第6話明日も今日
森山
実にこの状況に陥って165日目のことだ。
僕のバイト先は、牛丼屋の大手牛丼屋のフランチャイズだ。朝と昼と夕食時は殺人的な忙しさで、店長と、田中さんと僕の三人だけでさばいている。
僕が来る前までは、夜勤は田中さん一人のワンオペだったらしく、ブラックにも程があると田中さんはぼやいていた。
昼の二時を過ぎて、店内が閑散としてきだし、時間がゆっくり流れだした頃合いを見計らって、僕は厨房で牛丼の仕込みに取り掛かる田中さんに声をかけた。
「田中さん」
「何?」
田中さんは
「相談があるんですけど……」
「相談?」
「はい」
僕は仕込みに夢中の田中さんの邪魔をしないように、牛すき鍋の具材の補充を手伝った。
「相談てまさか辞めるとか、そういうの?」
田中さんは
「いえ、もっと深刻かも……」
「てことは、恋愛系か?」
「いや、そんなら田中さんじゃなく、別なモテる人に相談します」
田中さんは独身で彼女いない歴が自分の齢の38年の大ベテランだ。
「何気に失礼なことを冷静に言うね森山くんは……」
田中さんは苦笑いしながら、牛肉の入った
「じゃ何の相談? お金なら僕は持ってないよ」
僕は誰も座っていないカウンターを一瞥してから、コホンと咳をした。
「あのですね。真剣に聞いてほしいんですけど、僕、実は、明日も今日なんです」
田中さんは僕の告白に対し、沈黙したまま鍋を混ぜていた。
「へ?ごめん、ちゃんと聞いてなかった」
僕は田中さんに聞こえるように溜息をして、再び軽くコホンと咳をした。
「だから、明日も今日なんです」
暫し沈黙してから、田中さんは首をかしげた。
「ごめん、俺あまり頭良くないから、ちょっと何言ってんのか分からない」
「田中さん、今日って何日ですか?」
田中さんは鍋をこねくり回しながら、厨房に飾ってあるカレンダーを確認した。
「3月13日の日曜日でしょう?」
「ですよね?」
「ですよね?ってそれ以外にないでしょう?もう春めいてきてるし、冬は終わりでもうすぐ夏の季節ですよ。青春ですよ」
田中さんは、恐らく夏場の水着美女でも想像したのだろうか、やや鼻を広げて、ニヤニヤした顔で具材をかき混ぜていた。
それにね、3月13日は新選組が発足して日でもあるんですよと田中さんは自身の雑学をぶっこんできた。
「で、実は僕自身が、3月13日が永遠に続いてるんです。数え始めて165回、数え始めてだから、実際はもっと長いと思います」
「夜寝て、朝起きたら、ずっと日曜日ってこと?」
「そうです」
「最高じゃん」
「普通のサラリーマンで土日が休みならそうでしょうけど、僕は惰性でバイトをしています」
「じゃ、来るのやめたらいいのに」
「え?」
田中さんは、一息いれようと、業務員兼業者用の出入り口の灰皿スタンドの方へ通を誘った。
「ようするに、森山くんの日常は、3月13日からずっと動かないってことでしょう?ならバイトする必要もないじゃん。家でゴロゴロしてても、明日は今日なんだから、せっかくの日曜日だし、朝からがっちりマンデー見て、ワンピース見て、ワイドナショー見て、ビール飲んだくれてたらいいのに……」
田中さんは、俺ならそうするねと付け加えた。
「でもいつまでも明日が今日とは限らないじゃないですか。明日が明日になったら、僕はどうしたらいいんですか?バイトも首になるだろうし……」
田中さんはセブンスターに火をつけて、ふぅっとその煙を吐き出した。
「いや、一日、無断欠勤で休んだくらいじゃ首にはならんよ。そんなんで指名解雇はできないはずだ。調べてごらん」
「でも、僕が今日休むことで、今日の田中さんは困るわけですよね?」
田中さんは再び煙を吐きながら苦笑した。
「ま、苦労するのは3月13日の俺であって、俺自身は明日になれば14日になってっからさ。パラレルワールドっていうの?こういうのって」
「そんなの、13日の田中さんに悪いです」
僕は、田中さんをにらみつけながらそう言った。
「何が?」
田中さんはとぼけた様子で首をひねった。
「だから、僕が休んで、苦労する田中さんがいます。その田中さんは半永久的に、地獄の13日の日曜日を迎えるんですよ。僕だけ遊んでいいなんて田中さんに失礼じゃないですか」
田中さんは、ああそういうこと、と納得し、苦笑した。
「しかし、森山くんは偉いね」
「なんでですか?」
「明日も明後日も、下手したら100日後だって今日なのに、ちゃんとやってるじゃん」
田中さんはタバコをもみ消しながら、少し笑った。
「もしかしてバカにしてます?」
田中さんは、再び新しいセブンスターをパッケージから取り出し、やや戸惑った表情を浮かべた。
「いや、大真面目に言ってるよ。だってさ、明日の今日の俺は俺じゃない、また明日の明日迎える森山くんもキミじゃない。だから俺自身は、その被害を被らない。そもそも自分がされて嫌なことを人にしない限り、キミの今の生き方はおおいに賛同できるよ。俺は、多分違う生き方をするだろうけどさ」
「違う生き方ですか?」
田中さんは再び大きな息で煙を吐き出した。
「そう、例えば、行ったことない未開の地に行って、全制覇するとか、南の国に行って、その国の大王様と裸踊りするとか、一日中桃鉄やって、それの動画配信するとか」
僕は、田中さんが一瞬何を言っているのか分からなくなり、つい問い返した。
「それって、その日がどうせ永遠なんだから、好きなことやれってことですか?」
僕はそう言い終えて、田中さんを見ると、少し笑った表情を見せた。
「観念的な正しさなんて実体がないものだよ」
田中さんはタバコを吸わない僕に気づかって、煙をカウンター側に吐き出した。
「あるのは、こういうのが好き、こういうのがやりたい、こういう生き方がしたいっていう、それだけの気持ちで、それを人間は現実とどう折り合いつけていくかっていう問題なんだよね」
田中さんは二本目のタバコを灰皿に押し付けて火を消した。
「さて、そろそろ客が来るかな~」
田中さんは大きく伸びをして厨房に向かおうとした。
「まだ大丈夫です。当分お客さんは来ません」
「あ、そうなの?」
「あまり驚かないんですね」
「だって、今日を毎日迎えてるわけでしょ?」
「いや、このこと事態にあまり驚かれないんだなあと思って……」
「あ、それに驚いてほしかったの? だって俺さあ、星新一とか、小松左京とか、筒井康隆とか読んだりするし、あ、冲方丁も好きだな」
意外?と田中さんは僕に笑顔を見せながら尋ねた。
「どうせ今日が一生続くなら、思い切って散財して、遊び回るっていうのもありだと思うぜ。死ぬ前にやりたいことリストつくるとかさ」
あ、死ぬ心配ないか、と田中さんは一人で爆笑した。
「さすがにリセットされるからって、犯罪までは勧めないよ。けどやっぱそうか、一日に区切りのある仕事が好きな俺にとっちゃ進まない日常なんて地獄かもなあ」
田中さんは宙を眺めてボソッとつぶやいた。
「僕、どうしてもやりたいことがあって……」
そういうと、田中さんは急に興味津々で身を乗り出してきた。
「おお、いいじゃん、いいじゃん、そういうの、言ってみな。何がやりたいのよ」
「僕、実はタクシードライバーに憧れてたんです」
「へ?」
田中さんは呆れたような表情を浮かべた。
「なりたいっていうより憧れです。運転だって下手くそだし、方向音痴だし……」
田中さんは黙って、僕の話の先を促してくれていた。
「ただ、何かを極めたかったんです。こういう牛丼屋のバイトとかじゃなくて……いや、このバイトをなめてるとかじゃないんですけど……」
僕は、たどたどしくではあるが、眼前のバイトの先輩を前に、照れながらも夢を打ち明けようとしていた。
「自分のクルマも持ってないのに、タクシーに憧れて、苦労して二種免許も取得して、いつか自分がセミリタイアすることがあれば、沖縄か北海道かどこか、もちろん東京でも、タクシーの運転手ができればなあと思ったりしてました」
田中さんはなおも黙って僕の話を聞いてくれた。
「いつか……って言うよりも、むしろ夢想ですかね?こういうの」
僕は説明しながら照れくさくなり、鼻をかいた。
「こうなるまでは、毎日が現実の仕事に追われまくりで考えもしなかったんですけどね……」
僕は言葉を選びつつ、田中さんにそう説明した。
「で、タクシードライバーって、地理試験ってのがあって、僕は今、ちょうど毎日が今日なもんで、この際、一生懸命に勉強してるとこです」
ふーん、と田中さんは興味なさげに相づちを打つ。
「田中さん、もしかしてタクドラをバカにしてます?」
僕はきちんと話を聞かない田中さんに業を煮やして、嫌な聞き方をした。
「なんで?」
「なんでって、さっきから僕のなりたい夢をちゃんと聞いてくれてな……」
バンッと田中さんがテーブルを強く叩いた。
「明日のための今日じゃないんだよ。今日のための今日だよ」
田中さんは目をひん剥いて僕に怒鳴るように言った。
「まして、森山くんなんて、いつ来るか分からない明日のためにリスクを考えてさ、バイト首になるわけにいかないとか、一応二種免許取得だけして、タクドラの資格を持ってます、いつかやりたいので、地理の勉強してますとかさあ。不確定というかさあ、キミのもってる夢って、ただボーッとそれこそテレビを見ているみたいなだけで、実現の為への行動が伴ってないじゃん。地理を全部覚えたらどうすんの?どうせ日本全国の地図覚えたところで、そこまででしょう?」
田中さんは息を切らしながらまくしたてた。
「レーサーになりたいって言ってた奴が、死ぬほどレーサーになりたかったのか?死ぬほど好きだったら、レーサーになっているよ。だってレーサーになれなかったら死ぬんだぜ?選ぶ余地がないんだもん。ところが何故死なないかというと飾り物なんだよ。子供の頃にレーサーになるのが夢だったと言って、自分の心の飾り物にしているだけなんだよ。もちろん選べるというのは、凄く幸せな生き方だと思うけど、そういう人たちにお前は夢が叶っていいなとかは断じて言われたくない。俺は牛丼屋が死ぬほどやりたかったんだもん」
まあ、この言葉は大半がクロマニヨンズの甲本ヒロトの受け売りだけどさ、と田中さんは照れくさそうにつぶやいた。
「だから死ぬほどなりたかったら、とっくにキミは今頃タクシードライバーなんだよ。でも今は牛丼屋のアルバイトをやってる。だから所詮そのキミの夢は飾り物なんだ。それならそれで、自分の胸に仕舞っておきなさいって話。そんなこと人に打ち明けてどうすんの?って話。俺に言ったところでどうしようもないでしょう?」
僕は田中さんに何も言い返せずに唇を噛んで、押し黙った。
「まあ俺もさ、キミの行動は偉いって一度は認めたからさ、あまり偉そうなことは言えないけど……」
田中さんも言い過ぎたと思ったのか、ポリポリと頭をかきながら厨房に戻っていった。
二時を過ぎて、新しいお客さんがやってきた。僕は注文内容を覚えてはいるが、当然仕事なので尋ねる。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「あの……」
カウンターに座ったサラリーマン風の男は、おずおずと話を切り出そうとしていた。
「今日って3月13日ですよね?」
「はい?」
「いや、俺、言ってもわかんないかも知れないっすけど、3月13日がずっと続いてんですね。そんで、この状況ってどうしたらいいもんかなあって思って……不安で不安で……」
男は心療内科の担当医に訴えかけるように僕に相談してきた。
仰天した僕は、驚いた表情を浮かべたまま厨房を振り返った。
「悪い、タイミングが上手く切り出せなかったけど、俺も実はずっと3月13日なんだわ」
田中さんはそう言って、僕にぺろりと舌を出した。
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