第12話 現代に蘇る鬼

「なんだろ……この感じ。他の霊体には感じたことがない強い力を感じる」

 

 僕とユウが、男を目で追うと、男はいきなり立ち止り振り返った。

 ゾクリ、僕とユウは体中に寒気を感じた。


「この強い悪寒は……あの男はなんなの?」

 僕とユウの、聞こえるはずがない、都会の騒音の中で呟き。


 だが、その男はまるで、僕らの声を聞いたかのように、わざと見えるように左手を開き、人差し指を道路に向けた。


「そんな馬鹿な事が……僕の呟きが、向こう側の歩道の男に聞こえたの?」

 僕は驚き、そしてユウを守るように前に進む。

 なぜか、それが自然だと思えた。


 道路を渡りかけた時、男の指先が指す。その方向を見ると、大型トラック。

 男が指を内側に軽く曲げると、トラックは速度を上げ急に方向を変えた。

 トラックが進む方向を見たユウに、驚きと恐怖の表情が浮かぶ。

 僕に向かって大型トラックが突進してきたからだ。


「浅井君! 危ない!」


 迫るトラックに、僕はなぜか動けない。

 男を見ると薄ら笑いを浮かべている。

 どうやら、あの男が僕を縛りつけているようだ。


 トラックは速度を上げて、僕の間近まで迫っていた。


「浅井君! 逃げて!」

 もう僕の直前にまでトラックは来ている。


「駄目だ、間に合わない……」

 僕の姿がトラックと重なった。ユウが残酷な結果を想像した瞬間。

 ユウは瞳を閉じていた。


 トラックはそのまま、僕が立っていた道路をつっきり、歩道を乗り越え、信号にぶつかって止まった。


 激突の大きな音に大勢の人が集まってくる。


「そんな……浅井君!」

 一瞬思考が止り、ユウはその場に立ち止まった。


 その肩を、後ろから押さえた小さな手。


 ユウがその感触で振り返ると、制服を着た少女が立っていた。

 幼女のような小柄な少女、マリの細い腕には、僕が抱かれていた。


「浅井君! 無事なの!?」

 僕よりよりも小さい身体のマリは、僕を抱えたままで頷いた。

 その答えに安心し、ユウはホッと安堵の息を漏らす。


「浅井君を助けてくれたのね? マリ……」

 マリは、黙って僕を地面に降ろした。

 なんか、身体がめちゃくちゃ重い。

 気持ちも悪くて吐きそうだった。これは……あの男のせいなのか?

 

 気持ちが悪いけど、どこも怪我はしていないようだ。

 危機一髪のところをマリに救われたようだ。


「ありがとう……でもどうしてマリがここに?」


 パシィ、いきなりマリの小さな手が、ユウの頬を強く打った。


「何をしている? まだ、浅井は修行中の身。鬼に遭遇すればひとたまりもない、その事は一番おまえが分っている筈。なぜ目を離した?」


 幼く可愛い声ではあったが、僕にもマリが凄く怒っているのはよく分った。

「ごめん……マリ」

 ユウはただ頭を下げて詫びるしか出来なかった。

 そんなユウにマリは腕組して、話を続ける。

「ユウ、今更だが浅井は歩いているだけで災難を引き受ける。それが浅井の理。それは浅井がクシティ・ガルバだから。慈愛と救済、全ての者を救う事が浅井ののことわりだ。まだ、覚醒していないが、救われたい亡者達は浅井を引き寄せる、この世界の孤独は悲しく苦しいものだ。我々も亡者と同じだ、異能による孤独は、未来に浅井に救わるはずだ」


 マリの言葉……僕がクシティ・ガルバ? 救済の神?

 唖然とする僕。ここまですべての事は、必然だった?

 ユウに出会い、彼氏になり、特訓中。

 そして未熟な僕の前に鬼が現れたのだ。


 ユウもまだ時間が必要な僕を待っていたが、つい鬼の可能性を忘れていた……でも、それは仕方ない事、まだ中学生なのだから。でもユウは反省の言葉を口にした。

「ごめん、ほんとうに……ごめん、分っている。油断したのは私」


 いきなり僕をハグして、マリの前で頭を下げるユウに、表情を崩したマリが問いを投げかけた。


「アカリに言われて……マリはあの男を尾行していて、おまえ達を見つけた。そしてユウ、いつもはこの手の災難を事前にキャッチする、おまえの勘が鈍った……不思議じゃないか?」


「え? それって」

 マリの意外な言葉に顔を上げたユウの表情険しくなった。


「やはり……赤いジャケットの男は本物の鬼ね。マリ、アイツは何者なの? 悪霊にさえ感じない、恐ろしい力を感じたわ。そして走っているトラックをまるでラジコンを操るみたいに浅井君へと向けたの」


 マリは首を左右に振った。


「まだ分らない。アカリが調べているようだ。今はユウは浅井を護れ。いつも側にいるクシティを。その力に目覚めるまでは。それには悪霊の力が必要だ、意味はわかるな」

 悪霊の力を借りろと、言い残してマリは去っていた。



「あ、ユウ……ごめん、僕が弱くて。その……君たちが言う、僕の力がなにかさえ、わからなくて……ごめん」

 僕が自分の非力のせいで、ユウに迷惑をかけてしまった、彼氏は失格だ。


「……帰るよ」

 ユウのぶっきらぼうな言葉に、僕は動揺する。

「ええ? 待って、どうしたの?」

 状況が分からない僕の手を引いて、強引に家に送っていくユウ。

「なんで帰っちゃうの? まだユウの夏服を買ってないよ!」

「来年買うからいいよ。今日は早く帰ると決めたの」

「来年!? 遅すぎるよ、まってよ。僕はまだ、帰りたくない」

 

 珍しく自己主張する僕の手を、ユウは力ずくで引っ張り道を引きずっていく。

 抵抗する僕に、帰り道の途中で立ち止まったユウ。僕は思っていた事を口にする。


「なんか、ユウ怒っているよ。なんかおかしいよ。僕が弱いのが、理を理解できてないのが、そんなに不満なの?」

 無言で首を振り、もっと強い力で、引きずりにかかった時、僕が泣きそうになる。


「違う!」


 いきなりユウは大きな声を出してしまう。僕はその声にびっくりした。

 確かに怒っていた……ユウは自分自身に。

 迂闊で無力な自分に怒っていた。


 いつも面倒なだけと思っていた悪霊が、憑いていない自分は何も出来なかった。

 いつもいいなと思っていた、普通の女の子であることが、今は腹ただしく思えた。

 いざとなれば、何とか出来ると思っていた自分が、凄く格好悪かった。


 今は僕とといると後悔の海に沈みそうになる。一人になりたいと思っていた。

 自分勝手なのは分っていたが、うまく自分の心を収められない。

 このままでは、僕をさらに嫌な目に遭わせてしまう。素直に話せない自分の性格を疎みながら、ユウは無言のまま、僕を家まで送っていく。


(でもね、ユウ。非力な僕でも今の君の心は伝わってくるよ)



 ユウは自分の部屋に帰り、自己嫌悪の海に思考を沈める。

 ベッドの中で素直でないのに、独りでもいられない弱い自分。

 何にも出来ない無力な自分。

 放送を終えたテレビのノイズが大きく聞こえ、初めて深夜の時間になった事を気がつく。部屋に悪霊の姿が無い。いつも座っている、部屋の中央のソファの上は空っぽだった。


 窓から夜の風が入ってきて、部屋のカーテンを揺らしている。

 ベランダの鉄格子越しに、夜の東京を見ている悪霊の姿。

 ベッドからユウは起き上がり、ベランダへと出た。

 しばらく沈黙が続いた後、悪霊の方から口を開いた。


「なにか過ちを犯したのか」

「うん」

「それは己のせいか」

「うん」

「過ちは仕方無い事、だが二度はしない努力はするべきじゃの」

「うん」

「分ったなら今日は眠ればいい」


 さっきまで我慢できた涙が、悪霊と交わした短い言葉では止める事が出来ない。

 

 自分の油断と緩慢で、大切なものを失う所だった。それなのに素直に詫びることも、状況を説明する事も出来ない嫌な自分。ぽろり、ぽろりと大きな涙をこぼす。

その後悪霊は、しばらく話さなかった。


「あのね」

 初めて「うん」以外の言葉を口にしたユウ。

「あのね、今度は買い物に憑いて来ていいよ。本当は私もゾンビが怖いの」

 

 ユウの頭を少し乱暴に二、三度撫でた悪霊。

 表情が読めない、悪霊の真っ黒な霧のような顔が、今は母親のような優しい表情をしている、ユウはそんな気がした。


「ところで」

「うん? なんじゃ?」

 

 ユウが、悪霊が脇に刺している紅の刀を指指す。

 鞘は目を引く臙脂色えんじいろ。握る柄の部分も橙色だいだいいろに染めてある。深みのある光沢を放つ姿は、刀に興味がないユウでも、つい綺麗だと思ってしまう。


「いつも大事そうに持っているわね。その刀」

「これか……そうじゃな。理由は……」

「ひみつ……でしょう?」

 

 ユウが微かに笑った。

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