第42話 おかえりなさい

 風を巻き上げながら上昇していくヘリを、髪を押さえながら見ていたユウが歩き出す。ヘリが着陸した大きな病院の側の公園から、十分ほどで家に着いたユウは鍵を開けながら呟く。


「あ~今日は、ホント大変だったなあ。浅井君のトラブル、確実にスケールアップしてきている」

 靴を脱いで部屋の中に入るユウ。


「ねえ、あんた――今日は結構格好良かったよ」

 ユウの呼びかけに、部屋はひっそりしたままだった。

「そうか、あんた……消えちゃったんだよね」

 静かな部屋に、ユウは急に胸を捕まれたよう感覚に襲われる。

「なんか胸が苦しい。これって寂しいってこと? 悪霊がいなくなって寂しい? わたしどうかしている」


 着替えを済まして、部屋着になってベッドに寝転ぶ。

 しばらくすると、何かの音が聞こえてくる。

 それが時計の音だと気がつくまでに、しばらくかかった。

 起き上がったユウは、いつも悪霊が座っていたソファの上に座ってみる。


「こんなに広かったっけ? 私の部屋。今日の騒動で身体と精神は、疲れ切っている筈なのに、全然眠れない」

 しばらく何もせずに、ソファの上で足を、ぶらつかせてみる。

「アイツのバカ……本当にいなくなるだったら、ちゃんと挨拶しなさいよね。いつも私に挨拶は大事じゃとか、言ってたくせに……まったく」


 ソファに横になり天井をただ見ていた、音も画面もネットも今は欲しくなかった。ただぼんやりと時間が経っていくのが感じられた――目を閉じたユウの意識が一瞬遠のく。



 五月の日差しは強い。だが吹く風にはまだ冷たさが残っている。

 この土地の緑は強い色を放つ。

 それは強い春の日差しと、長い冬がもたらすもの。


 雪は半年近くも土を隠し、そして奥州の春は燃えるような緑に包まれる。

 しばらく風の中で立っていた、十二、三歳の娘が口を開く。


「……いつお戻りになられます?」

 問われた若き武将は、娘より二、三歳くらい年上に見えた。

「今度の戦は、我が家、最大のものになるだろう」

「はい……城下では伊達との大戦おおいくさが話題になっています」

「我も、父上と一緒に出陣する」

「お聞きしております。大事なお立場だとか」


 若き武将は綺麗にまとめられた髪に、春の風を受けて空を見ていた。

 しばし、風の音だけが聞こえていた。


「……いつお戻りになられます?」

 空を見上げたまま、若き武将は自分に言い聞かせるように言った。

「今回の戦いは絶対に負けられない大戦だ。我も存分に戦おう。だから我は命を惜しまない」


 娘は下を向いた。


「伊達は強い、我が生き延びるようでは、とうてい勝てないだろう」

 娘は若き武将の顔を見つめた。

「死ににいくと申されますか?」

「そうではない、だが負けるわけにはいかないのだ」


 また風の音だけがしばらく聞こえていた。

 そろそろ正午、太陽は高く輝く。


「よい天気だな。おまえはこの国が好きか?」

「はい、冬は寒く雪も降りますが、春はそれは美しく、里の物もなんでも良く育ちます。そしてこの地を守る男達は強く、約束は絶対に違えません」


 若き武将の手をおそるおそるとった、小さな白い手。

 しばらく空を見上ていた若き武将が、静かに言った。


「それにしても気持ちの良い風だな。少し冷たい……雪解けの春の風か……」

「お戻りを約束してください、あなたは約束を違えません」


 真摯な娘の顔を見て、若き武将は始めて笑顔を見せる。


「分かった、戻ってこよう。おまえの元にな。そして永遠に守ろう」

 降り注ぐ太陽にも負けない、輝く笑顔を見せた娘。

「はい、その時はお向えいたします」

「ああ、その時は出迎えの言葉を頼む」


 娘の手を引き、自分の胸に寄せた武将。

 少し驚いた娘はすぐに愛おしそうに武将の胸に頬をつけた。


「はい……おかえりなさい……と……」


 さっきまでと風向きが変り、風が強く吹き始めた。

 春の嵐がそこまで迫っていた……



 目が覚めたユウ。部屋が少し明るい。


「起こしてしまったか?」


 ユウの横に悪霊が座ってゲームをしていた。

 ボリュームは絞っていたが、ゲーム画面の明るさが部屋を照らしていた。


「好きね、戦国のゲーム」

「そうでもない」

「うそ、毎日やっているじゃない」

「そうかの」


「あんた、消えるって言ったじゃない。なんでここにいるのよ」

「うん? ああ、先程は力を使いすぎたから、霊力を回復させたのじゃ」

「じゃあ、そう言ってよ」

「そう言ったではないか」

「言ってない!」

「そうかの」


「あんたさ、本当に若かったんだ?」

「悪霊の年は関係なかったのではないか?」

「そうね、関係ないわね。でも見ちゃったの」

「何を見たのじゃ?」

「あんたの生きている時の姿」

「どうやって?  四百年前の話ぞ」

「でも見たのよ。絶対間違いない」

「そうかの」


「あんたね、好きな子がいたでしょう?」

「さあな、昔の事で忘れたの」

「そうなの? 約束したでしょう?」

「何を?」

「帰るって」

「知らぬ!」


 初めて感情見せた悪霊にくいつくユウ。


「言ったでしょう!? 絶対言った!」

「くどいのユウ、知らぬと言っておる!」


 悪霊が珍しくユウの言葉に反応したが、ユウを見て自身が驚く事になった。


「ユウ、泣いておるのか?」

「知らない」

「なぜじゃ? 我がいなくなったからか?」

「それもあるけど、違う」

「言葉がきつかったのか?」

「そんなの気にしない」

「じゃあなぜじゃ? なにを悲しむ?」

「うそをついたでしょう? 好きな子に」


「それは……だが、ユウが申している事が本当だとしても、何故ユウが泣くのじゃ?」


「苦しかったでしょう? あんたは自分が死ぬのが分っていて、好きな人に二度と会えないのに、帰るって言うの悲しかったでしょう? 自分が死ぬことなんか微塵も恐れていない。でも好きな人の未来、後に残る者達への心配が心を大きく占めていたから……心残りだったでしょう」


「……その若き武将の為に、泣いているのか?」


「女の子は待っていられる、あんたがうそはつかないと信じているから。例え死んでも逢いに来ると思っていたから。あんたは前に言っていたよ、死んだ者には何も出来ないと。恐れる事は無いとね。恐れる事がない者があの子を守れる力なんて無い事、あの歳で分っていたんだね。今のわたしと変らない歳のあんたが……」


ぽろぽろと大きな涙を流し続けるユウを、ジッと見ていた悪霊が言った。


「ユウは優しい娘じゃの」

「……似てた」

「うん? 誰にじゃ?」

「あんたの好きな娘……似てた」

「だから誰に?」

「私に……似てた」

「そ、それはどうかの」


 悪霊は少し動揺したように見えたが、その真っ黒な顔には表情はでない。


「似・て・た!」

「だから、知らんと言っておる!」

「絶対に似てた! 私とそっくりだった!」

「そうかの」


「うん、そうよ、絶対似てた」

「ふーむ、その件の決着は明日でもいいが、ユウ、おまえが長椅子に寝ているから、我は袖に座っているだが」

「あ、そう? じゃあちょっと待って!」


 もぞもぞ……少しずつ下に動いて、悪霊が座る場所を空けた。

 ユウの脚の膝から下がソファからはみ出す。


「こんくらいでいいかな?」

 空いたスペースに座った悪霊が呟く。

「なんか落ち着かん。もしかしてユウはこのまま寝るつもりか?」


「うん、今日はここで眠る……て、またゲーム? それもゾンビ系ってあんたね、ゾンビゲームは十八禁って言ったでしょう? しかも女の子がこれから寝るのに、その前でドロドロしたのをやるもんじゃないわよ!それと……」

「うん? なんじゃ?」


 ユウが悪霊を見つめた、その目線は時代を場所さえ越えたもの。

 微かな遠い記憶。誰もが持つ遠くて確かな記憶。

 ユウが誰かと重なるように言葉を発した。

「帰ったら、言う言葉があるでしょう?」

「そうだったな……ユウ、ただいま。今帰ったぞ!」


 安心して瞳を閉じた……ユウが答える……

「うん……おかえりなさい」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪霊を見てしまった僕にかわいい彼女が出来て、戦国時代の鬼との戦いに巻き込まれた件 こうえつ @pancoo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ