二章 【地域社会貢献同好会 春の雪】活動日誌 3

 ネットカフェの個室でひとり、外界から隔絶して曲作りに集中していく。

 二週間の期限はあっという間に過ぎ、ショッピングモールでの発表会当日となった。

 休日のモール内は多くの人々で賑わっていたが、発表会目当ての人種は多くない。

 歩き疲れて座る場所を求めた人々が「何か催しやってるみたい」という感じで注目するような流れが主流となる。

 私は会場の広場周辺ベンチで待機し、発表会の成り行きをじっと見つめている。

 今はおじさん達がやる和楽器サークルの自己紹介を聴いている最中だ。

「人間50年とは有名な辞世の句ですが、我々とっくに50歳も過ぎますが迎えが来る気配は今のところなく。しょうがない何かするかと集まったおじさん連中が始めたのが、和楽器でした」

 よろしくお願いしますと、代表者らしきお腹の出たおじさんが挨拶しメンバーも続く。

 パチパチ、と居合わせた者のよしみのような拍手が周囲から沸く。

 ひときわ近くで大きい拍手をする妙齢の女性と、高校生らしい男の子は家族だろうか。

 そんな様子を見て、客としてベンチに座る隣の柊ユキが頷いている。

「ああいう自己紹介いいね。自分たちが何者なのか明かして、一定の信頼を獲得してる」

「私ああいうの出来ないから、ユキに任せたい」

「りょーかい。ああいうのは得意よ」

 多分友達同士にしか見えない私たちは、おじさん達の和楽器演奏を聴きながら話している。

 ほどほどに休日らしく、ほどほどに恋人や友達同士らしい装いで歩いて行く人々。

 ほどほどの幸せと共に人生を過ごしていく人々と、姉のことを比較している。

 姉には理解ある両親がいて、幼馴染みの優しい恋人もいた。

 妹はひねくれた奴だが、姉にとって大したファクターでもなかったはずだ。

 そんな姉は、果たしてほどほどの幸せを手にしていたのだろうか。

 誰かの役に立ちたいと強く願っていた姉は、夢果たせずにどれほど苦しんだろう。

 結果的に命を落としたのは不幸な偶然だが、死をもたらされるほど罪深い人物像ではなかったはずだ。

 それすら目的に逸り、生き急いだ結果のように思えてならない。

 そんなことを考えていると、

「私たちの出番だよ、行こう」

「うん」

 柊木ユキに声をかけられ、簡易ステージから離れたベンチから立ち上がる。

 おじさん和楽器軍団の次が、私たちの出番となる。

 準備するものは曲データを音響機器に送信するスマートフォンと、この身ひとつだけでいい。

 和楽器の後に現れた普段着の二人組は、モールを歩く友達連れの女子らと大差がない。

 初対面の日のように簡素な装いの柊木ユキが、用意されたマイクで話し始めた。

「みなさん、こんにちは。私たちは【地域社会貢献同好会】というサークルをやっています。聞き慣れない名前かと思いますが、目的はつまり社会貢献で、人助けです。今日び、社会や家庭、会社で周囲に溶け込めなかったり、毎日仕事で疲れていたり、SNSで嫌なことを言われたり、つらい思いをしている人が多いと思います。そんな人々を勇気づけるメッセージを、歌にして届けていくチームです」

 ちなみに今日が活動初日ですと告白すると、周囲の人々からは驚きのような声が漏れた。

 柊木ユキは聴衆の反応を確かめつつ、更に続けた。

「ちなみにチーム名は【春の雪】。私の名前のユキと、チームメイトの春歌の名前から取りました。短い時間ですが、今日はよろしくお願いいたします」

 頭を下げる柊木ユキに私もならうと、パチパチと一定量の拍手が周囲から沸く。

 柊木ユキがスマートフォンとステージの音響器を接続し、ステージ端から目で合図を送ってくる。

 それに目で答えると、やがて私が準備したオケトラックのイントロが再生を始める。

 にわかにモールの雑踏は静まり、始めるべき場所で私は自分の歌を始めた。



 ──私の『歌』は、歌だけを歌うものではない。

 時に語り、時に叫び、時に文字にならない言葉を発信する。

 気まぐれや気分ではなく、一定のコンセプトに基づいてそれらを規定する。

 思いついたアイディアを表すための音と、伝えるためのストーリーを詞に表す。

 その過程でコンセプトも修正しつつ、表した音と詞も微調整を繰り返していく。

 作業に正解はないが、よりコンセプトに深く迫り正確に表せたなら正解だ。

 コンセプトの元にある音と歌詞が一体化したそれを、私は『歌』と定義している。

 今回私はこのモールでの発表会のため、家族というコンセプトに基づき歌を作った。

『標準的な四人家族という世帯に訪れる出来事を〈存在しない5人目の家族〉という存在から見届ける』というコンセプトだ。

 日本の家族構成は、古くは戦前から続く拡大家族から、親と子のみで形成する核家族。

 近年では更に様々な事情から、家族同士が別々に生活することもある。

 家族の単離化が進む昨今で、同じ屋根の下で暮らしても孤独死が発生することもある。

 ずっと自室に引きこもっている子供と、何年も顔を合わせていない親もいる。

 そんな断絶化した家族が住む家庭を、断面図のように客観的に表したものだ。

 〈5人目の家族〉は神の視点を持ち、壁や扉により断絶化した家族を俯瞰認知出来る。

 私は断絶化した家族を表現したいだけで、それを救済したいと望んでいるわけではない。

 私はただの表現者だから、ただそれを表して届けたいだけだ。

 MCでそんな表現者のエゴを披露すれば、反感を買うのは必至だ。

 いくら私がねじ曲がった社会不適格者でも、好んで聴衆の反感を買いたくない。

 そのあたりをいい感じにMCとして届けるのは、柊ユキに任せておけばいい。

 アイディアのモチーフは、私と姉の不和の件となる。

 私が姉と断絶していたことを、両親も認知はしていない。

 率先して吹聴しないし、私と姉も表だって反感をぶつけ合ったりはしていない。

 私と姉が断絶していたことは、私と姉しか知らない。

 何なら姉自身も、断絶しているとは思っていなかったかも知れない。

 それを認知できる第三者がもしいたら、という仮説に基づいたコンセプトだった。

 もし家族的に振る舞う第三者がいれば、私と姉の断絶の溝は埋まったのかも知れない。

 柊木ユキにも内緒だが、そんな個人的な願いも少しだけ込めた。



 私たちに与えられた時間は、MCを含めて約10分間。

 おじさん和楽器集団とも同じ時間を、私たちは家族の歌を歌うことに費やした。

 結果としては、おじさん和楽器集団と同じくらいの拍手を貰えた。

 私たちのファンやディープな音楽ファンという人種は、この場所には存在しない。

 おじさん和楽器集団には、応援に来た家族の拍手があった。

 だが私たちには、本来あるべき家族バイアスが存在しない。

 なのになぜ、拍手の量が同じくらいなのだ?

 柊木ユキも同じ事に気付いたようで、こっそりと周囲を見回していた。

 程なく大きな拍手の出所は発覚し、さも面白げな表情の柊木ユキと顔見合わせた。

「あれ、モールの管理人の人じゃん」

「今日はオフなのかな。私服だけど、きっとあの人だ」

 発表会をする広場の端の方に、カジュアルな恰好のショッピングモール管理人がいた。

 ショッピングモールの管理人が、休日に客として足を伸ばすことは特別ではない。

 だがほかの客と一線を画す拍手をしているのは、ちょっと面白い現象だ。

 私たちの視線に気付いたのか、モールの管理人は足早に去って行った。

 きっと私たちの最初の理解者は、あの管理人の男性だ。

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