エピローグ

「シリアルXZD154482985630PDN、一日間の休暇を終え、ただ今帰任いたしました」

 司令室に現れたのは銀色のパイロットスーツに身を固めた小柄な女性。機敏な動きで敬礼をしたあと、直立不動で上官の言葉を待つ。


 対するのは司令室内に投影された立体映像の人物二名。大柄な髭の男性が世代型恒星間航行船『大和』の司令官、小柄な几帳面そうに見える男性が同副司令。


 副司令が男性にしては甲高い声で答える。

「よく戻った。早速だが出撃準備に入ってくれ。数時間以内に〈殲滅者〉が絶対防衛圏内に入る計算だ。すぐに出撃命令が出るだろう」

「はっ。ただちに出撃準備に取りかかります」


 パイロットは機敏な動きで再び敬礼をすると司令室の外へ出て行った。司令室に残されたのは立体映像の二人のみ。ほかに人影は見当たらず、機器類は全て自動で動いている。


「しかし唯一の生身の人間にまるで餌のようなことをさせるのは気がひけますな」

「まるで、ではないな。彼女はまさに『生き餌』なのだよ。それ以外に我々――我々人類が生き残る術はない」




 二十二世紀末、恒星間宇宙に進出し始めた人類は突然、謎の知的生命体の襲撃を受けた。星々の海を渡り太陽系にまでやってきた敵の圧倒的なテクノロジーの前に人類は無力であった。


 人類に対してまるで親の仇であるかのように殺戮を繰り返す敵の姿に人類は彼らのことをいつしか〈殲滅者〉と呼ぶようになっていた。


 一瞬にして制宙権を奪われ地球本土にまで〈殲滅者〉の攻撃が及ぶ。すでに防衛戦力はほとんどなく、その容赦ない苛烈な攻撃の前に人類の滅亡は秒読み段階であるかと思われていた。


 そこで人類連合――人類は外敵を前についに団結することができた――は決断を行う。

 反攻用に建造されていた宇宙戦艦を世代型恒星間航行船に改修、DNAおよび脳パルスをデータ化した量子コンピュータを搭載して太陽系外に送り出す計画を実行に移した。それは連合政府にとって最初で最後の大規模作戦であった。


 崩壊状態の工業力で建造できた宇宙船の数はおよそ百。そこにそれぞれ数百万ずつのDNAデータを格納して全天に対してランダムに射出した。〈殲滅者〉の攻撃から一隻でも逃げられればいいという、博打のような計画だった。


 幸いなことに、〈殲滅者〉は宇宙船には見向きもせずに地球本土への攻撃に夢中になっていたために多くの宇宙船は太陽系を無事に離脱、それぞれの新天地へと向かっていった。

 それからおよそ七百年、すでにほかの宇宙船との交信は何百年も行われていない。人類はついに光の速さを超えて情報を送ることはできなかったのだ。


 七百年に及ぶ『大和』の航海で順調なのは最初の三ヶ月間だけだった。『大和』はすぐに〈殲滅者〉の攻撃に晒されることになる。


 『大和』にも迎撃用の戦力は装備されていたが、地球本土の制宙権を一瞬で奪い去った〈殲滅者〉の前にはあまりにも無力であった。〈殲滅者〉の前に『大和』の命運も尽きたと思えた頃、『大和』のメインコンピュータがひとつの仮説を立てた。


 ――〈殲滅者〉はその名の通り人類の殲滅のみを目的にしているのではないか。


 仮説を実証するためにさまざまな実験が行われた。その結果、〈殲滅者〉は地球人類のみに反応して攻撃を仕掛けてくることがわかった。そしてそれには優先順位があり、DNAデータよりも生身の肉体により強く反応することがわかった。


 そこで立案されたのが通称『蜂蜜作戦』。〈殲滅者〉がDNAデータより生身の体を優先して攻撃する習性を利用して敵を引きつけさせ、その間に本体を逃がす作戦だ。ミツバチの若い女王のまわりにオス蜂が群がる様子に例えて『蜜蜂作戦』と名付けられた。


『敵群体が本線防衛圏に入るまであと一分』

「〈女王蜂〉の発進準備は整っているか?」

イエス、いつでも出撃可能です』


 恒星間航行船の制御を受け持つメインコンピュータの報告に答える司令官もまた、他の人員と同様人間の脳パルスとDNAをもとに量子コンピュータ上でシミュレートされている生身を持たない人間だ。


『敵群体の防衛圏侵入まであと三、二、今』

「〈女王蜂〉を射出せよ」

『〈女王蜂〉射出。――成功』


 軽い震動とともに巨大な恒星間宇宙船から見ると埃にも等しい大きさの小型宇宙船が射出された。巨大な宇宙船が軽く震動することからも、その運動エネルギーの大きさがわかる。


〈女王蜂〉と呼ばれる小型戦闘機は定員一名で、核となるコックピットに作戦の中核となる生身の人間を収めて射出される。

 パイロットはそのためにDNAバンクから遠別された人類最高のパイロットから作成されている。


 射出された〈女王蜂〉はその後、人体の耐えうる最大加速を行い、光速の二十パーセントにまで達する。人類文明の生み出した最速の人工物である。




『敵群体が食いつきました』

 司令官達がモニターを見る。すでに可視光でその姿を見ることはできない。レーダーには数百万にも及ぶ光点が一斉にある一点に引き寄せられているのが見える。その一点はみるみる遠ざかっていく、その後ろを円錐のように追いかけていく敵群体。


 いつまでも続くかと思われた蜜蜂たちの結婚飛行は唐突に終わりを迎えた。ターゲットを捉えた〈殲滅者〉たちは寄ってたかって〈女王蜂〉に取り付き、その名の由来通りの行動を起こした。


『〈女王蜂〉の破壊を確認』

 メインコンピュータの報告と同時に『大和』からも小さなその爆発光が確認できた。


『赤方偏移からの推定距離、千六百光秒』

「三日……というところですか」


 副司令官がため息をついた。DNAバンクから作られた作成体とはいえ、一人のパイロットが生命をかけた結果、それが次の襲撃までわずか三日という事実に何度経験しても胸が重くなる。


「彼女がくれた貴重な三日間だ。残されたわれわれはせいぜいこの三日間を無駄にしないようにしなければならないな」

「はい……」


「次の作成体の準備はできているか?」

イエス。いつでも“最終工程”へ出すことが可能です』

「よし、出せ」

 メインコンピュータの『了』という答えとともにモニターに次期作成体の最終工程が映し出される。


「しかし司令官、どうして作成体の最終工程にVR空間内であのような体験を行わせるんでしょうか?」

「“守る理由”を作るためさ。作成体は強い使命感をオリジナルより受け継いでいるが、それをより強力にするためにああいった里帰りを体験させている」


「いや、それはわかるんですが、どうして地球時代の日本の片田舎なんか? ほかにもっとふさわしいシチュエーションがあるのでは?」


「オリジナルの〈女王蜂〉の最後の休暇を再現している。彼女はDNAデータを提供したあと、太陽系防衛戦に出撃していったわけだが、その前日のエピソードを可能な限り再現している。当時はまだ〈殲滅者〉の存在は一般市民には周知されていなかったようだ」


「なるほど……。よくわかりませんね」

「私もだ。肉体をもたないわれわれ情報人類と肉体を持つ彼女ではもはや同じ人類とは言えないかもしれないな」


 巨大な恒星間宇宙船が漆黒の宇宙空間の中を光速の五パーセントという速度で疾走していく。その遙か後方から追いすがる〈殲滅者〉の群れが再び追いつくまで約三日。それまで残された人類は限られた生を享受する――




 精巧に再現されたグラフィックスがプリセットされたとおりの動きと言葉で作成体に話しかける。しかし五感全てに訴えかける仮想現実が彼女にそれはVR空間であることに気づかせることは永遠にない。

「こんにちは。ご用ですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君と出会う幾度めかの夏 雪見桜 @GAGLAE

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ