一章 家出を決意した理由は壊れたWi-Fiだった 2

 最寄り駅の近くまで来て、ネットカフェに入った。

 家族と顔を合わせたくない時に、よく世話になる場所だ。

 ソファベッドのある個室を選び、飲み放題のドリンクも準備。

 約畳二畳ほどの個室でPCを起動させ、wi-Fi接続の確認も実施する。

 スマートフォンには家族からの連絡がない。気付かれてはいないらしい。

 ひとつ屋根の下で暮らしていても、家族の孤独死に気付かないのも珍しくない昨今。

 張り紙を残していくだけ、まだ私は可愛げがあると自己分析する。

 ところで折角Wi-Fiのある環境で、のんびりしているのはいかにも勿体ない。

 両親に大見得を切る程度には、音楽制作を生業として活動している。

 PCやスマホで簡単にメロディは作れる。そこにボーカルを乗せれば楽曲の完成だ。

 曲だけ作りボーカルは歌い手や、合成音声ソフトで作る者も世の中にいる。

 ちなみに私は自分で歌うので、高校生シンガーソングライターを名乗り活動している。

 録音はカラオケボックスでやり、ついでにヒトカラすることもある。

 生配信で新曲を配信したり、動画としてアップロードをしている。

 それが今の私がやっている音楽活動となる。

 

 ……いや、していたって表現の方が正しい。

 さる事情で炎上してから、SNS上での活動の一切を休止している。

「ま、曲だけは作り溜めてて損はないよね」

 曲のモチーフを頭に浮かべ、近いイメージの音でBGMを作っていく。

 鼻歌で気持ちいいフレーズを捕まえて、変調させ繰り返しボーカルメロディにする。

 SNSの世界には、私のように音楽を配信している人々が大勢いる。

 アカペラのコーラスや、ボーカルのないインスト音楽など内容は多様だ。

 音楽番組で流れる歌謡曲も、もちろんよく見かけるジャンルとなる。

 ひと昔前に合成音声によるアマチュア音楽が流行した時は、まだ音楽に目覚めていない小学生の頃だった。

 私が惹かれたのは、顔出しの(隠している人もいるが)配信で歌っている人たちだった。

 中には私と同じくらいか、もっと年下の子もいる。

 そうした人々が思い思いの口上を延べ、自分らしい音楽をSNSの世界に発信していく。

 プロを目指している人もいれば、趣味の一環という人もいる。

 溢れる承認欲求を満足させるのも良し。商業デビューを目指し求道するもまた良し。

 千差万別の理由を抱え、誰もが自分自身の想いに率直に活動をしていた。

 高校への進学祝いに、両親からプレゼントされたスマートフォン。

 それが配信の世界への入口となり、高校から私を遠ざけたのは皮肉な結果となる。

 家族愛を高らかに歌う歌手の家族が崩壊して、本人はネットカフェで寝泊まりしている世界観の曲をあらかた仕上げた頃のことだ。

「……珍しい。メールが来た」

 動画スペースに掲載するメールアドレス宛に、一通のメールが届いた通知があった。

 【お仕事・コラボ企画などの依頼はコチラ】と提示しているアドレスには、普段はスパムやフィッシング詐欺メールしか来ない。

 人間から送られたメールのみ通知するよう設定してある。活動休止してからは久々だった。

「差出人の名前、柊ユキ。誰これ。SNSの誰かかな」

 名前に見覚えはないが、ハンドルネームのみ知るSNS上の知人の本名かも知れない。

「なにこれ」

 メールの内容は、仕事でもコラボ依頼でもなかった。

 もっと個人的で、私的なものだった。


『初めまして。柊ユキと申します。

 間違いメールではないことの証明として、片瀬深雪さんの妹であり、動画配信者である片瀬春歌さんにメールを差し上げております。


 要件から簡潔にお伝えいたします。

 私は骨髄バンクドナーだったあなたの姉から、骨髄を提供される予定だった者の妹です。あなたの姉上のことに関して一度お話がしたい。返信を待ちます。


 要件だけでは不躾ですので、メールを送るに至った経緯もお伝えいたします。事故の一件がひところ世間を賑わした際、犠牲となった片瀬深雪さんが骨髄バンクドナーだったことも明るみとなりました。本来、骨髄バンクドナーについて移植先の本人と家族には秘匿情報となります。私が知ったのはその痛ましい事故が、面白おかしくSNSで取り上げられたせいです。

 片瀬深雪さんの妹さんが動画配信者であると知ったのは、ある週刊誌の情報です。さる事情による炎上で活動休止したとすっぱ抜かれていました。私が知ったのはそのためです。

 決して、ストーカー行為ではありませんので、ご安心ください。最後になりますが、返信を心よりお待ちしております。』


 そのような本文と共に、名前を添えてメールは締め括られていた。

「なにこれ、気持ち悪い」

 改めて読み返してみても、ひたすら薄気味の悪いメールだった。

 一度話がしたいという意向は身勝手だし、経緯は明らかにストーカー行為だ。

 にも関わらず不思議と不愉快な感じがしないのは、内容に嘘偽りなく率直だからだ。

 話がしたいという意志だけを、強く感じさせるメールだった。

 姉が骨髄バンクドナーだった事と、付随する形で発生した様々なこと。

 骨髄の被提供者の情報もSNSで拡散されたため、私も内容は把握している。

 20代中盤の男性だったその人物の妹なら、私より少し年上とと目算をつけた。

 どうせ私は炎上配信者で、今後の活動の目処も立っていない。

 家族とも絶賛断絶中で、家出してネカフェでこのメールを読んでいる。

 この柊ユキとやらも、まさか目当ての人物が家出中とは思うまい。

 そう考えると無性におかしくなり、曲作りの手を止めてメールに返信を書いていた。

 

『話ぐらいなら構わないよ。いつ会う?』


 ちなみに、相手からの返信は翌朝の6時に来た。

 徹夜明けで薄らぼんやりと霞みがかった頭で、相手からの返信を読んでいだ。

 

『昨日はすぐに寝ちゃいました。すいません。早急なご返答ありがとうございます。私は平日の日中は仕事なので、今日の夕方くらいにどうでしょうか』

『いいよ。ちなみに私ネカフェで寝泊まりしてるけど、あんまりお金ないから、近くまで来てもらえると助かる』

『ネカフェ? どうして? 家出でもしてるの?』

『まあ特段深くもなく浅い事情があってね』

 まるでSNSのようにメールのやりとりをしている最中に、時刻は朝の7時を指していた。

『ごめん。そろそろ会社行かなくちゃ。また夕方に』

『ダラダラ待ってる』

 そんなやり取りで、およそ一時間のメールのやり取りを締め括った。

 住所はそれなりに離れていたが、行き来できない場所ではなかった。

 初対面なのに(メールだけど)話しやすい相手だった。

 同級生や家族たちを含め、話しやすいと所感を抱かされたのは初だった。

 シャワー室レンタルと、ネットカフェの利用時間延長のために個室を出た時のことだ。

 私のスマートフォンが、通常着信を知らすため鳴動した。

 しばらく放置したが鳴動は止まず、共用のラウンジに移動し通話に応答した。

 スマホ越しに聞こえる逼迫した声は、予想の通り母のものだった。

『春歌、今どこにいるの。張り紙を見て気付いたけど、勝手にどこかにいなくならないで』

「そのための張り紙。ちなみに駅前のネカフェにいる。一人でやりたいことあるから暫く戻らないので」

『そんな、学校はどうするの?』

 母の話しぶりを聞くに連れ、母と姉のやりとりを思い出していく。

 特に母と隔てのない関係を持ち、友達同士のように何でも姉は話していた。

 やりたいことや進みたい道。それに対する懸念や希望の話で盛り上がっていた。

 そんな様子を横目に、自室で音楽ばかり愛でていたのが私となる。

 残念だが私と母には、相互理解の寄る辺を見出すのは不可能だった。

 最後まで主張は平行線で、疲れて妥協点を探ろうとした頃、

『ちょっと、お父さんにも代わるから』

 察知したように母が言い、電話の向こうの気配が変わった。

『父さんだ。春歌、無事か』

「無事だよ」

『だいたい母さんとの話は聞いていた。家にいたくないならそれでもいい。だが、無事であることはちゃんと知らせるようにしてくれ』

「一週間に一回くらい電話しようか?」

『それでは無事とは断言できないだろう。悪い奴に捕まって、言わされているかも知れないじゃないか』

「確かに」

 父は堅物だが、言うことは論理的で筋が通っている。

 結果的には一週間に一度、自宅に顔を見せることで合意を果たした。

 学校にはネットカフェから通うと伝えたが、そのつもりは毛頭なかった。

 ひとしきり話し終えた頃に、父が神妙にこう言った。

『金はあるのか』

「音楽活動でのたくわえが少々」

 たくわえとギリギリ形容できる金額ではあるが、そう答えておいた。

『金がなくなったらちゃんと言うんだぞ。おかしな手段に走るのは絶対に避けろ』

「そのへんは理解しているから大丈夫」

 その時はよろしくと伝えると、父は電話口の向こうで頷いた。

 ああしたいこうしたいという理念の話より、金の話の方が親としていて気楽だった。

 ひとしきり話したいことを話し終え、通話を切り上げることとした。

 利用時間の延長とシャワーを済ませ、気分転換のために店の外へと出る。

 駅前近くの繁華街は、今日も駅に向かう学生やサラリーマン達が行き来していく。

 ごみごみとした雑多な繁華街の一角から、ふと空を見上げて深呼吸をする。

「うん、今日もいい天気だ」

 状況は相変わらず崖っぷちだが、新しい何かが始まりそうな青空だった。

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