九頭祈禱

秋村 和霞

第1話


 急な仕事が重なった事が災いし、日付を跨いだ時間に退勤する。無理難題ばかりを押し付けるクライアントへの恨み言を心の中で呟きながら、小走りで最寄りの駅へ向かう。オーバーワークでくたくたに疲れ、普段は使わない頭をフル回転させた為か、少し熱を帯びた頭痛に襲われていた。


 しかし間の悪い事に明日は常時よりも早めに出社しなければならず、一刻も早く眠りにつきたかった。何としても、終電である零時十三分の各駅停車××行に乗らなければ。


 駅に辿り着くと、終電にしては人の姿が多いように見受けられた。そのほとんどは私と同じようにくたびれた様子のサラリーマンだったが、中には世情を鑑みる事を知らない若者グループがアルコール飲料の缶を片手に浮かれた様子でたむろしている。


 嫌に人が多い。一体何事だろうかと訝しんでいると、構内アナウンスが答えを示す。


「○○駅構内での人身事故の影響により、××行は運転を見合わせております。再開のめどは立っておりません。繰り返します、○○駅構内での――」


 私はため息をつき、駅から踵を返して繁華街へと向かう。今から一杯ひっかけようなどと、浅はかな考えではない。このままいつ再開するかも分からない電車を待ち続けるよりも、ネットカフェにでも泊った方が睡眠時間を確保できそうだからである。


 ここ数週間、嫌に人身事故が多い気がする。今朝も出社時に××駅の隣駅である赤務あかむ駅で人身事故があり、ダイヤが乱れていた。そういえば、つい先日赤務で連続通り魔事件が起こったと聞いた気がする。昼の休憩時間にニュースで見た集団で自殺だか失踪だかの事件も赤務の近くではなかっただろうか。九頭龍くずりゅう神社という古い神社での祭りが全国的にも有名で、観光地にもなっている赤務が、一体どうしてこれほど治安が悪くなったのだろう。

 

 駅近くに広がる繁華街は、まるでゴーストタウンの様に静まり返っていた。妙な病が流行する前であればネオンの毒々しい看板が立ち並び、不夜城の様に賑わっていたこの場所も、今では電気がついているのは外れにある交番と、そのはす向かいにあるコンビニ、そして私の定宿であるネットカフェしかなかった。


 店内に入り、無人の受付で入室の処理を行う。前に利用したのが随分と前という事もあり、会員カードの有効期限が切れていた為、再発行の料金を追加で取られる。本当に嫌な事とは連鎖するものだ。


 有料のカップ麺を購入しお湯を入れ、歯ブラシや剃刀といったアメニティを取り、受付でプリントされた番号の部屋へと向かう。


 分かり切っていた事だが狭い部屋だった。大の字になって眠る事は叶わない。そのうえ、壁は薄く両サイドに人の気配を感じる。極めつけに煙草の臭いが充満していて、お世辞にも快適な空間とは言えなかった。私は涙が溢れだしそうなのを必死で堪え、ネガティブなのは空腹のせいだと言い聞かせながらカップ麺をすすり始める。


 塩分とカロリーが高いばかりで、栄養の偏りが激しいカップ麺でも、腹の中に納まってしまえば気力の源となってくれる。私は思考を一旦リセットし、できるだけ前向きに物事を考えるようにする。この繁忙を乗り切れれば、私に対する会社の評価は格段に上がるはずだ。顧客の信頼も得られれば、新たな案件を引っ張って来れるかもしれない。今が正念場なだけで、この山場を越えられれば仕事も落ち着いてくれるはずである。


 とにかく今は耐え忍んで乗り切ろう。その為にも、早く寝て明日に備えなければ。

 そう考えた矢先、更なる不幸が私を襲った。


「……お疲れのところすいません。先ほどお食事をされていた方にお願いがあるのですがよろしいでしょうか」


 男性とも女性とも判断がつかない、中性的な声だった。抑揚が無く淡々と喋るその声は、時折動画配信サイトで耳にする、音声読み上げソフトの声に似ていた。


 このネットカフェの仕切りは天井まで届いていない。その為、どこかで誰かが喋れば、その声はフロア全体へ聞こえてしまう。お食事をされていた方とは、カップラーメンを食べていた私の事だろうが、こんな所で喋りかけて来る他人がまともな人間だとは思えず無視を決め込む。アメニティで耳栓があったが、取ってこなかった事をひどく後悔した。しかし、いまさら扉を開けて取りに行こうものなら、共有エリアに出た私に対してこの声の主がどのような行動に出るか予想もつかない。


 私が恐怖と疲れで押し黙っていると、声の主は構わず続きを話し始める。


「お願いというのは私の話を聞いていただきたいのです。失礼ですがきこえていますか?」


 もちろん私は返事をしない。無視をして横になり目を閉じる。体はへとへとに疲れており、このまま眠ってしまえそうだった。


「まあ聞こえていてもいなくても構いません。ただただ私は自分の体験した事を誰かに話しておきたいだけですから。貴方は赤務市で起こっている数々の事件をご存じでしょうか?」


 目を閉じた暗闇の中でその人物の声だけが響く中、うつらうつらと私の意識は遠のき始めていた。


「赤務市で今起こっている事は、実は例の病が深く関係しておりまして……ふふふ、私もこの相関関係に気づいた時には思わず笑ってしまいました。風が吹けば桶屋が儲かるとはよく言ったものです。今回の件は強いて言うならば――」


 私はねっとりと絡みつく様な睡魔に誘われ、深い眠りの底へと沈んでいった。

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