を伝う汗が顎からしたたり落ち、息も切れている。


「あいつ、いったい何者だ? この俺をここまで追いつめるとは……」


 一流どころの腕をもち、狙った獲物は必ず手に入れ、邪魔なものを片っ端から排除する。それが彼の生き方だった。


 今回も、この森の奥に眠っていた古代の遺跡を荒らし、金目のものを持ち出した。だが、帰る途中で出くわした一人の青年に「遺跡から盗んできたものを見せてもらおうか」と高圧的な態度で要求され、返事代わりに男は銃をぶっ放した。


 それがつい先刻のことだ。


「あの至近距離からの弾丸をかわすとは……あの若僧、ただものじゃないな」


「----てめぇが弱いだけじゃねぇのか?」


 斜め後ろで、挑戦的な響きをもつ声がした。


 男は銃を向けつつ引き金に力を加えた。命中せずとも威嚇にはなるだろう。狙いを定めている暇はない。


 瞬間、声の主である青年の手が、男の拳銃を掴んだ。引き金が動かない。シリンダーを押さえられると回転式の弾倉が回らず、弾丸も撃ち出せないのだ。


 次の行動を取るより早く、男の鼻下めがけて青年が拳をつきだした。


 まともに食らい、男は倒れこんだ。血の流れ出る鼻へ手をやると、人差し指が奇妙な角度に曲がっていることに気がつく。引き金に指をかけていたせいで、殴られると同時に捻り折られたのだ。


 表情を歪める男の眼前に、磨き抜かれた銃口が下りてきた。


「あんた、あんまり強くねぇな」


 冷ややかに青年が言う。


 黒髪の、青年の中でもまだ若い部類に入る男だ。全体的にゆとりのある服装は動きやすさ、そして、身体の急所の位置を読まれにくくすることを意識した結果だろう。見た目は決して大柄ではないが、全身から発する威圧感のためか、実際の身長よりも大きく感じられた。


 青年の銃は同じリボルバーでも男のものよりひと回り大きかった。銃身も長く、太い。


 男の喉仏が動く。唾を飲みこんだのだ。


「俺の負けだ。さっさと殺れ」


 かすかにうわずった声に青年は鼻で笑った。


「強がってんじゃねぇよ。なんなら、見逃してやってもいいんだぜ」


 その言葉に男は驚きの色をうかべた。


「……どういうことだ?」

「俺は無駄な殺しはしない主義でな。目的の物さえいただければ、弱いてめぇの相手をするつもりはねぇんだ」

「目的の物?」


 青年が首を縦に振る。


「てめぇがさっきの遺跡の中で見つけたはずの、『|呪文護符(じゅもんごふ)』だ」

「そういえば聞いたことがある。呪文護符ばかりを狙う奴の話を。若いくせに凄腕で、確か……《黒い狼》」

「ごちゃごちゃとうるせぇんだよ。渡すのか渡さねぇのか、はっきりしろ」


 眉間に皺を寄せ、青年が撃鉄を起こす。もとより男に選択の余地はないはずだった。


「わかった。俺があの遺跡で見つけた呪文護符は一枚だけだ」


 男が差し出した呪文護符を青年は受け取った。


 小さくて薄い板状の物体で、金属質の輝きをもっている。どこかの国のお守りに似ているため「呪文護符」と呼ばれるようになった、というのが通説だ。


 青年は呪文護符を裏返しにしたり、太陽にすかすようにして品定めを行なった。


 呪文護符には古代呪文が封じこめられている。どういった内容の呪文なのか、たいていは呪文護符の表面に古代文明の文字で記してあった。


 それを確かめると青年は強く舌打ちした。青年が呪文護符を頭上へと投げる。拳銃が火を吹き、硬い音とともに金属板を砕いた。


「もったいない! 魔術師連中に売れば、いい金になるのに」


 自分のおかれている立場も忘れ、男は悲鳴のような声をあげた。古代魔術を追求する『魔術師』にとって、古代呪文は必要不可欠な物なのだ。


「金なんかあったって……」


 青年が、自虐的な表情で独りごちるように口を開く。


「金がいくらあろうが、あいつを助けることはできねぇんだ……」


 あれから五年。青年----19歳になったラーカイラムは問題の古代呪文をいまだに探し回っていた。


 唯一の救いは、レイティアが魔術の力によって仮死状態となって眠っていることだ。肉体の時間の流れとともに、病気の進行も止めてある。


 妹のことを考えていたせいで生じた隙をつき、ラーカイラムを殺気が襲った。視界の隅に男の姿が引っかかる。ナイフを左手に、体ごと突っこんでくる。


「この――」


 ラーカイラムはとっさに身を沈めた。伸ばした左足が勢いよく孤を描きながら、足払いとなって男の足元を刈る。


 男の身体が一瞬宙にうき、背中から地面に落ちた。口から呻きがもれる。


「弱ぇくせに、それほど死にてぇのか。あぁ?」


 ラーカイラムの銃がひと吠えし、男の耳を弾丸がかすめた。薄い硝煙が二人の間を流れていく。


「ま、待ってくれ! おまえがどれほどの腕か確かめたかっただけなんだ。俺が悪かった、もうおまえと闘ろうとは思わない。とっておきの情報を教えてやるから、ここは見逃してくれ。頼む!」


 懇願する男の眉間に、ラーカイラムは銃を突きつけた。


「ずいぶんと調子のいいことを言いやがるな。このまま鉛玉をぶちこんでやってもいいとこだが……ま、話してみな」


 ラーカイラムは右手に感じる拳銃の重さのかすかな変化に気づいていたが、そのことはおくびにも出さない。


「ル、ルースハの町は知っているな。あの辺りで最近、新たな遺跡が確認されたそうだ」

「おい。どうせ嘘をつくなら、もっとましなやつにしろよ。あの一帯はひと通り調査ずみで、遺跡らしいものはないはずだろうが」

「だからこそ、とっておきの情報なんだ。俺も二日前小耳に挟んだだけだが……本当にその遺跡が存在して今まで知られていなかったのなら、どんなお宝が見つかってもおかしくはない。呪文護符だってどれほどの値打ちものがあるかわからないぞ」


 呪文護符を目当てにしているラーカイラムの好奇心をあおるように、男の口が早くなっていた。その目はラーカイラムの拳銃へと吸いつけられたままだ。


「なるほどねぇ。で----そんなあてにならねぇ噂で取り引きできるほど、てめぇの命は安いわけだ?」


 意識的に声を低くする。憐れみを誘う顔で男は唇を噛みしめ、なにも言い返さなかった。 ラーカイラムはゆっくりと引き金に力を加えていく。


「今までさんざん好き放題やってきたんだろ。今度はここで、自分が殺されても文句はねぇよなぁ?」


 撃鉄が動き――


 カチン。


 空しい音がしただけで、弾丸は撃ち出されなかった。


「な……」


 男が戸惑う。ラーカイラムは鼻で笑った。弾倉に入れておいた弾丸をすべて撃ちつくしたことはわかっていた。


「無駄な殺しはしねぇって言ったろ。ただし、三度目はねぇからな。人生終わらせる覚悟ができたらまたかかってこい」


 男に背を向け、ラーカイラムはその場を去っていく。


《黒い狼》が木々の奥へと消えた後、男はあっけにとられた表情のままで、立とうともしなかった。


**********


「----これぐらい離れりゃいいか」


 森の外れ近くでラーカイラムは腰を下ろした。


 さえずりが聞こえ、小さな動物達が木の実をかじっているのが目についた。銃声が絶えてから時間がかなりたっているため、彼らも落ちつきを取り戻しているのだ。


 ラーカイラムは上着を脱いだ。鉛玉を一発、肩の辺りに食らっていた。急所ではなく、口径も小さめだったおかげで、たいした傷ではない。手当てがおわるとラーカイラムは寝転んだ。湿った地面の冷たさが心地良い。


「やれやれ、今回はなんとか吐かずにすんだな……」


 長い呼気を一つおこなう。


 人の命を奪うと決まって激しい吐き気を覚え、胃の中にあるものを全部もどしてしまうのだ。かけだしの頃はこの奇妙な癖でかなり苦労した。


 こんな仕事から足を洗えば悩まされることはなくなるし、レイティアも、兄のやっていることを見て、良い気はしないだろう。


「けど、辞めるわけにはいかねぇんだ……」


 妹の病気を治すまでは前へ進むしかなかった。


「ルースハ。眉唾っぽいが、行ってみるか」


 幸い、協力をあおげそうな人物がその町にはいるはずだ。ここからは結構遠いが、目的の古代呪文を手に入れるためには、どんなにわずかな可能性であってもそれを無視することはできなかった。

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