第6話 惜別
出発は今夜の十二時になった。作戦の詳細な計画はリード様とソーフィさんに任せ、夜まで家で心身を休めてくるよう言われたので、僕はご厚意に甘えさせてもらった。
家に帰ると、母さんが庭に干した洗濯物を取り込んでいた。
「あら、サン。おかえりなさい」
「ただいま、母さん」
いびつな形の家族になったけれど、母さんはずっと僕を笑顔で迎えてくれた。それが、今はとても得難いもののように感じられる。
「まだお昼過ぎだけど、お仕事はもういいの?」
「うん。夜からまた仕事。早速だけど、今夜からしばらく出張に行くことになったんだ」
「あら、そう。随分急な話ねえ。どこへ行くの?」
「ちょっと遠いところ。三、四日くらいで帰ってこれると思うよ」
「お仕事について早々大変ねえ。頑張ってね、サン」
母さんの言葉に笑顔で応える。少しためらったけれど、父さんについても話すことにした。
「実は、職場で父さんと一緒になったんだ。出張も父さんと一緒に行くよ」
「あら、そうなの? お父さんからは何も聞いてないけど」
「忙しいんだよ。家に帰る暇もないくらい。だから、僕たちが帰ってくるまで、ご飯は一人で食べてね、母さん」
「そう、それは寂しいな」
「うん。寂しくさせてごめんね」
「お仕事ならしかたないよ」
母さんは笑ってくれた。それから僕は自分の部屋で夜まで眠った。
夜になって、母さんと二人で母さんが作ってくれた晩ごはんを食べた。父さんは今日は帰ってこない。僕の好きなハンバーグとポテトがテーブルに並ぶ。場合によってはこれが最後の食事になるかもしれないと思い、味わって食べる。子どもの頃から変わらない、優しい味がした。
対策本部の前では、ソーフィさんが一人で待っていた。僕に気がつくと、手を振りながらゆっくりとこちらに歩いてくる。
「お疲れ様、サン。あらかた準備は済ませて、リード様が神樹から青龍の調整をしてるよ」
「ありがとうございます。お二人のおかげでゆっくり休めました」
「それはよかった。こちらも時間をもらえたおかげで今後の方針は大方決まったよ」
ソーフィさんの端末からファイルが送られてくる。端末に表示されたのは僕がこれから行く惑星の大まかな地形図だった。地形図には一箇所、赤い点で強調されている箇所があった。
「その赤い点が着陸時の目標地点だよ」
地形図を見るに砂漠地帯だとわかる。もし向こうの生態系も地球と似たようなものなら、現地の生物と出くわすとは考えにくい。
「ここに何かあるんですか?」
「十年前の調査団からの最後の連絡があった場所なんだ。もしかしたら調査船がそのまま残っているかもしれない。あれから調べて、調査船にも青龍と同じ種子が積まれていたとわかったんだ。調査船に積まれていた種子が見つかれば、当時の調査団にどんなトラブルが起きたかわかるかもしれない。うまくいけば、現地の生命体の言語データなんかが既に集まっているかもしれない。なんにせよ、なんの手がかりもなしに行くよりはいいだろう」
「なるほど。助かります、ソーフィさん」
「さて、私にできるのはここまでだ。青龍は一人乗りだし、神樹の研究者でしかない私はここを離れればできることはほぼない」
言葉を切って、ソーフィさんは頭をくしゃりと掻いた。
「あー、なんだ。こういう言い方は好きじゃないんだけど、頑張れ!」
無理矢理捻り出したような明るい声と表情に、思わず笑みがこぼれる。おかげで緊張が少しほぐれた気がした。最後にソーフィさんと握手を交わし、僕は神樹のもとへと向かった。
神樹の根元では、リード様が深緑色の髪を風に揺らせて僕を待っていた。いつも通りの凛とした表情だが、目元には少しだけ不安の色をにじませている。その不安を少しでも軽くして差し上げたくて、僕は背筋を伸ばし、はっきりと宣言した。
「それでは、行ってまいります」
「はい。よろしくお願いします」
神樹の巫女とお役目を受けた者として、お互いにこれ以上言うことはないはずだった。しかし、リード様はどこかそわそわと目線を左右に泳がせている。普段のリード様にはあまり似つかわしくない仕草だ。
「リード様? まだ何か?」
僕が促すと、リード様は一つ深呼吸をして僕に向き直った。
「ここから先は、ここだけの話にしていただけますか?」
「はい。かしこまりました」
「私はずっと、巫女のお役目に疑問を抱いてきました。『人類をより良い方へ導け』と命じられ、自分なりに職務を果たしてきたつもりでした。それでも、私には人類は停滞を望んでいるようにしか見えなかった。自分たちで新しい何かを生み出そうとせず、困ればすぐに神樹に頼る。そんな人々にとって、『良い方』とは何なのか? 私にはずっと分からなかった」
昨夜の光景を思い出す。壊れた建物を前にして、ただリード様と神樹にすがるだけの人々。神樹の巫女は、ずっとそんな人々の相手をしてきた。それは、どんな気持ちだっただろうか。
「そんな中訪れた、神樹にも対応しきれない全く未知の危機を前に、立ち上がってくれる人がいた。私にはそれがとても嬉しかったのです、サン」
リード様は年相応の少女の顔で微笑んだ。その笑顔はとても美しくて、胸の奥が温かくなるようだった。
「あなたやソーフィのような人がいるなら、私はこれからも巫女として勤めを果たしていける。そう思えたことにお礼を言いたかった。ありがとう」
「いえ、僕は自分にできることをしただけで……」
「それができる人は、あなたが思っているよりずっと少ないのですよ」
なんだか面映ゆくて、今度はこちらが目線を泳がせる。リード様は優しい目のまま、表情を少し引き締める。
「サン、必ず無事に帰ってきてください」
「わかりました。ご期待に応えてみせます」
差し出された手を、しっかりと握り返す。託された想いをしっかりと受け止めて、僕は再び神樹の門へと足を踏み入れた。
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