第10話 新しい帰る場所
「はあ……」
光明が伊鞠の何に興味を持ったのかはわからない。だが、今この人の手を振り払って逃げ出す場所も気力もない伊鞠には、ただ頷くことしかできなかった。
「じゃあ、帰るか」
「ど、どこにですか?」
これで寒凪家に戻されたものなら、堪ったものじゃない。不安に駆られ、光明に縋るように問いかける。
「俺の家に決まっているだろう」
こてんと首を傾げ、さも当たり前のように告げた光明の言葉に少し安心して、ほっと胸を撫で下ろす。
「遥飛、悪いが今日はもう帰らせてもらう」
「はいはい、あとはお二人で勝手にどーぞ」
扉の向こう側からうんざりした顔をのぞかせた遥飛に、申し訳程度にぺこりとお辞儀をする。光明は帰ると言ったのに部屋を退出する素振りを見せようとしないのだが、一体どういうことなのだろうと不思議に思っていると、「いきなりすまない」と右手を握ってきた。
瞬きをする間もなく、目の前の景色は先程までとは一変し、一般家庭の玄関先といったところに移動している。
「驚かせてすまない。俺の転移の異能を使わせてもらった」
「なるほど、です。あの、ここは一体?」
秋月家の屋敷はもっと立派なはずだ。
少なくとも、こんな一般的な家庭のような手狭な玄関などではないはず。
「俺の家だが」
「……てっきり、秋月家の本邸に住んでいるものだと思った」
思わずそう呟けば、光明は「俺が普通ならば、そうだろうな」とこともなげに返す。
「まあ、今は俺がぼんくらな次期当主だからとでも思っておけばいい」
伊鞠が言葉の意味を理解できていないのが顔にも出ていたのだろう。
いたずらっ子のような笑みを浮かべて話を切り上げた光明は、腹が減っただろうと自らが包丁を握り、少し遅めの夕食を作り始める。
(それにしても、随分と手際が良いわ)
格式ある四家の一員である秋月家の次期当主だというのに、普段から料理をし慣れているようだ。
光明の流れるような手つきをぼおっと見つめて、台所に立つ姿が様になっているなあ、なんて思っているうちに、辺りには味噌の良い匂いが漂い始めた。味噌汁を作っているのだろう。
(美味しそうな匂い)
あたたかい食べ物を食べることができるのは、いつぶりだろうか。思わずお腹の音が大きく鳴ってしまい、少し気恥ずかしくなる。
「出来たぞ」
そう言って無造作に伊鞠の前に置かれたのは、つやつやとした白米に、香ばしい匂いのする焼き鮭。そしてほかほかと湯気のたつ味噌汁。
「これを、私が食べていいのですか?」
「おまえの為に用意したんだから、当たり前だろう」
(私の、為に)
光明にとっては当たり前なのだろうが、伊鞠にとっては、すごく特別なことで。
「いただきます」
胸の前で両手を合わせて、味噌汁の椀を持って、一口飲んでみる。
「……美味しい」
「当たり前だろう」
まろやかな味噌の旨みが口の中に広がる。ほろほろと口の中で崩れる豆腐も、コクのある味噌の旨味も、どれをとっても美味しい。得意げに言う光明を見ていると、なんだか全部この青年の思い通りになっているみたいで、一体何を考えて動いているのだろうと、頭の中を覗いてみたくなった。
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