第2話 調査依頼

「おい猛、聞いてるのか?」

 その言葉に猛はビクッと身体をこわばらせた。仕事の依頼があると聞いて、洋介の事務所まで足を運んできていたのだ。


「仕事の依頼くらいちゃんと聞け」

「悪い……ちょっとぼんやりしてた。依頼って今お前が担当している傷害事件の調査か?」

「そうだ。目撃者を一人でも多く集めたい。事件が起こった時の詳しい状況を正確に把握しておきたいんだ。現場に居合わせた人を探してくれないか。事件の発生場所と日時はこの資料に詳しく書いてある」と言いながら洋介は書類を猛に手渡した。

「この場所でこの時間だと人通りはかなり多いはずだな」と猛は書類に目を通しながら言った。

「依頼人もそう言っていた。人だかりができていたそうだ」と言うと、洋介は少し疲れた様子でソファの背もたれに体を預けた。ソファの革が擦れる音がかすかにした。

「だろうな。この時間だと付近の店に出勤するホストやホステスのラッシュアワーだろ」と言うと猛は書類から目を上げ洋介の反応をうかがった。

「だよな。問題は、通りすがりの目撃者は特定するのが難しいところだ。目撃者を見つけてお前の口説きのテクニックで証言を引出してくれ」

 連日の激務で声に疲れが滲んでいるものの、洋介は冷静に計画を実行する指揮官のような鋭い眼差しを猛に放った。

「口説きのテクニックって何だよ。人をたらしみたいに言うな」

 いかにも心外だと言わんばかりに猛が返す。

「間違いなくたらしだろうが」

 内心では「今更なにを言うんだこの男は、自覚はないのか?」と想いながら洋介は面倒くさそうに言った。

「俺のモットーは『誠心誠意』だぞ、『たらし』とは真逆だろーが」

「どうやらお前と俺とでは『誠心誠意』の定義が違うようだ。お前が誠心誠意を実行しているのは自分の肉体的快楽を追い求めているときだけだと記憶しているが」と呆れた様子で洋介が言う。

 猛の過去の恋愛関係の大半を知っている洋介は、猛が誰とでもすぐに肉体関係を持つことが理解できなかった。例え一晩限りの名前も知らない相手でも、猛は真剣だったと言うのだろう。


 猛の貞操観念は清々しいほどに低い。本人に言わせれば『サービス精神が旺盛な博愛主義』とのことらしいが、相手を喜ばせたい一心で知り合ったその日にセックスまですることは洋介には理解できない。

 そんな猛だが、不思議と相手から恨まれることは少ない。手当たり次第にベッドに連れ込んでいつか誰かに刺されるのではないかと心配している洋介だが、別れた後でも猛のことを心配して気にかけている相手は不思議と多い。

「その理由は何なんだ? 忘れられないほどセックスが上手いのか?」

 独り言のような言葉が洋介の口からこぼれた。

「なんだよ、いきなり。セックスが何だって?」

「えっ?」

 頭の中で考えていたつもりだったが、言葉が口から漏れていた。

「だから、セックスが何だよ?」

 猛がもう一度訊いた。

「俺今何か言ったか?」

「だから、セックスが何とかって言ってたぞ。お前欲求不満か?」

「はぁ?!」

 呆れと怒りが入り混じった声で洋介が答える。

「お前だったらセックスの相手は選り取り見取りだろ」と猛は顔色一つ変えずに言う。

「お前と一緒にするな」とあまり興味がなさそうに洋介は言い、立ち上がって給湯室へと向かった。

「お前もコーヒーいるか?」

「おう、頼む」

 間髪入れずに猛が答える。


 洋介は電気ケトルのスイッチを入れ、「なあ、なんでお前は別れた相手から恨まれないんだ?」とソファに座っている猛に届くように少し大きめの声で訊いた。

「恨むって、物騒だな。普通は別れたら恨まれるのか? 大体、振られるのはいつも俺の方だぞ。俺が恨むならまだしも、恨まれる理由はないだろ」

「振られる原因を作っていたのはお前の方だと記憶しているが」

 淡々と事実確認をするように洋介は返した。

「それはお前の記憶違いだな。俺はいつも訳も分からず突然振られて途方に暮れてたぞ」と過去の記憶を探るように少し遠くを見つめながら猛は言った。

「何でお前みたいないい加減な奴がモテまくるのか不思議でしょうがない。いつか痛い目に会うぞ」

 洋介はケトルのお湯をコーヒー豆に少し注ぎ、豆が蒸れるのを待った。部屋の中にコーヒーのいい香りが漂い始める。

「お~、いい香り。洋介が淹れるコーヒーはそこらの喫茶店より美味いからな」

 洋介は、屈託のない笑顔を惜しげもなく向けてくる猛に「ここを喫茶店代わりに使うなよ。金取るぞ」と少し強い調子でたしなめた。


「一人だけいたなぁ、俺を殺したいほど恨んでいる奴が……ミゲル……」

 ポツリと猛は呟いた。

 給湯室でコーヒーを淹れている洋介の耳にはこの言葉は届いていない。

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