その3

 一度奥に行って席を外す旨を中の親族に伝えた後、彼女は私と祭場を後にした。


「一度着替えに戻っていいですか? この服だと熱くて」

 確かに、彼女が今着ている制服の冬服とおぼしき姿は葬儀という場には合っていたかもしれないが、真夏に出歩く姿としてはふさわしくない。そのせいで彼女は汗だくだったが、それもまた健康的だと好ましく思ったなどということは口が裂けても言えない。


 彼女の家は寺から私の家が元あった駐車場を過ぎてさらに坂を登った頂上付近にあった。私の思い出の人であるあの人の家でもあったそこは、思い出のままであった。


「暑いでしょう。さあさあ、入ってください」

 表を通りがかったことは何度もあったが、中に入るのは初めてだ。誘われるままに古い日本風家屋の玄関をくぐっていく。見た目は古いが、家屋としての役割は十分以上に果たしており、冷房がかかっているわけでもないのに風がながれて涼しいものであった。


「そこで待っていてください。今お茶を出しますから」

 居間に通された私にお茶を出すためにパタパタと歩き回る彼女。着替えに帰ったはずなのに冬服のまま動き回っている彼女に私は「お構いなく」と返すことしかできなかった。


 緊張していたのだ。


 彼女が出してくれた冷たい麦茶――夏に出されるのは時代が変わっても変わらないらしい――と見たこともない、よくわからないお菓子だった。


「ええと、着替えはどこにしまったっけ」と奥の方から彼女の声が聞こえてきた。

 あたりを見渡す。見た目は一般的な木造建築だが、間違いなくそう見せかけてあるだけの情報建築だ。部屋の中にはちゃぶ台と古びた壁掛け時計がかけてあるだけで、家具の類はほとんどない。おそらく、彼女の家族もすでに引っ越しており、葬式のために一時的にこの古い家に戻ってきたのだろう。


 しかし、ここは『彼女』が一生の多くを過ごした家だ。その事実に感慨深いものを覚える。その柱についている傷は『彼女』が何かをぶつけてつけたものかもしれない。多分違うけど。


「どうしたんですか? 遠慮しないでお茶、飲んでください。ぬるくなっちゃいます」

 そんな風に部屋の中を見ていると、彼女が戻ってきた。先ほどまでの真っ黒な制服とは異なり、爽やかな白いブラウスと膝上丈の水色のプリーツスカート、短く上品に折り返してある靴下とどことなく涼しげで上品な装いに小学校時代に私服姿だった彼女の曾祖母を思い出した。


「ありがとう。いただくよ」

 そう言って麦茶に口をつける。からんと氷がグラスにぶつかる音が聞こえてきて冷たい感触が喉を潤す。


「おいしい」

「よかったです。うふふ」

 彼女が屈託なく笑い、私は赤面した。それを悟られないようにさらに麦茶に口をつけて、話題を変えるように言葉を紡ぐ。


「その服、似合ってるよ。うん、いい」

「そうですか、ありがとうございます」

 彼女の笑顔に照れて話題を変えたはずなのに、逆効果だったようだ。彼女は先ほどよりも嬉しそうな顔をして、私は先ほどよりも赤面する。


 しかし彼女はそれに気づかなかったようだ。くるりと一回転して全身を私に見せてくれた。

「お気に入りなんです。ひいおばあちゃんの最後のプレゼントだったんです」


「ひいおばあさんのこと、好きだったんだね」

「はい!」

 その端的な返事に彼女の感情が全て含まれているように思えた。


「あの、お願いがあるんですけど、いいですか……?」

「…………?」


「おばあちゃんのこと……子供時代のおばあちゃんのこと、聞かせてもらってもいいですか?」

「……え?」


 虚を突かれたような私の反応に、彼女はやや照れくさそうに話す。

「当たり前のことなんですけど、あたしが生まれた頃にはひいおばあちゃんはもうおばあちゃんで、でも、これもやっぱり当たり前のことなんですけど、ひいおばあちゃんにも若い頃とか、子供の頃があったんですけど、あんまり想像できなくて……」


「なるほど。わかるよ、その気持ち」

「なら……!」


「私と彼女はそれほど親しかったわけでもないから、そんなにエピソードは多くないけどね。それでよければ」

「はい、お願いします!」

 彼女が勢いよく頭を下げた。それで髪の毛が舞い上がって彼女の顔の前に垂れ下がってしまう。


 恥ずかしそうに髪を整える彼女を見手渡しは微笑んだ。

「ふふ、わかったよ。おばあさんは――彼女は、いつもクラスの中心にいる、まるで太陽のような女性ひとだった」





「その彼女の機転のおかげで文化祭の準備はギリギリ間に合ったというわけ」

「それで、それで文化祭はどうだったんですか?」

 彼女は聞き上手だった。私の話の要所要所で合いの手を入れてくれて、しかも興味深そうに話の続きをせがんでくる。おかげで私の話も気持ちよく弾んでいった。


「もちろん大成功だったよ。当日はお客さんも多く訪れて、生徒達による人気投票でも――」


「あっ……!」

 だから、その反応は唐突だった。


「どうしたの……?」

 心配して彼女を見る私に、彼女は大きな声を出してしまったことを恥ずかしがるように、

「す、すいません……。街を案内するって言ったのに、すっかり忘れてしまって……」


 その年相応の顔を私は好ましく感じた。

「構わないよ。君が喜んでくれた」

 そう返すと、彼女は度々見せてくれた大輪の花のような笑顔を咲かせた。


「なら、次はあたしがあなたを喜ばせてあげる番ですね」

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