君と出会う幾度めかの夏
雪見桜
その1
反重力コイル特有の甲高い音が近づいてきたかと思うと、片側二車線を占有した巨大なトレーラーが地上一メートル半の高さを走っていく。
トレーラーが走り去っていくときに盛大に乾燥した土ぼこりを巻き上げる。
「げほっ、ごほっ」
それを吸い込んでしまい、私は大きく咳をした。じわりと流れ出る汗に埃が絡みついて気持ちが悪い。天候操作などはこの時代になってもコストの問題から一般的ではなく、夏はやはり暑かった。
六百年ほど前に拓かれたこの道は後年整備が続けられ、一時期は国の大動脈とも言われるほどの街道であったが、移住計画が一段落し、交通量も激減したここ数年は整備されることもなく、荒れる一方であった。
移住計画――この国の少子化は前世紀初頭には大きな問題として認識されていたが、それを食い止める術をこの国は持たなかった。少子化による人口減少が行き着いた結果、政府がとった対策は『選択と集中』であった。
過疎化が進み、税収と整備の採算の取れなくなった地方を無人農業地帯に造り替え、そこの住民を中枢都市に移動させる移住計画が始まったのは約八十年前だ。当初は全国に百五十あった指定居住地域は計画のアップデートのたびに減少していき、第四次計画となった今次計画では全国十二の都市に人が住むのみになる予定だ。
私が幼い頃を過ごしたこの街も今次計画では居住地域から外れ、住民は数十キロ離れた中枢都市への移住が行われている。先ほどのトレーラーもそのうちの一台だろう。
次の仕事までの間に短い休暇を願い出た私は、故郷の最後の姿をこの目に焼き付けるために半世紀ぶりに戻ってきた。――私は宇宙船のパイロットなのだ。
宇宙空間で高速の数パーセントという速度で移動するパイロットは、地上にいる人と比べて時間の流れが緩やかになる。このため、戸籍上で私の年齢は百歳をゆうに超えるが体幹年齢はまだ三十歳にも至っていない。
また後方から反重力コイルの音が聞こえてきた。再び土ぼこりをかけられてはたまらないと思った私は国道をそれ、脇道に入っていった。この辺りは中高時代によく通った勝手知ったる道だ。
半世紀ぶりの故郷とはいえ、人類の興味はすでに宇宙に向かって久しく、地方都市の整備などろくに行われていない。目の前に広がる町並みは老朽化は進んでいるものの、見知った町並みそのままであった。
すでに廃線になって久しい、線路の錆びた踏切を渡り、坂を登っていく。なかなかの急坂で、小学生の頃はどうしてこんな高いところに学校があるのか不満しかなかったが、今となってはそれも思い出のひとつだ。
坂を登っていくと今は誰も住んでいないであろう家々の間から開かれた場所が見えてくる。かつての母校、小学校だ。
私が通っていた頃はその当時でさえ今にも傾きそうなほど古い校舎だった。信じられないほど古い、木造二階建ての校舎は当時の学校関係者によると文化財級だから「永遠に保存する」はずだったが、私が卒業してからものの数年で最新の校舎に建て替えられてしまっていた。
その建て替えられた校舎は今でも残っている。築年数はすでに百年近く、記憶にあった木造校舎と比較して勝るとも劣らないほど老朽化している。
もう二度と子供達の声が聞こえることはなくなった学校の正門前を通り過ぎて再び下り坂を下りていく。ここはかつて私が小学校時代に毎日通った通学路だ。
「びっくりするほど変わってないな」
あたりを見渡しながらそんな感想が漏れた。友人や気になるあの子と一緒に下校したあの頃を思い出して少し感傷的な気持ちになった。
小学生時代によく通ったコンビニはおそらくかなり昔になくなっていたのだろう、更地になっていた。更地になったコンビニの前を通り過ぎる頃に下り坂は終わる。そこから片側一車線の市道に出る。
ここは私が暮らしていた家のすぐそばだ。かつては市道の左右にはさまざまな店が並び、同級生も多く暮らしていただのが、今その面影を残すのは建物だけで、店は全て閉まっている。
車の通らなくなって久しい市道を渡ってさらに進む。細い道を二本通り過ぎたらもうかつての自宅の前だ。
「……………………」
人知れずため息をついた。かつて私の家があったその一帯は当時の面影は一切残っておらず、情報舗装――全自動走行車が走行するための情報を流すための舗装路――が成された駐車場となっていた。その駐車場も閉鎖されて久しいのか、情報舗装は割れ、そこから雑草が伸び放題に荒れている。
「こんなものか」
この街を去ってから半世紀も経っているのだ。見覚えのある町並みがある程度残っていただけでも良かったといえるだろう。
とその時、私の耳を何かが打った。
「…………?」
何かを叩くようなその音は今では荒れた駐車場になっている自宅だった場所から少し離れた方から聞こえてくる。古い記憶を呼び起こしてみると、そこには寺があったことを思い出した。
「墓場で追いかけっこをして、よく怒られたな」
ふと、懐かしさがこみ上げてきた。
音のする方に歩いて行くと、記憶の通りの寺が見えてきた。住宅街に建っていたその寺はそれほど大きいものではなく、地元の人だけが訪れるようなこぢんまりとしたものだ。
寺の正門前にやってきた。前訪れたから半世紀以上だ。植えられている木々の配置は記憶とは異なっていたものの、古びた建物はまるで時の流れから取り残されたかのように記憶のままであった。
そんな、辺り一帯の歴史を見守ってきたかのような寺の正門に、その歴史にそぐわないほど新しいものが立てかけてあった。
『告別式』と書かれた看板。
そう、ここは寺。そこから流れ出る音といえば死者を慰める経文だった。今ここで誰かの葬式が行われていたのだ。
ここに戻ってきて最初に耳にしたのがお経とは。この街にふさわしいのかもしれないとその場を立ち去ろうとしたその時、私の身体は雷に打たれたかのように硬直した。
看板に書かれている名前――告別式が行われている亡くなった人の名前が目に入ってきたのだ。
にわかには信じられない思いでその看板を見る。一度目を擦って見直してみるが、それで何が変わるというわけでもない。
そこに書かれていたのは見知った名前だった。
同姓同名ということはないだろう。彼女の名前はありふれたものではなかった。
彼女との関係――知人と称するには遠すぎるが、友人というほど近くもない。彼女とは小中学校が同じで、何度か同じクラスになったことがある。だからクラスメイトという関係なのかもしれないが、それで済ませるには私自身の感情が納得しない。
この時代、医療の発展とサイバネティクスの発展により、平均寿命は百歳を優に超えている。とはいえ、自分の生まれた年を思い出してみると、彼女は大往生だったのだろう。
宇宙に出るということは、こういうことだということをまざまざと思い知らされた。
一世紀以上の昔、小中学生時代の彼女の思い出が次々蘇る。と言っても遠くから見ていただけだ。同じクラスではあったが同じグループに属したことはなかったので、ほとんど会話らしい会話をしたこともなかった。
それでも彼女のことを思い出すと、一世紀も経った今でも胸があたたかくなる。そう。あの頃、私は彼女に紛れもなく恋していた。
息を呑むほどの美少女、それが私の中での彼女の印象だ。それは今でも変わらない。
「こんにちは。ご用ですか?」
不意に話しかけられた。ここに来るまで人の姿を見ていなかった私は、声のした方を振り返ろうとした。
しかしそれがいけなかったのだろうか。ふっと目の前が暗くなり、頭が――いや体が勝手に動く感触があった。
「あ、あれ……?」
地面が近づいてきた。体が勝手に動いたのではない。これは初めて無重力空間に出たときの感覚に似てい……。
そこで意識が途絶えた。
「う、うぅ……」
途絶えたときと同じように、覚醒も不意に訪れた。
まず最初に情報として私の中に入ってきたのは目の前の一面の緑。そしてやかましいほどにがなりたてるセミの声。
一時期は都市化が進み、夏になってもセミの音が聞こえないなどということもあったようだが、移住計画が進み人の少なくなった今ではこの通りである。
そして額に触れる冷たさと首の下の柔らかい感触。
「ん……? 柔らかい……?」
意識がはっきりしてきて、情報をインプットするだけでなく、そこに込められた意味に頭が回るようになってきた。
「あ、起きた。……大丈夫ですか?」
「う、うわわっ!」
私をのぞき込んでくる顔に驚いた私は、慌てて飛び起きてしまった。
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