第11話 予想外の来訪者

 翌日の朝。

 ふかふかの布団に包まれたおかげでよく眠れた、なんてことはなく。逆によく眠れなかったせいで、頭がぼんやりとする。


(固い布団の方がよく眠れるとか、どういうこと……?)


 寝心地は完全に今の方がいいのだが、どうも緊張してしまうのだ。


「おはよう、ございます」


 身支度をした後、茶の間に顔を出す。伊鞠は朝が遅い方ではないはずなのだが、既に光明は食卓についていて、美味しそうな朝ごはんの匂いが漂っている。


「おはよう」


 挨拶一つすることさえ新鮮で、まだ夢を見ているかのようだ。伊鞠は用意された膳の前に座り、「いただきます」食べ始める光明に倣う。


「〜〜っ、やっぱり美味しい……」


 今まで生きるために必要最低限の食事しか摂れなかったせいで、朝食がお腹に入りきらなかったのが悔やまれる。

 

「随分美味そうに食べるな」


 伊鞠のことを小動物でも眺めるような目で見てくる光明に気づき、若干の居心地の悪さを覚える。


「美味しいものを食べたら、美味しいと言うのは当たり前ではないでしょうか」


 ばつの悪そうに言い返し、「ごちそうさまでした」となんとか食べきって空になった食器に向かって手を合わせる。お腹がはちきれそうだ。


(そういえば、食べものを食べて美味しいと思ったのなんて、いつぶりだろう)


 誰かと食卓を囲むのだって、数えるほどしかない。


(……逃げてきたはずの人と一緒にいることなんて、つい忘れてしまうわ)


 流石に信じ切るには早すぎるが、寒凪家の者たちよりもずっと、伊鞠のことを一人の人間として見てくれる光明は、多分悪い人ではないと思う。


「そうだ、食器くらいは洗わせてください」


 何かすることがないと落ち着かない。伊鞠は二人分の食器を手に、おもむろに立ち上がった。


* * *


「伊鞠、おまえに客が来ているのだが」


 食器もとうに洗い終わり、暇を持て余していたお昼頃。縁側で意味もなく雲の数を数えていると、光明から声をかけられた。


「え」


 伊鞠を訪ねに来る客など、寒凪家の者しかいるはずがない。

 

「ええと、誰か分かったりは……」

「女が一人。それ以外はわからん」


 はて、と首を傾げる。

 一体誰だろう。当主自らが出向いてきたというわけではないようだ。


(誰であろうと、私に会いに来た人を追い返す訳にはいかないし)


 恐怖と緊張には慣れたものだ。きっと、命まではとられない。姿勢を正し、立ち上がって客人の待つ客間へ向かう。


「待たせてしまい申し訳……」

「お姉様!」


 ぱっと顔を上げ、潤んだ瞳でこちらを見るのは、伊鞠と瓜二つの容姿を持つ、艶やかな黒髪の少女。


「……ま、真白? 一体どうして」

「真白は、お姉様が心配で」


 つい、会いに来てしまいましたと照れくさそうに笑う真白。

 

「そう、だったの。心配かけてごめんなさい」

「真白は、お姉様がこうやって元気でいるだけで嬉しく思いますので!」


 打算も何もなく、純粋に伊鞠の心配をしてくれるのは、真白くらいなものだ。それ以外の者は、華宿りである自分に対して心配な言葉すらかけることはない。


「なにか、光明様にされていませんか?」


 耳元に、伊鞠にしか聞こえないくらいの大きさで、真白は問いかける。


「まだ、何もされてないわ。それに、案外悪い人ではないと思うの」

「……なら、良かったです。そうだ! お姉様は、寒凪のお屋敷には戻らないのですか? お父様がお話したがっていました」

「……っ。色々と落ち着いたらそのうち、伺うことにするわ」


 寒凪家から中途半端に逃げ出そうとした伊鞠に対してする話なんて、ろくなものではないだろう。顔から血の気が引いていくのを感じる。


「そろそろ、お暇しますね。実は杏とこっそり抜け出してきちゃったので」


 「光明さんにもよろしくお伝えくださいね!」と茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべて、真白は伊鞠に手を振ろうと何度も振り返り、その度に杏に注意されながら帰っていった。

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