Chapter2_錯迷のホロコースト

Act8_初仕事

/名もなき山賊

9月5日 21:00 ミスティア王国―王家領―北方魔物部族連合戦線―モンストラ戦線近郊


 太陽が完全に沈みきり、闇が森を包んでいる。

 眼前に焚かれた炎がゆらめき、パチパチと音をたてる。

 周囲には8名あまりの人影。そのどれもが革鎧や短刀などで武装をしている。

 少し離れた場所からは、女の嬌声と少年の苦悶の声。はてさて、いまあの収穫物の少年は何人目の相手をさせられているのだろうか。全く持って哀れな事である。


 商人である母親が護衛代をケチってその辺りのチンピラを適当に雇ったばかりに、あの少年は戦利品として我らに犯される事となった。

 ただ情欲を発散するためだけの行為に愛など微塵もあるはずもない。齢14程度の少年は、例えこの後生き残ったとしても再起不能な傷を負うことは間違いないだろう。全く哀れなことこの上ない。だが彼の陰茎の具合はそれなりによかった。

 既に一家の主であった母親は首と胴体が分かたれその辺りに転がされている。親父の方は犯される内に死んだ。最早天涯孤独となったあの少年にこの先は存在しない。  

 もし残された道があるのだとすれば、それは我々の性処理奴隷としての未来だけだ。


 我々は山賊である。元はバスティオン子爵という辺境貴族の従士であったが、最早我らが仕えたそのお家は存在しない。

 数年前に侵攻してきた北方魔物部族連合に蹂躙され、そこに住んでいた者の8割が虐殺された。所謂敗残兵という奴である。

 飼い主を失い、学も力もない者達がどうなるかは自明だろう。

 生き残る為に誇りも、恥も何もかもを捨て賊と成り果てた。

 一部の才能のある者は王家やアルムクヴィスト公爵家、ウォルコット侯爵家辺りの大貴族達に迎え入れられたのだろう。

 だが我々は所詮爪弾きものの集団。そんな連中と馬が合う筈もない。弱いものは殺され、犯され、食い物にされる。それが我々があの地獄で学んだ事であった。


 ここはミスティア王家領の辺境。北東部に位置する魔物部族連合との一大戦線であるモンストラ戦線の外縁部から4km程の地点。

 その戦線の補給路として用いられている街道から少し逸れた山の中だ。

 この辺りには遥かな過去に築かれた遺跡が複数存在しており、身を隠すのには困らない。

 いまは夕方頃に襲撃した阿呆な商人一家が運んでいた食糧と、少年を楽しんでいる最中である。

 しっかりとした護衛を雇っていれば、10名程の敗残兵崩れの山賊に殺されることも無かったのに、全くもって馬鹿な事だ。

 ミスティア傭兵の精強さはこの土地に住む我々だけでなく、周辺各国にも轟く程である。もし傭兵の中でも最精鋭、最大勢力たるレイレナードの連中に護衛を依頼していれば襲撃などされることは無かった。我々は所詮畜生。自分より強いものに手を出すことなどしないのだから。


「にしても楽な襲撃だったな。あいつら、正式な輜重部隊じゃなくて金に目が眩んだ商人連中に違いないぜ。きっと前線のアルムクヴィスト部隊か、王家部隊に高値で売りつける気だったんだ」


 仲間の只人ヒュームが下衆な笑みを浮かべながらそう言った。

 若い男を犯し、腹も膨れたからだろうか、満足そうな表情を浮かべている。まあそれは私も同じであろう。久方ぶりの男の身体はとても好かった。肉を口にしたのも随分と久しぶりな気がする。


「ついこの間起きたフェリザリアの侵攻もあって、軍事特需が起きているらしいからな。しばらくは同じ様な商人連中がここを通るだろうぜ。正規軍の輜重隊を襲撃しなくても餌が転がり込んでくるのは楽でいい」


 フェリザリアの侵攻。そういえば一昨日襲撃した商人がそんな事を話していたか。


 2週間ほど前にフェリザリアとミスティアの国境線で、アルムクヴィスト軍が奇襲されたらしい。

 何でも逸脱者ノルデリアが参陣した地獄だったらしいが、ミスティア側の逸脱者、オイフェミア・アルムクヴィストと第一王女、ベネディクテ・レーナ・ミスティアによって退けられたのだそうだ。正しくノブリス・オブリージュ高貴な者の義務を体現する存在と言える。

 気に食わない。我らが味わった地獄をあの連中が味わえば良かったものを。貴族なんだ。その位の覚悟はできているだろう。


「そういえばその侵攻で面白い話を聞いた。なんでもアルムクヴィストとミスティアの姫を助けたがいるという話だ」


「男傭兵?」


 仲間の戦兎人ヴォーリアバニーがそう訊き返す。男傭兵だと?そんな珍しい存在がいるというのか。


「どうせ眉唾ものの噂だろう」


「それがそうでもないらしい。実際に王家公認の傭兵として男傭兵が活動開始したようだ。それに2週間前のを解決したのも、その男傭兵だとよ」


 なんとも奇っ怪な話もあるものだ。正しく御伽噺のようではないか。だが男の傭兵とは面白い。是非犯して味わってみたいものだ。


 ――ドサリ、と何かが倒れ込む音が耳に入った。

 直後に水気のあるものがびちゃびちゃと飛び散る音が、お楽しみ中の連中がいる方向から聞こえてくる。


「ハハ!おいおい、いくらなんでも楽しみ過ぎだろう?どんだけ潮吹いてるんだよ」


 その言葉に下衆た笑いを多くの仲間が溢す。だがそれに対する返答は無かった。

 イきすぎて気を失ったのか?まあそれは良いがあの少年はまだ使いたい。そっちに死なれるのは些か困る。

 少し様子を見に行った方が良さそうだ。仲間達に言葉を告げてから、ヤり場へと向かう。

 焚き火が起こされている場所からは直接見えない崩れた遺跡の中。

 私は月光が僅かばかりに照らすそこへ脚を踏み入れた。そして言葉を失う。


 眼前に広がっていたのは、真っ赤な華を頭から咲かせた仲間の死体。虚ろな目をする少年に倒れ掛かる様にして、脳漿が炸裂している。

 その死に様は決して腹上死ではない。明らかに頭蓋を砕かれ、殺されている。

 少年が殺ったのかと思い視線を向けるが、どうやらそうでは無いようだ。


 一体何が起きたのか理解できない頭を振るう。

 とにかく仲間たちにこの事態を知らせようと声を出そうとした瞬間、喉が強く締められ声が潰された。

 抵抗しようと全身に力を込めてもその拘束が解けることはない。

 いや、正確には力を込める事ができなかった。理解ができない内に顎に手が伸びてくる。次の瞬間には視界が一回転し、本来見ることのできない筈の真後ろの光景を映していた。

 急速に途切れていく意識。

 最後に見えたのは、橙色のメガネの様なものを付けた誰かの顔であった。


/朝霞日夏

9月5日 21:10 ミスティア王国―王家領―モンストラ戦線近郊


 様子を見に来た女山賊を背後から強襲し、首を圧し折った。

 最早手慣れた軍隊格闘であるが、それで人を殺したのは随分と久しぶりな気がする。

 アゼルバイジャンでは拠点防衛が任務だったために、白兵戦を行う事は無かった。


 銃では無く、自らの手で人間を殺したのは実際に半年ぶりくらいであろうか。だが最早染み付いた人殺しの技術だ、たかが数ヶ月のブランクがあった所で鈍ることもない。


 さて。何故こんな所で山賊を殺しているかと言えば、これがこの世界で傭兵としての初仕事であるためだ。

 ベネディクテからの仲介で受けた前線地域の補給路周辺に出没する山賊団の殲滅。

現在その任務の最中である。

 本当は遠距離狙撃で片をつけたかった所だが、要救助者の姿を認めた為、渋々潜入している所である。

 本来であれば、時間を使い相手の戦力や配置などを偵察した後に作戦を決行したかった所だが、そんな悠長な時間は無かった。

 とりあえずお楽しみ中だった獣と、その様子を見に来た馬鹿は片付けたので、残敵は8名。

 とはいえ一息つく時間は無いだろう。こいつが帰ってこないとなれば更に人数をかけて様子を確認しにくることは間違いない。さっさと仕事を済ます事にしよう。


 少年の上で頭を砕かれた女山賊の死体を音の出ない様にどかす。

 目は虚ろで焦点が合っていないが、かろうじて息はありそうだ。とりあえず叫ばれる心配は無さそうである。

 手にしたサプレッサー減音機付きのレミントンACRアサルトライフルを構え、崩れた建物の影から焚き火の方を確認する。

 まだ気づかれてはいない。数を確認する。7名が焚き火を囲んでいるようだ。

 残りの1名は用でも足しに行っているのだろうか。一気にまとめて始末したい所であるが、待っている時間も惜しい。


 暗闇の中からレミントンACRアサルトライフルを構える。

 人間の目は光源とは逆の方向への視界は極端に悪くなる。見つかることは無いだろう。

 狙いを定め、トリガーに指をかける。身体には鎧を身に着けているが、頭部は剥き出し。

 あの魔神との一戦をへて、この世界の生物の頑強さは身にしみて理解していた。

 下手なバイタルを損傷させるより、頭蓋を粉砕したほうが確実だ。

 ゼロイン済みの光学機器ホロサイトのレッドドットを、山賊の頭部へと合わせる。


 そしてトリガーを引いた。撃鉄が落ち、薬室に装填されていた5.56mm NATO弾の雷管が叩かれ、鉛玉が暴力的な初速で射出される。

 本来であれば耳を劈く様な破裂音と共に射出される弾丸は、しかしサプレッサーの減音効果によって気の抜けた炭酸の様な音と共に飛翔する。

 亜音速の弾丸は寸分狂わず女盗賊の頭蓋を砕き、脳をかき混ぜる。

 間をおかず次の盗賊の頭目掛けて銃弾を撃ち出す。後はその繰り返し。3秒とかからず7名の盗賊の頭蓋は砕かれた。


 たかだか10m程の距離で外す訳もない。ハンドガンであればまた別だが、いま用いているのはカービンライフル。最早接射といっても過言ではないのだ。


 さて、残存する1名を探すとしよう。

 できれば最後の1人は殺したくはない。生かして情報を聞き出したい所だ。その後ベネディクテに引き渡してしまうのが良いだろう。

 暗闇から身を乗り出す。なるべく光源に入らない様に素早く暗所から暗所へと移動していく。位置を変え、焚き火周辺を狙えるポジションに陣取る。


 しばし待てば最後の1人が困惑した様子で駆け寄ってきた。光源でその姿を確認できたが、頭に犬のような耳が生えている。あれは王都の食い逃げ騒ぎの時に一戦交えた人狼ウェアウルフだろうか。

 ひとまずは脚を撃ち抜いて無力化。そう考え、膝に照準を合わせた瞬間、その人狼と目があった。


 ――馬鹿な。あれだけ光源の近くに居てこの暗所が見えているのか?

 内心で舌打ちをしつつ、引き金を絞った。普通の人間相手であれば問題なく命中する筈のそれは、だがしかし当たらなかった。

 人狼は咄嗟に死体を投げ出しながら地面に転がり、銃弾を回避する。わかってはいたことだが、やはり尋常ではない身体性能だ。


 直後、狼の遠吠えの様な音が響き渡る。

 人狼の身体が変化していき、全身が体毛に覆われていく。

 顔が犬科の動物の様に変形し、まさしく狼女の様な風貌となった。

 ゼファーとオイフェミアから聞いていた知識とはいえ、その目で直接観測するとやはり驚く。

 銃を短連射する。それに対し人狼は連続で地面を蹴りながら乱数回避し、俺へと肉薄してきた。

 舌打ちをしつつ、突き出された右の拳を身体を反らして回避する。耳元で風切り音が鳴り、背後にあった石壁が砕けた。

 想像以上の膂力に眉をしかめる。初撃を捌かず、避けたのは正解であった。対人間の要領で攻撃を受けていたのなら、最低でも骨は砕けていただろう。あの魔神といい、まともな格闘戦の常識が通用しない連中ばかりだ!

 連続して右の上段蹴りが飛んでくる。屈んで回避することは可能だろうが、身体能力の差的にその後の追撃を避けることは不可能――故に前へと踏み出した。


 蹴りというのは膂力以上に遠心力にその威力を依存している。そのため懐へ飛び込めば飛び込むほどその威力は弱くなる。そしてどれほど強靭な肉体を持とうとも、人型である以上弱点は共通して存在している。

 俺はACRを縦に構えつつ、蹴りを行っている右脚の膝に向け、銃のピカニティレール金属製の20mmレール部分をぶつけた。


 肉と骨が裂ける耳障りな音がヘッドセットを通じて耳に入る。

 そして人狼の右足が逆関節となり、鮮血が舞った。身体に襲い来る凄まじい衝撃を、肩甲骨をずらして効率よく逃す。

 人狼から絶叫が上がる。体勢を崩し地面へと転がった人狼に対して、すかさず追撃を仕掛けた。

 ナイフを引き抜き脇の下の腱と股下の腱を切り裂く。

 いくら膂力が強かろうとも、腱さえ切断してしまえば問題は無い。そのままブーツの堅い靴底で拳を砕き、喉元に刃を突きつけた。


「抵抗するな、死ぬぞ」


 恐怖を宿した人狼の瞳が俺の顔へと向けられていた。


/名もなき山賊の人狼

9月5日 21:15 ミスティア王国―王家領―モンストラ戦線近郊


 この眼の前にいる男は本当に只人なのだろうか。

 見た目は間違いなく只人だ。私達人狼でも、戦兎人でも、森人エルフでも、鉱人ドワーフでもない。純然たる只人にみえる。

 だがその目。その何処までも冷たい瞳は、どちらかと言えば魔族を彷彿とさせた。


 全身の毛が逆立つ。この眼の前の男に対して恐怖する。意識が沸騰する。激烈な痛みで獣化を維持することすらままならない。

 脚が熱い。切り裂かれた腱が灼熱する。もうこのまま意識を手放した方が楽なのではと、そう考え始めたとき、潰されていない左手に激痛が走った。

 手放しかけていた意識が急速に引き戻される。恐れを抱きながら目の前の男を見れば、先程と変わらぬ何処までも冷たい瞳を私に向けていた。


「お前たちは何人だ?これで全てか?」


 冷徹な声が耳に届く。朦朧とする思考でその意味が頭に入ってこない。

 そうしていれば再び左手に激痛がはしった。みっともない声を上げる。童貞が陰茎に歯を立てられたような声を上げてしまう。

 咄嗟に左手を見てみれば、弦の無いクロスボウのような物のストックが叩きつけられていた。


「勝手に寝るな。答えろ。お前たちは10人か?」


 必死に首を縦に振る。全力で肯定の意志を示す。私の心は完全に目の前の男に屈していた。女である私が男に屈するなどみっともない、というちっぽけなプライドは完全に砕けている。


 ただ、この場から助かりたいと、必死に神に願った。


「攫ったのはあの少年だけか?」


 首を横にふる。夕方の襲撃で攫ったのは商人の母親とその夫、そしてあの少年の三人だ。

 それを伝えようとするが口が回らない。恐怖で舌が動かない。魚のようにパクパクと口を動かせば、再び左手の指に激痛がはしった。見れば中指の爪と肉の間にナイフを差し込まれている。

 目頭から涙が溢れ出す。絶叫を上げる。許してくれと叫ぶ。だが更にナイフが奥へと入り込んできた。


「喋れるじゃないか。攫ったのは何人だ?」


「さ、3人です!あの少年の両親も攫った!だけどもうその2人は死んでいる!」


 男は鼻を鳴らし、爪の間からナイフを引き抜いた。一瞬の安堵もつかの間、みぞおちに強烈な痛みが広がっていく。

 男が靴で私の腹に思い切りストンプをしたのだ。

 それを理解し、止めどない恐怖と痛みで叫びそうになった時、口に布を噛まされた。


 身体を起こされ、四肢を拘束される。そして慣れた手付きで応急処置を施された。

 各部の出血が止まり、折れた脚に添え木がされる。先程までの行動とは矛盾したそれを淡々と行う男に対して、益々恐怖心が強くなっていく。

 この男は何なのだ。最早アンデッドや魔族、魔神に与する存在と言われた方が納得がいく。何故殺さないのだ。理解が及ばない。

 そして私の身体を俵の様に担ぐと歩き出す。


 男は少年が犯されていた場所までやってくる。乱雑に私を地面へと投げ捨てれば、男は少年の元へと近づいていった。


「動いたら殺すぞ」


 どこまでも底冷えする言葉が私に向かって放たれた。

 直後その声色とはうって変わり、何処までも優しい声色と手付きで少年の介抱を始める。

 その差異で私の心は完全に折れた。

 同じ人物がここまで変われるものなのか。

 あの男は怪物だ。そうに違いない。怪物だ。


 そして少年にも応急手当を施した後、手を引いて立ち上がらせる。相変わらず虚ろな目を浮かべる少年だが、歩くことはできるようだった。


「着いておいで」


 男がそう言って歩きだした。日の落ちきった森の中を歩いていく。私は男の肩に荷物の様に担がれ、少年は静かに後ろを着いてきていた。

 しばしそうやって進んでいれば、森の切れ目にたどり着く。

 そこには馬のない馬車のような物が置かれていた。それの後部ドアを開き、荷物の様に私を投げ入れる。そして何処までも優しく少年を助手席に乗せると、男自身もその横へと座った。

 どうするつもりなんだ、と朦朧する意識で考えていると、不意にこの馬車のようなものが動き出す。

 本当に意味がわからない。しかしどの道私に明るい未来は残されていないだろう。絶望が胸中を支配しながら、激痛と恐怖で限界を迎えていた意識を手放すのだった。


/ゼファー・ミフェス

9月6日 10:15 ミスティア王国東部―朝霞の弾薬庫


「クッ!?」


 アサカから放たれたみぞおちへの膝蹴りを、なんとか寸前で受け止める。

 彼の膂力自体は熟練者の只人程度しか無いが、こちらの動きに合わせてカウンター気味に入れられたその一撃は、膂力以上の破壊力を有していた。

 後方へ飛び退き距離を取る。アサカはだらりと脱力した様な姿勢のまま、その鋭い眼光をこちらへと向けていた。

 一見隙だらけに見えるが、恐らくは何かしらのカウンターを狙っている。摺り足で間合いを測り――一気に地面を蹴り上げた。

 初速のまま身体を加速させ、顔面めがけて左の拳を放つ。だがアサカがこれに対応してくるのは明白。故にそれをカウンターとし、彼がスウェー気味に回避した所に合わせて右の前蹴りで追撃を行う。


「痛ってッ!」


 だが次の瞬間には私の視界は一回転をし、視界には高い夏の空が映っていた。

 太陽がまもなく登り切る時間帯ということもあり、額から汗が垂れていく。

 蹴りをいれたところを状態を捻って回避され、直後に私の顎を押しのけるようにして地面へと倒された。後から考えればそんな単純なことであるが、私の速度は英傑者の中でも上位層だと自負している。なんでこうも容易く対応されてしまうのか、理解ができなかった。


「大丈夫か?」


 短い顎髭を蓄え、額の上にはオレンジ色のサングラスをかけている美形の男――アサカの顔が陽光を遮る。

 彼の差し出した手を取り、苦笑いをしながら立ち上がった。


「ありがとうアサカ~。いやー本当に手も足もでないや。身体能力は私の方が高いと思うんだけど、どうして?」


 背中に付いた青草と払い落としながら、アサカへと漠然とした質問を投げかける。

 彼も苦笑いを浮かべながら口を開いた。


「確かにゼファーの方が圧倒的に身体能力は高い。だけど動きが直線的過ぎて対処しやすいな。膂力が上の相手でも、その力を利用してやれば簡単に投げれるよ。まあ一旦休憩するか」


 彼がそう言いながら、弾薬庫の中に設置された簡易なローテーブルへと向かっていく。冷水が充填されたピッチャーから水を注ぎ、私へと手渡してくれた。

 それを礼を言いながら受け取り椅子へと腰を下ろす。

 もはやここ2週間ほどの朝のルーティンとなっている光景であった。


 私は王都事変の後から、アサカに格闘術を教えてもらっている。能力と魔術に頼っていた戦闘スタイルの私にとって、明確な弱点が格闘戦であった。

 対してアサカの格闘術の技量の高さは、王都事変での"魔弾の魔神"戦を共に戦った身として脳髄に刻まれている。

 圧倒的な身体能力差がある中で、彼はあの魔神の格闘を幾度もいなしていた。相当な技量が無ければ受け流す前にひき肉になることは明白である。


「アサカに教えてもらいはじめてから、随分と目が良くなった気がするよ。なんというか、情報の処理に頭が追いつく?みたいな」


「それが所謂慣れってやつだな。ゼファーのスタイル的に動体視力は相当なものだろうから、あとは人体構造の理解と術理さえマスターしちゃえば、俺程度一瞬でぶっ飛ばせるだろうね。伸びしろが凄いよ本当に」


「あはは~。おだてるのが上手だなぁ~。ほんと、毎日いろいろ教えてくれてありがとうね~!」


 彼は褒め上手である。そのおかげもあって技量の上達を実感できる程いろいろな術理や身体操作が身についてきた。

 私はアルムクヴィスト公爵家の武闘大会で優勝したことがきっかけで近衛隊に叙された為、正規の格闘訓練はほとんど受けていない。我流では限界を感じていたところでアサカと出会えたのはまさに僥倖だった。

 そもそも魔術に代表される魔力技術が主流の私たちの世界は、アサカの世界ほど格闘術に重きを置いていなかった、というのもある。

 簡単な話、術理がおろそかでも、圧倒的に膂力と速度を強化して殴れば大体の存在は殺せるのだ。


「俺も構造強化エンハンスドをゼファーに教えてもらって助かってるから、お互い様でしょ。ようやく魔力というものが実感して感じ取れるようになってきた」


「いいね~!構造強化は呼吸法にも近しいものだから、格闘術に馴染み深いアサカはすぐに使えるようになると思うよ!」


 私がそう言えば、彼ははにかんだ笑みをこちらへと向けた。

 その表情に、鼓動が少し早くなる。王都事変の後から、アサカの笑顔を見るとずっとこんな調子なのだ。しかも収まるどころか、日に日にそれは強くなっていっている。

 あの魔神との戦いの影響で、身体に不具合がでているのだろうか?深淵アビスの魔力を多量に浴びたことで、心臓に負荷がかかっている可能性も否めない。今度近衛隊の仲間に相談してみよう。太陽の陽気と運動をしたせいか、熱くなった顔に水の入ったグラスを当てた。

 

 閑話休題。


「そういえば昨日の初仕事どうだったの~?聞いた話だと捕虜を獲った上に子供を救出してきたとか聞いたけど」


 アサカの初仕事――先日の傭兵としての活動について質問をする。


「ああ。盗賊団は壊滅させたよ。ベネディクテにその捕虜と子供は引き渡している」


「単独行動は初めてだったと思うけど、問題なさそう?」


「正直、他の人員は喉から手が出るほどほしい。俺は単騎無双なんてできないからな。部隊での行動をしたいってのが本音」


 アサカは苦笑いと共に謙遜を漏らす。

 彼の銃と格闘技術の高さを持ってすれば、熟練者級程度相手なら無双できるだろうに。


「なら稼いで傭兵団を組織しないとね!」


「それも考えたんだけど、人の上に立つのはあんま向いてないんだよなぁ」


 心底実感が伴った声色で、彼はそう語る。ここ2週間で色々な事を話したが、どうやらアサカは元の世界で士官だったらしい。その経験での言葉だろう。

 私からすれば彼のように肝の据わっている上官は好ましいのだが、当人からすれば違うということか。


「そういえば、その仕事中に変化した人狼と交戦したよ。あの膂力はやばいな」


「狼形態の人狼は人よりも獣に近しい膂力を持ってるからね~。まともに殴られでもしたら即死さ。接触前に倒せてよかったね」


 変化した人狼との白兵戦はあまりにもリスクが高い。魔弾の魔神ほどではないが、それでも身体能力の高さは折り紙付きである。故に近接戦になるまえに銃で無力化したのだと思ったのだが、続けて彼の口から出たのは予想外のものだった。


「それが恥ずかしながら接近を許しちゃってさ。格闘戦になって焦ったよ。咄嗟に銃の金属部分で足を圧し折れたから良かったけど、一歩間違えれば死んでいたな」


 思わず絶句する。獣化した人狼の膂力は瞬間的に上位者にも並ぶ。それと白兵戦をして怪我もしていない?意味がわからない。

 何度も言っている通り、アサカの身体能力は精々がよく鍛えただけの常人。つまり、圧倒的な身体能力差を覆せる格闘術の技量の証左でもある。

 私はアサカの最大の武器は銃だと思っていた。だがもしかすると、彼の本当の武器は、その天才的な格闘術や白兵戦のセンスなのではないだろうか?


 これで構造強化を使いこなして、身体能力差を埋められるようになればどうなるのだろうか。


 ――見たい。


「アサカ、一旦組手は中止して構造強化の練習にしない?私も教えてられてばっかじゃ悪いからさ」


「ん?ああ、構わない。俺もさっさとその辺の技術を身に着けないと、遅かれ早かれ死ぬだろうしな。ありがとう、ゼファー」


 彼の屈託のない笑みを見て心臓が逸る。太陽が反射して顔が熱い。

 だが心底心地の良い時間だ。彼と過ごすこの2週間は、ずっと気分が良い。

 願わくば――この時間がいつまでも続くことを。


 




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