その2

「わわっ、ダメですよ。そんなすぐに起き上がっちゃ……!」

 慌てて立ち上がった私を心配するような声が投げかけられた。


 彼女は寺の大木の木陰に足を横に崩して座っていた。私が跳ね起きたときに落としてしまった濡れタオルを拾い上げて砂を払っている。……濡れタオルなので払えなかったが。


 この暑い中、上下を紺色で厚い生地の長袖ブレザーを着ている。おそらく、彼女の学校の制服なのだろう。プリーツスカートが少し乱れているのは、私の頭があそこに乗っていたからだ。

 そして視線が上がっていき、私の意識が彼女の顔を捉えた瞬間、息が止まった。同時に心臓が跳ね上がる。


 彼女がいた。一世紀も前に想いを寄せて、そしてそれを告げられないまま別れた彼女。


 いや、正確にはあの頃よりも若干大人びて見える。年の頃は十代後半くらいだろうか、最後に別れた中学生の頃から少し成長した彼女だ。


「大丈夫? また倒れたりしないでくださいね?」

 鈴を鳴らすような声、誰にでも気安く話しかけてくる人なつっこい態度。私の記憶の中にある色あせない彼女そのままの姿だ。


「あ、ああ……大丈夫」

「こんな暑い日に日なたに出たらまた倒れちゃいますよ。日陰に入ったらどうですか?」

「そうだね……」


 私は木陰に腰掛ける彼女の隣に腰を下ろした。何気ない風を装ってはいるが、内面はお察しの通りである。




「おばあちゃ……曾祖母のお知り合いなんですか?」

 しばしの沈黙の後、私が気まずいと話題を探していると彼女の方から話しかけてきた。


「曾祖母……ひいおばあちゃん?」

「お葬式にいらしたんですよね?」

 と、看板を指さしながら『彼女』の名を口にする。


「そうか……あの人の曾孫だったんだ」

 生き写しのように似ている……とは言わなかった。


「失礼ですが、どういう関係なんですか? その、ひいおばあちゃんのお知り合いにしては若すぎると思ったので」

 失礼だったらごめんなさい、と恐縮する彼女に「そんなことはないよ」と返してあげる。優しく微笑むことができただろうか?


「彼女……君のひいおばあさんとはクラスメイトだったんだ」

「クラ……ええっ……!?」


 その時の彼女の表情ときたら。この仕事をしていると同じような話になって驚かれることが多いが、彼女の驚きようはその中でもとびきりだった。


「ご、ごめんなさい……。おばあちゃんのクラスメイトにしてはその、若すぎると思ったから……」

 顔を真っ赤にして両手を回しながらわたわたと言い訳をする彼女の姿に私はクスクスと笑いながら答える。


「い、いや……大丈夫。よく言われるから。……パイロットなんだ。宇宙船のパイロット」

「宇宙船のパイロットなんですか! すごい!」


 ころころ表情が変わる。そういったところもクラスの人気者だった『彼女』に瓜二つだ。


「うん。まあ、でも自分ではまだ三十前のつもりなのにクラスメイトはみんな百歳越えさ」

「あ、そうなんですね……。それって少し、寂しいかも。だって、お友達と同じ時を過ごせないってことですよね」

 悲しそうな顔をする彼女。


「いや――」

 私は彼女にそんな表情かおをして欲しくなかったから、努めて明るくふるまう。


「自分で決めた道だから。それに、やりがいもある」


それは本心だった。厳しく辛い仕事だが、やりがいはあるし、仲間との絆は本物だ。だから帰ってくる機会はあったのにも関わらず、五十年も帰ってこなかったのだ。


「あ、せっかくいらしたんだから、最後におばあちゃんの顔、見ていってもらえますか?」

 ありがたい申し出であったが、それは断った。百年も無沙汰だったというのは表向きの理由で、本心は年老いた彼女の姿を見たくなかっただけなのかもしれない。


「そうですか……。なら、記帳だけでも」

 言って彼女が振り返った先には簡易テントがあった。その中には長机が置いてあり、紙と筆記用具が置いてあった。記帳場だ。彼女は元々あそこで受付をしていたのだろう。そしてやってくる気配がない私に話しかけたところ、私が熱中症で倒れてしまったのでこの木陰で今、こうして話をしていると言ったわけだ。


 さすがにそこまで意固地になって断るのはどうかと思い、記帳場へと名前を書いた。


「それじゃ、私はこれで」

 あまりここに居続けるのも気まずいし、何より彼女の邪魔をしたくないと思った私は、その場を立ち去ろうと歩き出した。


「あ、あのっ……!」

「……?」

 まだ何かあっただろうかと彼女の方を振り返る。


「もし……もしご迷惑じゃなければですけど、少し歩きませんか?」

「え……!?」

 一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。彼女が私のことを誘ってくる理由がないからだ。


「いえ、その……。久しぶりなんですよね、この街。だからいろいろ案内したいなって」

「いや、でも……」


 私は彼女から視線を逸らした。その向こうには彼女が立っていた記帳場がある。

 彼女はそれを見て、

「大丈夫ですよ。きっともう誰も来ませんから」


 朗らかに笑う。あるいは、葬式などという、若い彼女にとっては――たとえ身内のものであったとしても――陰気くさくて退屈な場所から逃げ出す口実にしたかったのかもしれない。


「じゃあ、お誘いに乗ろうかな」

 そう言う私の言葉に彼女は、

「はい!」

 と笑みを浮かべるのであった。

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