第9話 嘘だと言ってください

「は……?」


 頭が全く働かないせいで、何か喋ろうと口を開いても、「ああ、光明さんだから、紅さん……」などと間の抜けたことしか言えない。


「これじゃ、私が家を出ようとした意味って」


 まだ、家を出て一日も経っていない。冷静に考えれば簡単にわかることだった。

 無駄だったのだ、結局。

 自分の浅はかさに頭を抱える。こんな軽率な行動をしてしまった愚かな自分が心底嫌になる。


「何故、家を出た?」

「だって、紅……光明さんが家を出るとか考えたことないのかって、言った、から」


 光明が目を見開き、そして気まずげに視線を遥飛の方にやる。


「……これは俺のせい、なのか」

「自分で考えれば? なあ鈴芽」

「折角大人しくしてる私に話振らないでください?!」


 ここは二人に任せておきましょうと、鈴芽は遥飛を半ば引きずるように部屋から出ていく。


(ど、どうすればいいの?)


 ただでさえ状況を把握しきれていないというのに、いきなり二人きりにされても困ってしまう。


「おまえは、俺と結婚するのは嫌か」

「……嫌、というか。前々から家の言いなりになってる自分に嫌気がさしていて。だったら結婚くらいは好きな人としたいな、と」


 昔、物心つくかつかないかくらいのとき。たった一度だけ、母がお伽噺を伊鞠と真白に聞かせてくれたことがある。

 とある青年に恋をした少女が、立ちはだかる試練や難題を乗り越えて結ばれる、ありきたりなお話。

 ちょっとした気まぐれだったのだろうが、優しい声と、あたたかい体温が伊鞠の記憶にはしっかりと残っていて。


「その子の好きな人を想う気持ちに、強さに、ずっと憧れているんです。私は、弱くて何もできないから」

  

 光明は口を挟むことなく、静かに話を聞いていた。暫し考え込んだ後、まっすぐに伊鞠を見据える。


 逸らすことなんて簡単なはずなのに、目が離せない。吸い寄せられるように、意識がそちらに向く。


「なら、俺がおまえの“好きな人“とやらになればいいのか?」

「……え」


 おもむろに口にした言葉は、全くもって予想外のもので、面食らってしまう。


「いや、そういうわけではなく」

「俺はおまえに興味がある。それに、好いている男と結婚したいなら、俺のことを好きになれば全て丸く収まるだろう?」


 伊鞠のことなんてお構いなしに、光明は話を進める。


「おまえの居場所が知れるのに時間はかからないだろうし、その後の扱いなんて幼子でもわかる。今大人しく俺についてくれば、悪いようにはしないと約束するが」


 少しは納得したか? と至極まっとうなことを言いつらねて問いかける光明に、伊鞠はただ頷くことしかできない。


「伊鞠」


 光明が伊鞠の方へと歩み寄る。突っ立ったままの伊鞠は、先ほどよりも近くなった距離に、ただ戸惑うだけで。


「――逃げたことを後悔するくらい惚れさせてみせるから、覚悟しておけ」

 

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