三章 あなたのためにうたう歌 3
アイスショーの舞台となる氷上に用意されたステージが、私たちの最後の舞台となる。
ナレーションと共に入場した私たちは、数多くの拍手によって迎えられた。
数え切れない人が座るギャラリーを前に、一礼をして柊木ユキは語り出した。
アイスショー開催記念ライブの重責への心構えと、自己紹介と活動のあらましについて柊木ユキは流ちょうに語っていく。
いつも喋りがうまい子だが、今日は一段と熱がこもっていた。
「実は今日で、私たち【地域社会貢献同好会 春の雪】の活動は最後になります。もともと期限付きの活動でしたが、それは今日となりました。だから、最後だからこそ全力で、歌を届けたいと思います!」
そう柊木ユキが締め括ると、会場は小さくどよめいた。
私は特に意に介さず一歩踏み出し、一礼をする。
柊木ユキは舞台上から去り、私一人が残される。
やがて曲のイントロが流れだし、頃合いを見計らい私は歌を歌い出す。
──今回のシティホールでの活動がラストになる。
そんな予感は胸のどこかに、ずっとあった。
最後の歌として届けるものは、これまで関わってきた人々への感謝の気持ちだった。
私は人と話すことが苦手で、好意で話しかけてきた人々と気の利いた言葉のやり取りは出来ない。
そんな人々に私が届けたいことは、幸せであって欲しいという気持ちだった。
大勢の人々に届ける舞台だから、特別に込み入った世界観は作らなかった。
普遍的なヒューマニズムに背いて育った私が、普遍的なヒューマニズムを歌うのも悪くないと思ったからだ。
また冬に流行ったヒットソングを過去に遡り調べると、独特の共通点に気付いた。
それは冬の寒さや静謐な空気を表すようなストリングスの効果的な使用と、ミディアム・テンポの曲調のヒットソングが多いことだった。
地域のローカルなイベントらしく、若者だけでなく年かさのいった人々も多い。
そういう人々には懐かしく、若輩者には新しい。
そんな風に響きそうな曲を作ったら、驚くほど普遍的な曲が完成した。
私自身としては目新しさもなく自己評価は高くないが、柊木ユキが「これが絶対にいい」と強く押すので決めた次第だった。
歌唱も叫びやささやき、語りはなるべく使わず普遍的な歌唱のみに終始した。
(まあ、こういうのもたまにはいいのかもね)
予定されていた一曲を歌い終え、大きな拍手の響くギャラリーを見渡し私はそう思った。
柊木ユキも再び舞台に戻り、手を繋いで一礼をした。
しかし、妙にでかい拍手があると違和感に気付く。
でかい拍手は身内と相場が決まっている。
嫌な予感と共に拍手の鳴る場所に目を凝らすと、やはり両親がいた。
隣の柊木ユキに小声で話すと、
「……父さんと母さんが来てた」
「あのめっちゃ拍手してるおじさん? へー」
お母さんも美人だねー表する柊木ユキは、スタンディングオベーションをする父と、隣で落ち着いて拍手する母を楽しそうに見ている。
ナレーションと共に、私たちは手を繋ぎ舞台上から去っていく。
歩きながら柊木ユキが、小声で話しかけてくる。
「今日の歌すごく良かったよ。とっても良かった」
「最初はたいしたことないって思ってたでしょ」
「そんなことないけどな?」
「大体分かるよ。でも今のユキの言葉は、本当って感じがする」
「なら良かった」
控え室でも私たちは、何でもない話に終始した。
既に私たちに話すべき議題や課題はひとつもない。
活動も終え姉に関わる情報も渡した今、私たちが関わる理由は失われた。
あとは最寄りの駅で別れるだけの関係性だが、ただそれだけにしたくなかった。
「アイスショー、見ていこうか」
「うん」
予定には無かったが、私たちは関係者席でショーの観劇が許可されている。
一流のフィギュアスケーター達のショーを楽しみ、長ったらしい閉幕のセレモニー前にそっと関係者席を抜け出した。
外に出ると既に夜の帳が降り、街中のクリスマス・イルミネーションが灯っていた。
私たちは歌を届け終わってから、ずっと手を繋いでいる。
イルミネーションの灯る街中を、手を繋ぎながら歩き、そして──。
最寄りの駅前まで到着して、私はユキの手を離した。
きっと私から離すまで、ユキは手を繋いでいてくれるだろうから。
「ユキ、これまでありがとう」
「こちらこそ。とても楽しかったよ」
それなりに人が行き来する駅前で、私たちは向き合って話している。
人目も気にせずに、私は柊木ユキにこう伝えた。
「活動を通していろいろな人に歌を届けてきたけど、まだ届けていない人が一人だけいる」
「へー、それは誰かな?」
聡明な柊木ユキは凡人の狙いなど既にお見通しだろうが、構わず続けた。
「柊木ユキに届けるために、歌います」
イントロもないアカペラの歌。
いつか活動が終わる日に柊木ユキに届けるために、密かに準備していた歌だ。
今の柊木ユキがどんな目的意識で行動しているのか、私は十全に理解していない。
日々を家族のために生きる世の大多数を占める人々や、自分の目的に生きる私とは違う。
柊木ユキの行動は、きっと柊木ユキ自身に幸福はもたらさない。
だがその破滅へ向かう旅路も、いつかは終わる日が来るだろう。
その時、あなたがあなた自身に幸福をもたらす目的を見つけられますように。
そんな願いを込めて、歌を届けた。
駅前を歩く人々には、若者たちの路上ライブにでも思われたろう。
どこが始まりでどこが終わりなのかもよく分からない歌は、最後に「もうきっと会うことはないあなたへ」と締め括られる。
私たちの関係性を正しく表した歌詞ではあるが、
「……それはどうかな?」
と、柊木ユキは答えた。
聡明で冷静な彼女らしくなく、震えたような涙声で。
彼女は頬を伝う涙を拭うこともせず、こう言った。
「ありがとう」
きっと私はその涙を、生涯において忘れることはない。
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