第3話 冒険者登録

「――っ!……こんばんは。ようこそ、冒険者ギルドメイザニア支部へ。本日はクエストのご依頼ですか?」


「こ、こんばんは!今日は冒険者登録がしたくてきましたっ!」


 ルクスが迷宮都市に到着して数刻。すでに夕刻を過ぎ、街の喧騒も夜のそれへと移りつつある時間帯になってようやく冒険者ギルドへと辿り着いた。

 『受付』と書かれたボードが天井から下がっているカウンターまで行くと、受付の担当であろう女性に見つめられ優しく声をかけられる。ルクスの顔を見た瞬間、ギラリと若干危険な色を瞳に宿した彼女に、思わず少し怯んでしまったものの、なんとか笑顔を作って答える。


 本人的には街に入ったら真っ先にギルドへ向かうつもりであった。そのつもりであったのだが、道中何故かやたらと街の住人、それも妙齢の女性ばかりに話しかけられ、それこそどこぞのいかがわしい店の客引きでもないのに、どこかへ誘おうとする者が後を絶たず、前後左右を柔らかな何かに囲まれ、息も出来ず進退窮まったルクスが、通りすがりの衛兵に助けを求めてどうにかここまでやってきた、というわけである。

 ルクスからすればたまったものではないと思っているであろうが、この少年は一目見れば十度振り返る程の美少年なのである。幼気な、それも一度見れば忘れられないような可愛らしい少年が、いかにも『田舎から初めて出てきました!』感満載でうろついていれば、ちょっと魔が差して声をかけてしまうのも無理はない――いや、決して褒められたものではないが。彼女らからすれば、それは不可抗力であったのだ。

 もちろん、ルクスが孤児院にいた頃から村のお姉さま方には大変甘やかされていた。が、その扱いが傍から見れば些か過剰であったにも関わらず、本人からしてみればそれは周りにいる子供たちと同じようなものであると感じていたし、然程気にもしていなかった。今日のように一歩間違えれば誘拐にも等しいような、そんな無茶な扱いをされてこなかったというのも理由としてはあるが。

 なので、ここに至ってようやくルクスも、(なんかちょっと怖い……)くらいには感じられるようになったのだ。遅すぎるが。


「冒険者登録ですね。それではこちらの書類に記入をお願いいたします。代筆が必要な場合はお申し付けくださいね」


 手元の引き出しから取り出した紙を差し出し、にっこりと笑う受付嬢。彼女はルクスになるべく警戒心を持たれないよう、慈愛の表情を浮かべているつもりなのだが、今日出会った女性たちから同じような表情で詰め寄られ、怖い目に遭わされたばかりのルクスにとって、それが最大級の警戒心を抱く要素になるものであったのは不運としか言いようがない。


「あ、代筆は大丈夫です。じ、じゃあ、あっちで書いてきますね……終わったらまた来ま――」


「いえ、ペンはこちらにしかございませんので、こちらでご記入をお願いします」


 ルクスが紙を受け取って離れようとすると、いつの間にやらしっかりとルクスの手を取っていた受付嬢は、先程と変わらぬ表情を浮かべたままそう告げた。


「あー……はぃ」


 「書き終わるまで放しません」とはっきり顔に表れている受付嬢を見たルクスは、抵抗することを諦め、若干肩を落としながらも頷くしかなかった。




「――はい、たしかに。ご記入された内容にお間違いはございませんか?」


 一通り記入が終わり、返してもらった書類の内容をざっと確認した受付嬢は、ルクスがどこか疲れた様子なのには気付かず、ずっと手を握りしめていたことで顔をツヤツヤに輝かせながらひたすらに上機嫌であった。

 見る人が見れば一発でお縄になりそうなものだが、非常に残念なことに、この冒険者ギルドにいる人間のほとんどがこの受付嬢と似たような思惑を脳内でこねくり回していた為、誰も咎めることはしなかった。要するに、受付から離れれば次は自分が声をかける番だと狙っていたわけだ。


「えっと……はい。大丈夫です。間違いありません」


 自分が最早猛獣の檻に閉じ込められた哀れな羊であると気付いていないルクス。

 文字通り哀れであるが、それも無理はない。このメイザニアに徒歩で何日も旅してきた上、ようやく辿り着いたと思ったら、何故か知らない大人の女性にもみくちゃにされ、いざ冒険者登録をしようと思えば、受付嬢の瞳から危険な光を感じと、精神的にも肉体的にも疲れ切っていた。

 今は一刻も早く登録を終わらせて、宿のベッドへ身を任せたい、と考えるので精一杯なのだ。


「それでは、簡易ステータス盤でステータスの確認をさせていただきます。こちらの板に両手を載せてしばらくそのままでお願いします。その後ギルドカードが発行されますので、それにルクス様の血を一滴頂ければ登録完了となります」


 簡易ステータス盤と呼ばれた石造りの板にルクスは手を載せ、しばらく待つ。すると、板全体が淡く光を放ち、体から魔力の一部が板に流れるのを感じた。

 ステータスというものが存在するのは師匠から聞いていたので知っていたが、こんなただの板にしか見えないものでそれが測られることまでは聞いていなかった為、若干緊張はしたものの、内心では自分のステータスがどのようなものか楽しみだとドキドキしていた。もちろん、ばっちり顔にも出ているので、それを間近で見てしまった受付嬢は自分の鼻から尊厳が零れ出さないよう必死で抑える必要にかられていたが。

 そして短くない時間をどこか落ち着かない心持ちで過ごした後、全力でルクスから顔を背けて震えている受付嬢に気付き、頭の上に?を浮かべながらも静かに光の消えた板を見て、もう終わったのかな?まだかな?と考えることもう少し。


「――も、もう手を離していただいて大丈夫ですよ。こちらがルクス様のギルドカードになります……」


 どうにか尊厳の解放を阻止した受付嬢が、若干手を震わせつつも、真新しい鉄製と思われる鈍色のカードを差し出した。


「わぁ!こ、これが僕のギルドカードなんですねっ!」


 冒険者になることを夢見て数年、ようやくその入り口に立てたルクスは、これまでの疲れも忘れて喜びを爆発させた。

 大事そうに受け取ったカードを胸に抱きしめ、目端に少しだけ涙を浮かべながら、それでも表情は誰が見ても「最高……!」と言うに相応しい満点笑顔である。

 その時ギルドにいた者たちは、足の先から髪の毛の先まで全てから幸せオーラを解き放ち、ピョコピョコ跳ねて喜ぶルクスの様を見た瞬間、倒れる者、蹲るもの、目を抑えて戯言を呟くものと、それは酷い有様を晒す羽目になった。当然、これに男女の差はない。

 最も酷だったのは、その眼前でそれを目の当たりにしてしまった受付嬢であろう。先程はなんとか堪えたものの、僅かな抵抗も空しく鼻から尊厳を吹き出し、その勢いのまま後ろに倒れたかと思えば、後頭部を真っ直ぐ床に打ち付けたにも関わらず恍惚とした何とも言えない表情を浮かべているのだから、まあ、お察しである。


「――っは!?だ、大丈夫ですか!?」


 まさか自分を見て倒れたなどとは気付くはずもなく、あまりにも綺麗に視界から消えた受付嬢がたてた音にビクリと肩を震わせたルクスは、カウンター越しに何故か安らかな表情で眠ったように動かない彼女を見て、また驚いて声を上げた。





 ――その後しばらくして、冒険者ギルド内で起きた謎の集団昏倒騒ぎが落ち着くまでは、ルクスの冒険者登録が完了することもなく、ようやく全てが終わった頃にはすっかり夜も更け、真ん丸な月が空に浮かんで瞬く星と共に街を見下ろしていた。

 どうにか宿を確保したルクスは、今日起きた出来事がまさか自分の容姿の所為だなどとは考えもせず、ただようやく手に入れた冒険者の証を眺めながら、その感動を胸に眠りについたのである。

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