第7話うなぎ
初夏の午後、大手製造メーカーの社員10名が、部長を先頭に近くの飲食街に向かっていた。
土曜日の昼下がりの飲食街は、人もまばらで、社員たちは眩しい太陽を後目に、陽気に語り合いながら歩いていた。
太陽が照りつけるアスファルトは日差しを反射させてキラキラ輝いていて、どこもかしこも昼食の美味しそうな臭いが漂っていた。
「部長、お昼、何食べたいです?」
社員の一人が先頭を歩く部長に尋ねた。
50半ばの白髪頭だが、チャコールグレーのシングルスーツにブラックストライプのシャツ、ネクタイはまだら模様の
「ん?俺? うなぎ」
「え?」
部長の言葉に、社員全員が一瞬固まった。
一人の社員が聞き間違えかと思い、再び尋ねる。
「なんて言いました?」
「うなぎ」
日陰を探しながら、タオルで顔を拭いていた大柄の男性社員が戸惑う。
「うなぎですか?」
「うなぎだよ。う、な、ぎ、 一念の
「なんですのんそれ?」
関西出身の若手社員の一人がキョトンとした表情で、部長に尋ねた。
「芥川龍之介の
叱られた社員は、思わず頭をかいた。
「けど部長、うなぎって、限定的すぎません? もっとこう和食とか洋食とか、そんなカテゴリーで言ってくれたほうが店が探しやすいですよ」
「逆にそれじゃ選択肢が多すぎだろ。それに俺は、さっき解体工の連中の中に、若い女性がいたろう?それを見て、元気をもらおうと思って、急にうなぎが食いたくなったんだ」
ニッカボッカ姿で、タオルを頭に巻き、地下足袋を履いた男連中の中に、一人だけ若い女性がいて、皆の目を
部長も「若い娘がえらいな」とまじまじ眺めていた。
「部長、うなぎっすよね?アナゴとかじゃなくて」
もう一人の社員が、疑うように問いかけた。
「アナゴでもイクラでもノリスケでもねーよ。うなぎったらうなぎだ」
「どうしてもうなぎ?」
「しつこいな。どうしてもうなぎだ」
部長の意志が固いと判断したのか、一同は必死に鰻屋ののれんを探す。
「ないよなあ……ない、ない」
女性社員の一人が、手元のバッグから、スマートフォンを取り出し、鰻屋の検索を始めた。
「おいおい、勘弁してくれよ。そんなんで場所を探そうとしているのか?いい加減にその小さな機械が、楽しみを奪ってるってことに気づいてくれよ。どこにしようか自分の目でキョロキョロ探すのが楽しいんだろう?こんな機器の検索に頼って、最短ルートとか合理的な選択が人の成長を阻めているんだと思うぜ。成長しない人間っていうのは情報だけを当てにして、それを丸のみにする奴と、どうせ不味いに決まっていると判断して口に入れようともしない食わず嫌いかどっちか何だよ」
部長に言われた女性社員は、慌ててスマホをカバンに仕舞いなおした。
「結局のところ、検索することが目標になってんだよな。カーナビだってそう、昔みたく地図を片手にあーだこーだ言いながら、遠回りや寄り道して探していくのが風情があっていいんだよ。だから今の子たちは、竹輪の穴を覗くくらいに視野が狭くなってきてんだよ」
部長は、それまでスマホを覗きながら歩いていた社員たちを暗に注意した。
「ウォークマンやチキンラーメンにしても、検索をしての真似事なんかじゃない。自分で試行錯誤しながら、あそこまでいきついたのが当時の日本人の美徳だよ」
はっとして、社員全員が苦笑いした。
「検索なんかに頼らず、考えられることは自分で考える。例えば、俺の好きなゴルフにしたってさ、平均スコア80台で回るっていうのは、ある程度の努力で補えたりするんだけど、そっから10点減らして、70台で回るとなると、その10倍も100倍も頭を使うことが必要になるんだ。動画とか本とか見て、知識を吸収するだけの勉強でなく、自分の頭で考えることが必要になってくるんだよ。俺は常々、お前たちに言っていることだけど、「成功事例は失敗の元」なんだよな。いざ、決断のときに、前例を探す奴ってのは絶対にいる。普段は勉強もろくすっぽしないで、肝心の意思決定の場面で成功事例を探す。違うだろ?決めるときは、極論好き嫌いというか、自分の感性に任せるもんだ。大谷翔平だって、自分がやりたいから前例のない二刀流を選んだんだろう?」
社員たちは興味津々な表情で、部長の話の先をうながしていた。
「面白いよな。やる前は、あれだけアメリカ中がこき下ろしていたのに、今じゃすっかり手のひら返しだ。いずれ戦力外通告だとか言われて、ここまでやってこれたんだよ。自分のやりたいことを偽らず、周りの声にも耳を傾けず、やることに誠実に向き合う姿や、将来どうなるかを判断するのは自分ってことだ。あんときはメジャーリーグも発想がショボかったんだよな。まるで分ってなかったんだ……って、あれ?なんの話してたんだっけ?」
急に部長がおどけた表情になり皆に尋ねた。
「あ、ええと、大谷選手が、二刀流に何故チャレンジしたのか?って話?」
「違うだろ。検索に頼るなって話じゃん」
もう一人の社員の声が声を荒げた。
「何事もより要領よく、より早くってのが全盛のご時世だけどさ、ネット検索したところで、何も見つからなかったりもする。最終的には頭を捻って答えを絞り出すしかないんだよ。お前たち、食べログとか、グーグルのクチコミとかを参照して飯の美味い店を探すか?俺はミシュランですらも信用していない。だって俺自身は、普通にめっちゃ美味い隠れ家的な店があったら、誰にも教えないもん。ヤフーニュースのコロナの感染者の人数で一喜一憂してる奴らだって、情報に踊らされているだけだっていい加減気づけよって思う。インフルの方が遥かに怖いんだからさ」
ふんふんと部長の隣にいた女性社員が懸命にうなずいていた。
「人間って、いくら検索しても出てこないもんを持って生まれてくるんじゃないか?そっちをばーっと出す方が、人間くさくて遥かに面白いよ。芸術家だって、モノマネだったら大成なんかしないだろ?」
「凄い!部長!なんか尊敬しましたよ」
隣で目を輝かせていた女性社員が叫ぶように部長を称えた。
「尊敬?最近は若い奴をガッカリさせることに夢中なんだけどな俺は」
と言いながらも部長はまんざらでもない表情を浮かべていた。
「あったー」
一人の社員が雄たけびのような歓声をあげた視線の先に、和モダンな感じがとてもお洒落な外装の鰻屋さんを発見した。
部長は急に、しばらく考え込むような姿勢で立ち止まった。
「う~ん、やっぱり、うなぎは
「え、ええー」
社員一同が再び固まった。
「ま、まあ、そうでしょうけど、そんなに鰻屋さんってないっすよ」
「お前ら、検索ばかりしてるから、勘が鈍くなってんだよ」
「は、はあ……」
「俺の勘が、ここは違うと言っている」
「……」
全員が食事を求めて歩き出してからゆうに30分以上は経過している。
社員一同はお互いに顔を眺めて少し不貞腐れた表情を浮かべた。
「部長、どうしてもうなぎっすか?」
社員の一人が先頭をひたすら歩く部長に背後から尋ねた。
「ラーメン屋に、イタリアンに、和定食とか、他にも色々ありますよ」
歩き疲れたのか、恰幅のよい社員は、息をきらし、汗を拭きつつ半ばお願いの姿勢で尋ねていた。
「どうしてもだ」
部長はにべもなくキッパリ言い放った。
「検索をせず、初心を貫き通す頑固さが、時として人を成長させることだってある。よく覚えておけ。俺はうなぎじゃなきゃ妥協も納得もしない」
社員たちお互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。
「おい、ここなんかどうだ?少し先にあるみたいだぞ」
部長から手渡されたスマホには、証券会社や銀行が建ち並ぶオフィス街に、高級料亭のような風格漂う佇まいの鰻屋が映っていた。
全員顔が真っ青になり、息を飲みこんだ。
「ちょっ……部長、ここはヤバいですって、ランチ平均5,000円とか書いてますよ。我々の薄給じゃチーンですよ」
「たまには財布の紐を緩めて、パーッと散財してやろうじゃないか。パーッと」
部長はそう言いつつ、自分の財布の中身を覗くと、一人で固まっていた。
「そうか……もう、給料前だったな……ラーメンにしとくか?」
「ええー」
スマホに書かれている鰻丼5000円に鰻尽くし上が8000円に部長の顔は引きつっていた。
「あ、部長、そういえば、検索したらあかんて人に言うておいて、自分もこの店検索してますやんか」
関西出身の社員のツッコミに一同がああーっと悲鳴をあげた。
「ガッカリしたか?」
部長は皆に向かって、はにかみつつペロリと舌を出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます