一章 家出を決意した理由は壊れたWi-Fiだった 1

 ──そうだ家出しよう。

 私がそう決意したのが、久しぶりに高校に登校した日のこと。

 居場所のない高校に嫌気が差し、うんざりした気持ちで自宅へと帰還した。

 そんな私を待っていたのは、家族たちの過度の干渉と不理解だった。

 やると決めたら善は急げで、最低限の身の回りの物を鞄に詰め始める。

 自主的にやっている『活動』のおかげで、他の同年代よりは資金に余裕がある。

 身の振り方を決めるまでには、資金が尽きるということはないだろう。

 それもこれも、自室のWi-Fiが壊れたことに端を発する。

 故障に気づいたのは、自室でスマートフォンを操作していた時のことだ。

 今では大して要件もないSNSと、動画スペースをスマートフォンで確認していた。

 しかしネットワーク通信を示すアイコンが、いつまでも接続状態にならなかった。

「……Wi-Fi、ついてないじゃん」

 見ると部屋内に設置したWi-Fiの電源が入っていなかった。

 揺さぶったり軽く叩いたりしてみたが、特段の変化がなく故障を示していた。

 ネットワークは携帯電話回線でも接続できるが、容量を食うので差し控えたい。

 ネットカフェでWi-Fiを使用するのも、新調するのにも金額がかかる。

 せっかくの『活動』で調達した資金を、無駄に切り崩したくない。

 急に何もすることがなくなり、自室の床に座り込む。

 ぼんやりと思い出すのは、夕飯の後の父と母とのやりとりだった。


「学校にもう行きたくない。高校に興味がない。通う意味が見いだせない」

 せっかく家族全員が顔を合わせる食卓で、丁度いい機会と判断し両親にそう告げた。

 言葉の意味を理解するのに数秒、程なくしてまず父が言葉を発した。

 二人娘だったのが一人娘になった故に、両親たちには慎重さが垣間見える。

「学校は学問を学ぶ場所だ。しかしそれだけじゃない。仲間や目的を見つける場所でもある。でも行かなければそれらの機会も得られないままだ」

 何と答えたか覚えていないが、父のその言い分が間違っていないことは理解した。

 仲間を獲得するコミュ力や、新しい目的を見いだす広い視野を持つ者に限るのも同時に。

 だから私にその機会は必要ないものと、結論づけていた。

 父に配慮しつつ、母は続けた。

「でも私は、学校の風潮に合う、合わないはあると思うの。3年ずっと同じ学校じゃなくても、細かく変える世情でもあると思うし。もし他にやりたいことがあるなら、今からでも他の学校に転校するのも、ありだと思う」

 父とは真逆に、母は現代的な考え方をするところがある。

 母の柔軟な思考が逆に、もういない姉を思い出させて気に入らない。

 言い分としては両者正しいが、正しいことに従えるのは正しい人だけだ。

 私のような社会不適格者は正しくないがため、正しいルールには迎合できない。

「今の高校を選んだのは春歌だ。選んだなら、最後までやりきって欲しい」

「でも、違うと思ったら、早めに手を打った方がいいと思うし」

 当人をそっちのけで議論する両親を、私がぼんやりと眺めていた時。


 ……あ。いいアイディア降ってきた。

 正しいことだけする人間と、したいことだけする人間。

 2種の人種が住む世界の戦争を曲のモチーフにしたら、どうかな。


 今すぐSNSに投稿し反応を確かめ、徹夜で曲作りしたい欲がある。

 朝まで曲作りしてたぞってSNSに投稿しつつ、動画スペースに曲を投稿するのが肝。

 黙って曲を投稿しても誰も気付かないし、どうせなら頑張りもアピールしたい。

 どんな反応が帰ってくるのか、今から楽しみで仕方がない。

 SNS上の繋がりある人々の反応や声を見るのが、私はとても好きだった。

 今は炎上の一件で親しい相互フォロワー達とも微妙だし、また炎上したくはない。

 SNSの炎上なんて、徳川時代の火事と喧嘩みたいなものと思っていた。古いか。

 けど体験してみると分かるのは、炎上はした後がキツいっていうことだ。

 周囲の環境や見る目が変わり、身動きが取れなくなるのが辛い。

 動きたいのに動けない苦しみは、身をもって味あわねば分からない。

 そんなことを考えているうちに、両親たちは議論も尽くしていたようだ。

 どうやら私が何か言うべき状況らしいので、改めてこう提案した。

「私、今の学校やめたい」

 そう伝えると父は顔をしかめ、表情も晴れやかに母が続けた。

「じゃあ別の学校に行くのね。パンフレットはもうある? なければ、母さんがもらってきてあげるから」

「行きたい学校はないよ」

「え?」

 母だけでなく、揃って早合点した父にも含めて私は伝える。

 姉があんな風に失いまだ一年足らずの両親に、娘なりに配慮して穏便にこう伝えた。

「もう学校には行きたくない。私は仲間なんていらない。一人でいいから」

 だからもう学校には行きたくないと、重ねて続けた。

「……どうして?」

 絞り出すような母の問いに、

「今言ったとおりだよ。学校行かなくても、したいことは出来るし」

「したこととは何だ」

 続ける父に、しばし考えてこう答えた。

「音楽」

 私のやりたいことを端的に表すと、こういう表現以外にはない。

 私は両親と話していたリビングを出ようとするが、ふと気になり足を止める。

 言葉を失った両親の背後には、家で唯一の和室に繋がる襖がある。

 最近では用事のある時の他は、襖はぴたりと閉じられている。

「ごちそうさま」

 両親のいるリビングにそう声を向け、自室へと引っ込んだ。

 ちなみに閉じられた襖の先には、姉の遺影が飾られたお仏壇がある。

 リビングを出て自室に引きこもったところで発覚したのが、Wi-Fiの故障となる。

 じゃあいっそ家出をしようと決意したのが、つい今しがたのことだ。

 家出をするのに「家出します」と宣言するのも間抜けだが、警察沙汰になっても面倒だ。

 私は自室の扉に『しばらく家を出ます』とメモを貼り付けておいた。

 念のために連絡先も記載していけば、安心感も与えられる計算だ。

 こうしておけば、早まって警察に通報する前に娘に連絡すると踏んでいる。

 リビングで話し込んでいる両親に気付かれないよう、足を忍ばせて家を出る。

 私、片瀬春歌が15年間暮らした生家に、一時の別れを告げた瞬間でもあった。

 家族との諍いはいつものことだが、家出を決意させたのは壊れたWi-Fiだった。

 いかにも青春曲にありそうなフレーズ。意外とそういうのも良いかも知れない。

 柄にもなく青春チックな発想に、最寄り駅に向かう夜道で一人で笑っていた。

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