第39話 覚悟の最速
一対一の戦いに、黒いペンダントに潜む、なにかに助けを求めて、マリを氷で動けなくした九条が吠える。
「卑怯? なにが? 真剣勝負にスポーツのような公式ルールなど無いぜ――負けられないんだよ、どんな力使ってもな。さあ、この世に恨みを持つ者達、怨嗟の声をこいつらに聞かせてやれ!」
ユウが部屋を取り巻く黒い霧の正体を言い当てる。
「九條あなた、慰霊の礎を壊したわね。その欠片があなたのペンダントね」
九条は驚きと苦笑を同時に表す。
「鋭い、鋭すぎるよおまえ。あたりだ。この国で歴史に埋もれた礎。多くの無名の人々の魂。その上におまえたちは暮らしている。そして思い上がり礎を軽んじる。ならば聞かせてやろう、どんな苦しみの中で死んでいったか、その無念さを、その身をもって感じさせてやろう。今はまだほんの少しだけだが、徐々に地獄の門は大きく開く。この世を亡者が覆い、戦国の世が再び訪れる」
明莉が大きく首を振る。
「異界の門を開くなんて、あなたは分ってないわ、九條。戦乱の世はやってくる、あなたの望み通りにね。けれどそれは今じゃない。私たちには戦う準備を整える必要がるのよ」
違うと叫ぶ明莉に口元を緩ます九條。
「今度はマルチブレインの解説か。おまえたちの計画、BU計画だったかな?
世界規模で異能者を作り出す、そして闇と戦う軍勢を作りだす。それだけ人間たちは恐れている……つまり俺は間違っていないわけだ。このまま礎を壊して、門を開けていけば、亡者が世界に解き放たれ、大きな戦いが始まるわけだ」
明莉が一歩前に出て強い感情を見せた。
「ちゃんと聞いてなかったみたいね。準備が出来てないのよ。こちら側が亡者に滅ぼされるわ」
アカリの無謀すぎる、その言葉にも関心がない九条。
「そうか。それでも別におれは構わないぜ。どうせクソみたいな世界。おれと滅んだ方がいい」
「あなたは、いいかもしれない、けど私は嫌なの!」
明莉に続いてユウが九條に言った。
「私達の人生はこれからなの。クソみたいな世界か、それは私達が決める事。あんたの考えなんてどうでもいい」
「そうかい。見解が分かれて残念だ。マルチブレインは分ってくれると思っていたが……残念だよ。では全員、あの世へ連れていくとするか。この場でクシティも消滅させてやる。礎の封印。数万人が殺し合った戦場の鎮魂塔。野に放置され、忘れられた者達の想いを受けて、魂まで失うがいい」
迫る九條の圧倒的な圧力と悪意に、ユウは叫ぶ。
「マリ! 早く逃げなさい!」
動けない身体には冷気が伝わる、だがその青い瞳はまったくゆるがない。
「そうはいかない、これは真剣勝負」
「クク、ちっちゃい姉ちゃんもいいねぇ……俺の好みだ、その強気と瞳の力。じゃあ、続きを始めようか?」
グッと全身の筋肉に力を込めてからマリは、瞳を閉じてスッと力を抜いた。
「ほう? 何か奥の手があるのかな。それなら今出した方がいいぜ。別の能力とかな。そうでないと、次の一撃でおまえは死ぬことになる」
九條が刀を上段に構えた。
「……私には、速さ以外に持たされた能力はない」
九條を見上げたマリの幼い顔立ち。
しかし、大きく見開かれた瞳は蒼に輝き、強い意志を称えている。
「そうか。ならばこの一撃で決着をつける。まだお待ちのお客さんがいるんでな」
上段から九條が振り下ろした刀、ユウが叫ぶ。
「やめて! マリ逃げて!」
身動きできないマリの身体に、九條の黒刀が食い込む。
黒い氷が砕ける音と、右肩の鎖骨が砕ける音が聞こえた。
黒刀をマリの肩に、グリグリと食い込ませる九條。
「自慢の速さはどうした? おまえなら、この一撃もかわせると思ったがな」
痛みを堪えるマリ。鎖骨砕いた刀は少しずつ、マリの固い白筋を切り裂き血が噴き出る。その時、一瞬の瞬き。
「この剣士バカめ! もういい私が助ける!」
マリのところへ駈け寄るユウを、明莉の大きな声が止めた。
「やめなさいユウ! マリの見せ場を取るつもりなの?」
神代先生も横で頷く。
「まったくだ。ちょっとは待ってやれユウ。これからいいところなんだ」
明莉が神代先生を見た。
「先生、五回ですか?」
「いいや、七回だ。見えている五回は全てフェイントだな」
明莉の問いに神代先生が答えた。
「さすが先生は見えたのね。やっぱり素敵です」
九條の顔から笑いが消え、ふらつき始めた。
「おまえ、あの五回の剣筋は、全てフェイントだったと言うのか?」
マリが下げていた顔を九條の声に応じて上げた。
マリの右手の朧、いつの間にか切っ先は左手から離れ、前方へと、払らわれた状態になっていた。
「すげーなおまえ……」
大きく左右に身体が振れた九條は、後ろによろめく。
九條の赤いジャケットに一本の剣筋が入り、みるみる血が滲んできた。
左手で九條がネックレスに触れた瞬間、切断され床に落下する漆黒のペンダント。床に落ちたペンダントは半分に割れ、同時に、後ろへと倒れる九條の身体。
「マリ見事!」
明莉と神代先生が同時に口を開いた。
「いったい何が起こったの?」
ユウにはマリの剣筋どころか、刀を振った事さえ分らなかった。
「先生、これでハッキリしましたよね?」
明莉の言葉に神代がすぐに答えた。
「ああ、マリは強い。心を持っていても、それは変わらない」
「よかった、これで今のマリでいられる……」
まったく意味が分からないユウだけがプンプン。
「あのね! 二人で分ってないで、ちゃんと、わたしに説明しなさいよね!」
あら、と明莉が今の戦いの解説を始めた。
「ああ、そうね……マリは動かなかったの。わざと九條の剣を肩で受けた。纏わり付いた冷たく凍りついた氷を砕く為に、あえて九條の剣を肩で受けた。覚悟したマリの白筋は針金のように屈強な繊維になって身体を守った。そうじゃなかったら、マリの身体は、真っ二つに縦に裂かれていたでしょうね。そして九條が勝った、と警戒を解いた時に、最速の剣を打ち出したの。マリの左手を使ってね」
「マリの左手? あ、血が出てるわ!」
驚くユウに当然だと明莉。
「そう、居合いの技は鞘を滑らせて、通常より速い斬撃を打ち出す。同じ原理で自分の左手を鞘にして最速の剣を打ち出す、それがマリの最速の斬撃技」
「それであの傷が……キチガイ沙汰だわ。自分の身を切って打ち出す技なんて……」
うんうんと同意しながら解説を続ける明莉。
「だから、見事だと言ったのよ。覚悟が無ければ出来ない技だから。しかも利き腕の鎖骨を砕かれても、その痛みさえ見せない、最速の斬撃だった」
ゆっくりと膝を立てて、立ち上がったマリが続けた。
「朧は重さを無くした刀、居合いを放つとしても、鞘など余計な重さを持つ事が速さを阻害する。一切の余分を無くし、自分の身を切るこの技は、私が絶対の勝利を得る為に、自分自身の結論で導いた技」
朧を収めたマリが、ユウ達のところに向かおうとした。
その時、形容しがたいものを感じて立ち止まる。
「九條の気配が……まったく変っていないない……しまった!」
音もなく立ち上がった九條が、素早く浅井を捕まえ、その首に黒刀を当てた。
「クク、別に亡者が憑いていたから悪だとか、消えたから善になるとかそんなのはないぜ。俺はなにも変らない。暴力で愚かで無能な人間達の上に君臨する。生き方や考え方が違うだけで、必ずしも善が正しいわけでもない。人を一人殺せば殺人で間違った事、戦争で数十万殺せば英雄として正しい事。そんなのは全て人間の都合だろ? この世界はもともと、地獄なんだ、生きる事が苦痛なんだよ。その苦痛から逃れるすべはどこにもない。ならばこの世、地獄の王にでもなって、人の苦しみを見物している天上の世界の者どもを、攻め滅ぼすのさ」
ユウが九條に向かった。
「そうね、それもことわりよね、あなたのね。でも浅井君は関係ないでしょう? 離して頂戴!」
「駄目なんだよ、クシティは天上の世界の者、俺の敵だ。敵は一人でも減らしておきたい」
ユウは首を振った。
「浅井君はそうは思わない。クシティ・ガルバ、地蔵菩薩は、路傍に立つお地蔵さんなの。何の特別な力も持たない。亡くなった寂しがる子供や、地獄を彷徨い続ける寂しい者達を、ただ見つめ続けるだけの存在なの。ただ一緒にいてあげる事、それが浅井君のことわりなの」
浅井君が口を開いた。
「おじさん」
「なんだ? 命乞いか? それなら、おまえもその辺の人間と同じ。おれには興味はない者。すぐに放してやる」
「ううん、僕が必要なら連れて行っていいよ」
「おれが欲しいのは、おまえの命だが?」
「なら、それでもいいよ。僕は役立たずだからね、こうしてみんなにも迷惑をかける」
「九條あんた、浅井君がそんなに怖い? あなたの心が温かい光を求めるのが怖いの?」
ユウが心を見抜くような言葉を放つ。困惑の表情になった九條。
そしてユウの言葉には強い意思が籠る。
「わかった九條、おまえの好きなようにすればいい。どこかへ浅井君を連れて行き、殺したければ殺せばいいよ」
明莉がユウの言葉に驚く。
「何を言っているの? ユウ、浅井君を殺せってなに?」
一歩ずつ九条に近づくユウ。
「すべてのものを救済する、浅井君の意志は変らない、それは私にはどうしようもない事。ただ九條、一つ言っておくわ。今おまえが目の前で浅井君に害を加えた場合、私達は自分を抑える事は出来ない。全力でおまえを倒し、一番の苦痛を与えてから殺してやる。ここから浅井君を連れ去った後に、害を加えても同様よ。浅井君を失った時、私達三人は普通である事を捨てるから。これからの一生を異能な者として生きる覚悟があるから」
歩み寄るユウに九条は表情を緩めた。
「……フッ、分った」
浅井君を手放した九條。部屋に転がっていた椅子を起こして、ふらつきながら座った。
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