第38話 マリ対九条
浅井君に手を握られて、明莉は弱弱しく口を開く
「不思議だね。こうして浅井君に手を握られていると、ひだまりの温かさを感じて、痛みも引いていくみたい」
浅井君は明莉の言葉に、首を振りながら謝り続ける。
「ごめんね、僕のせいでこんなに痛い事になって」
「いいのよ。これでも私は幸せなのよ。浅井君に手を握られ、草原の緑の匂いを嗅げてね」
「僕って、そんなに臭うの?」
「うん、とってもいい匂いがするわ。これで私は心置きなく死ねるわ……ガク」
「わーん、明莉~死んじゃ嫌だ!」
ペッシと、明莉の頭を叩いたユウが、残った薬を浅井君に渡した。
「バカ、この状態で浅井君を泣かさないでよ。薬、残ったのどうする?」
マリが答えた。
「血だらけの男にでも使ってやれ」
ユウが頷いた。
「浅井君、これをあのおじさんにも貼ってあげて」
「うんー分ったよ」
倒れている男の傍に走る浅井君。死んだふりを止めた明莉が舌を出した。
「私も一応怪我人なんですが……薬は九條とやるなら、取っておかなくていいの?」
「今怪我をしている者にこそ必要だろう?」
マリのぶっきらぼうな言葉。
「おや、優しいわね。いつもそうならいいのにねぇ?」
ふっ、笑ったマリ。
「九条との戦いで傷を受けたら、その薬では済まない。それにその男は浅井君を守ってくれた。感謝したい。さて、では始めるか」
蒼炎を吐く朧を中段に構え、マリは九條の前に立つ。
明莉が心配して声をかけた。
「マリ、気をつけて。アイツは」
ユウの言葉に分かっているとマリ。
「ああ、奴は強い。そして私に似ている。正確に言えば、おまえ達に逢う前の私に似ている。戦う以外に目的は持っていなかった。力のみが絶対のものと思っていた、生まれた時からそう教えられた」
マリの言葉にユウと明莉が首を振る。
「マリは強いよ。私なんかと違って本当に真っ直ぐにね」
「それは心が無かっただけだ。戦闘をする人形。ただ相手を倒すだけを考える。剣道の道場でも私より小さな子達を、可愛いと思った事もなかった。小さな子達も私を恐れていた。だが、浅井君やユウ、おまえや先生は、私を心ある者と扱ってくれた。おかげでいつの間にか、子供達に普通に接するようになった。それは心を持つようになった証拠と思いたい」
一瞬の躊躇の後、明莉がマリの秘密を話し出す。
「マリ、心ならある、前からあなたには。そしてあなたが造られた理由は……B・U計画」
「いいよ、別に理由などなくても戦える。心があれば仲間のためにな。明莉、おまえがそうしたように」
九條の前にたどり着いたマリが朧を構えた。
「待たせたな九條」
「ああ、この刀を押さえるのに苦労したぜ」
スラリと金の打紐が巻かれた鞘から、真っ黒な刀身を抜き去る九條。
その手が握る幅広で黄金の柄には青い宝玉が埋め込まている。
「先生、マリ大丈夫かな?」
ユウの問いに腕組みをして首を振る
「難しいかもしれん。戦国時代の刀は、いつも死を覚悟して戦った武将の魂が籠もっている。それには技量だけでは勝てないだろう」
「そんな……先生なら勝てるでしょ? マリが危なくなったら……あ、二人で一緒に戦えば……ううん、私も一緒に戦うからなんとかなる。マリに怪我なんかさせたくない。命を賭けるなんて問題外」
ユウの言葉でも動こうとしない神代先生。
「一対一の真剣勝負におまえも混ざる? ユウ、おまえが死ぬぞ!」
神代先生の雰囲気、高まる九條とマリの気の圧力に、ユウは恐ろしさを感じその場に座り込む。
「そんな……なんでこんな事をしなくちゃいけないの? 逃げればいいじゃないの。逃げよう先生。ねえマリも逃げよう」
マリの瞳は九條のみを写し、周りの声や姿は見えなくなっていた、既にユウの言葉も届かない。
「無駄だユウ、二人は既にゾーンに入っている。我々の干渉はマリの心を乱すだけだ……こんなところで、究極の剣士に心が必要かどうか、試されるのか? 明莉の不安が的中したな。いやまだ、マリに心が与えられた事が、弱さに繋がるかどうかは分らない」
神代先生の言葉に不満を見せるユウ。
「なんで! じゃあ、黙って見ているしかないの!?」
「そうだ。これはマリの心が試される勝負。だが、初めての真剣勝負が、九條レベルだとは。マリには命を賭ける戦いになるな」
九條の黒刀にうっすらと水滴がつく。それは九條の刀が妖刀である証拠であった。
マリは朧を鞘からゆっくりと抜く。表に南無八幡大菩薩、下に護摩箸の姿彫れ、 裏には梵字で大日如来と書かれた、細身繊細優美な直刃小丁子の体を見せる朧。
二人の異能な者が、二本の異能な刀で行う真剣勝負が始まる。
「いざ! 尋常に勝負!」
マリの気合いに、九條が嬉しそうに一瞬笑った。
ジワジワと距離を縮めてくる九條、その手に握られた黒刀には必殺の気合いがこもる。
「強い……一瞬のミスでこちらの命はない」
マリは呟く、強烈な負の力はき出す黒刀に。
大きくゆったりと、上段で構える九條。
マリの握る刀にも必殺の気が満ち始める。
時が圧縮されていく感覚。マリは全身の力を高めながらも緊張は解いていく。
マリは最後の戦いの為に全ての力を抜いていく。
瞳を閉じ周りの景色を視界から消し、打ち込む一撃に無駄なものは完全に消しさる。視界が消えてから耳に入る情報は高まった。周りにいる全員の呼吸音が聞こえる。微動だにしないが二人の戦いは進んでいく。
決着が徐々に近づいている、それを感じ自分の心臓が脈打つ音が高鳴る。
マリは意識的に静かく大きく呼吸をり返す。
徐々に心臓の鼓動が消えていく。そして聞こえ始める相手の鼓動。
相手の心の動きが鼓動を通して感じられてきた。
来る! その瞬間、九條がが響き渡る気合いを発した。
同時に必殺の一撃が、マリの腕を切り落としに来る。
九條の心を感じ、打ち落とされる相手の剣より僅かに速く反応を開始する。
縦に振り下ろされた、九條の剣を追い抜く驚異的な速度を見せたマリ幼き身体。
ゼロから最大速度へ。急激に力が加えられた剣は幻影のように残像を空中に残す。
九條の胴を狙った稲妻のような横一の剣筋。
「斬った!」
ユウが叫ぶ。
だが九條も驚くべき速度で後ろへ、反撃の剣は僅かに届かなかった。
九條はバックステップでマリの剣を回避、再び打ち出す上段からの強烈な一撃。
受け止めた剣が強烈な衝撃を細いマリの腕に伝える。
しびれる腕へ九條が黒い刀を斜めに打ち込んできた。
下段で受けて止めるマリは上に九條の剣を跳ね上げ、真っ直ぐに九條の喉元へと朧を突く。身体を反らす九條の首をかすめる、マリが放つ朧の切っ先。
態勢を崩した九條へそのまま身体をぶつける。後ろに押し込まれた九條は、飛び込んできたマリを右からの蹴りで左へ吹き飛ばし、体勢を即座に立て直す。
弾かれたマリは途中で踏みとどまった。
衝撃で横を向いたマリの首を、黒刀の刃を切り返して横に刎ねにいく。
九條の一撃をマリは頭を下げて回避、しゃがんだ態勢から全身をバネにして朧の両手突きを放つ。横に半身を避けた、九條の横のコンクリートの壁に朧が突き刺さる。伸びきったマリの白い腕へ九條が、黒刀を振り下ろす。
「いぇやあ!」
マリは叫び、速さと力を爆発させ、突き刺さったコンクリートの壁ごと、朧を右へと大きく払った。
先に撃ち出された九條の剣を越えて大きく横に空中を走る斬撃。響く剣と剣が合わさる音、全身で打ち込んだマリ、その太刀筋を剣で受けた九條は体勢を崩す。
数秒の鍔迫り合いの後、力ずくでマリを後ろへ押し込んだ九條。素早く続けて放った胴への横一閃、それを両手で朧を支え胸の下で受けるマリ。
「さすが……だな」
嬉しそうな九條。
「ああ、マリも楽しいが、おまえを倒すには本気を見せないと」
「クク、今まで本気じゃなかったのか?」
「いいや、本気だったよ。ただし、命は取っておいた」
ふん、と全身の力で九條の黒刀を弾いて、距離を取る。
「前に聞いたよな」
マリが呟く
「何を?」
マリの言葉に短く返す九條。
「左手の甲の傷の跡はなんだと」
マリが話を続ける。
「そういえば、そんな事を聞いたな」
「教えてやるよ」
マリは朧を自分の左手の甲、深い切り傷に当てた。
「なんのつもりだ」
「来いよ九條、この傷の意味を教えやる……おまえの身体にな!」
「フッ、そうか……」
ダダン、圧倒される気合いと踏み込みで、九條は一気に間合いを詰めてマリに襲いかかる。動かないマリに刀を上段から、一気に振りおろした九條。
二人の間にあった机が真っ二つに切り裂かれた。
「なるほど……やるな。それが本気になったおまえの力か」
九條の横に回り込んだ、斬られたはずのマリ。
速さを爆発的に起動して、九條の刃をかわしていた。
「マリの方が速かったわ。先生だって妖刀なら九條に勝てるでしょう?」
ユウの言葉に首を振る神代先生。
「現代の方が技術は研究されているだろう。だがあれは必殺の気合いに溢れた、命を捨てた荒ぶる剣。戦国時代を生きた者の戦い方、この時代の者が勝てるか……」
「そんな……」
ユウが九條とマリを見た。
「その速さはやっかいだな。じゃあこんなのはどうだ?」
九條が胸のペンダントを左手で掴む。
「出番だぜ、よろしく頼む」
九條の言葉でペンダントから。漆黒の霧が空中に流れ始める。
漆黒の霧は部屋に広がって、マリの身体を包み込む。
「こんな感じかしら?」
「ああ、そんな感じだ」
「九條、誰と話している?」
九條はマリに答えた。
「彼女と作戦会議中だ」
「彼女? 冷たい……これは、あの時の……おまえのペンダントを奪う時に感じた……」
マリの身体を包んだ漆黒の霧は、氷のように冷たく固く凍り付き、マリの身体を封じた。
「さあ、これで自慢の速さも発動できないな」
黒い霧が固まった氷はマリの身体を完全に押さえ込み、その圧力はマリの身体を締め付ける。
「九條! 卑怯よ!」
ユウが九條に叫ぶが、ゆっくりと最後の一撃が構えられた。
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