一章 家出を決意した理由は壊れたWi-Fiだった 3
それからお昼過ぎまで、たっぷりと睡眠を取った。
起きてからは配信を見たり、昨日の曲の仕上げをして過ごしている。
やがて昨日のメールの送り主との約束の時間となり、私は店の外に出た。
SNS上の知人らに会ったことは、これまでに何度かある。
背格好を知らずとも、同一の目的意識を持つ相手はだいたい分かる。
スマートフォンの画面を確認しながら、駅方向から向かってきた若い女性に目星をつけた。
ジーンズにパーカーという簡素な格好のその女性は、私の姿を認めると寄って来た。
「違っていたらすいません。片瀬春歌さんですか?」
「そうです。あなたは柊ユキさん?」
ええ、とその女性は整った相貌で頷いた。
黒髪を後ろで一つに束ね、いかにも着古した格好の女性である。
化粧っけもない様相だが、ちゃんとメイクすればかなり美人になりそうだ。
同じように着古した格好でも、私は美人に化ける目もない。
やや気後れする。もともと人と話すのは得意じゃない。
自己紹介の後に、二の句を継げずにいると、
「片瀬さんの曲、聴いてたよ」
そう言って柊ユキは、ニコリと笑った。
「電車で移動中にね。はやりの曲って感じじゃないけど、クセになる良さがあるね」
柊ユキは片耳に填めていたイヤフォンを取り、スマートフォンの画面をこちらに向けた。
その画面は私の動画スペースで、活動休止直前までに掲載した動画が表示されていた。
驚いたが、自分の動画のことなら幾らでも話せる。
「聴いてくれたんだ。ありがとう。もしかしてSNSで繋がってる人?」
「いや違うけど。曲もさっき聴いた。とりあえず何か食べたながら話さない?」
差し支えなければ奢るという提案に、一も二も無く賛同した。
近くのファミリーレストランに場所を移し、夕食と共に私たちは話をした。
本題は片瀬深雪のことと承知していたが、柊ユキはまず私自身の事を知りたがった。
動画配信や音楽の事。同好の士ではないが興味深そうに色々と聞いてきた。
「動画配信見て知ったけど、まだ高校生なんだ。作曲もして自分も歌うって、凄いじゃない」
「他の配信者の見よう見まね。あとはアイディア。方法論はネット調べれば幾らでも見つかるし」
「でも、今は活動休止してるんだ。噂によると炎上したとか」
「うん」
炎上の話は柊木ユキの目的とも近い話題だ。
やや探るように、彼女は切り出した。
「お姉さんの件、とても悲しい出来事だった。あんなこと、あってはならないことだよ」
「事故の件? それともSNSのこと?」
「どっちも」
固く結んだ顔つきで、柊木ユキはそう断言した。
初対面の私とくだけて話すほどノリは軽い。
それほど興味もなさそうな音楽についても話せる。
けれど、明確に強い意志を覗かせる瞬間もある。
柊木ユキという人物像には、未だに謎が多い。
ひとしきり注文した料理が届き、食べながら話した。
骨髄バンクドナーに登録していた姉が交通事故に遭い、帰らぬ人となったのが半年前。
大勢の人を巻き込んだ大事故だった事と、運転手の運転技術にも問題があった事。
過剰に世間を騒ぎ立て、SNSで大きな注目を集めた事故だった。
やがてマスコミは姉が骨髄バンクドナーで、事故当日に移植手術予定だったことを嗅ぎ付けた。
二人分を背負う命の価値や、骨髄バンクドナーの安全管理について。
そんな話題ばかりで、周囲もSNS界隈も持ちきりだった。
秘匿情報となる骨髄バンクの件は、ほどなくSNS上からは削除されていった。
姉が荼毘に付されてからも私は配信活動を続けたが、程なくして、
『姉さんがあんな死に方したのに、呑気に妹は動画配信してるのか』
『交通事故を失くす活動とか啓蒙すればいいのに。遺族の人は普通そういうことするだろ』
『一般的なレベルの音楽には程遠いので、まずはちゃんと学ぶべきではないでしょうか』
『お姉さん見習って人の役に立つことした方がいい。その方が弔いになると思うよ』
そんなコメントやメールが、幾つも届くようになった。
元々私の配信を見ている人々が、心ないコメントに反論をしてくれた。
それは典型的な炎上のメカニズムで、気付けば私の動画スペースは荒れ地になった。
動画配信を楽しむ人は姿を消し、偽善的なコメントだけが残されていった。
そんなことをかいつまんで説明し、代表的なコメントを見せてやった。
柊木ユキは獲物を狙う肉食獣のような顔でコメントを読んでいた。
一貫して本心が読めない気質だが、明らかに怒っているのが見て取れた。
ファミリーレストランという公共の場で、声を荒げられても困る。
動向を警戒していた私だったが、
「こんなの気にすることはないよ。Botか何かと認識しておけばいい。炎上すると湧いてくるBotなんだ」
「いいねそれ。そのアイディアもらっていい? 曲にしたい」
そう言うと、意外そうにしつつ柊木ユキは頷いて続けた。
「意外とお姉さんのこと、気に病んでない?」
「イエスかノーならイエスかな。ショックではあるけど、気に病んでも姉さんは戻らない」
「そっか」
そもそも姉をそれほど好いていなかった事は、今はまだ伏せておく。
悪人ではなさそうだが真意を隠しているし、まだ私も信頼していない。
店員が空いた皿を下げに来て、話はいったん途切れた。
柊木ユキは明日も仕事があり、私のように好き勝手は出来ない身分だ。
ネットカフェの席が埋まらない内に予約はしたい。そろそろ退散するかと密かに画策し始めた時のことだ。
柊木ユキは、じっとこちらを見て続けた。
「動画配信はまた再開する予定はあるの?」
「したいとは思ってるけど、未定。とりあえず曲だけ作りためてる。でも」
再開の目処は立っていない。正直にそう伝えると、
「再開させようか。そのために私も協力する」
だから、仲間として認めてもらえる?
そう言って笑う柊木ユキの真意はやはり、相変わらず読めないままだった。
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