悪魔
一か月ぶりに帰った宿屋は、見違えるように綺麗になっていた。
「おお、カナタ様! お待ちしておりました、お帰りなさいませ」
「スワロフさん。久しぶり、すっかり朝帰りしちまった」
リリが迎えに来たのが夜だったことも相まって、宿屋に着いた頃には既に朝。
小鳥のさえずりが心地よく届き、背中では不貞腐れていた相方が静かに寝息を立てる。
「すぅ…すぅ…もうカナタってば仕方ないですねぇ……やっぱり私が居ないとダメダメなんですから…」
「スワロフさん、この馬鹿シバいても良いかな?」
夢の中で俺にどんなマウントを取ってるのか知らないが、帰り道で寝落ちしてここまでおんぶさせた挙句にこの発言だ。
一発ぐらい殴っても文句は言われないんじゃないか?
「許してあげましょう。リリーナ様もカナタ様が戻られない事を案じ、お一人でお迎えに行かれたのです。それも、お疲れの中、迷うことなく。女性の大言も大目に見てあげるのも、男の器量というものですぞ?」
さすがに生きてる年月が違う。
スワロフさんの言葉には不思議な説得力があった。
仕方ない、ここは俺が目を瞑ろう。
「うへへ……わたしがいちばん~……」
本当に幸せそうな声しやがって。
「スワロフさん。今日の晩飯なんだけど、少し豪勢に頼めるか? もちろん、金は俺が用立ててくる」
「構いませんが、どうしたのですか?」
「リリにも後で言うけど、明日に件の悪魔を退治してくる」
そこに流れる緊張感。
今まで目的として動いてきたものを、満を持して俺は口に出す。
「いよいよ、ですか。それにしても明日とはまた急ですな」
「もう時間を掛ける必要はないからな」
俺はスワロフさんにそれだけ残すとリリを背負ったまま宿屋に足を入れる。
中も見事なまでに綺麗、最初に来た時の虫食い宿は何処へ行ったのやらと思うほどだった。
「頼んだのは俺だけど、凄い腕だな。カツジのおっちゃん」
俺はもうここに居ないカツジのおっちゃんに感嘆の声を出す。
廊下から俺達の部屋に至るまで、どこもかしこも蜘蛛の子一匹いない。
「おい、リリ起きろ」
俺は背中で彼女を揺する。
しかし、彼女は一向に起きる気配がなかった。
はあ、まったく…。
「置いてくからな」
俺は自分の部屋にリリを寝かせる。
いくら俺でも多少の倫理観くらい持ち合わせている。
人の背中に涎をくっつけ、あまつさえその相手に夢の中でマウントを取るようであっても女の子。
その女の子の部屋に無断で入るわけにもいかないからな。
「ま、床に雑魚寝だけど」
俺は布団すら敷かずに部屋を出た。
そして、再びスワロフさんを探し出し、声をかけた。
「スワロフさん。じゃあ俺ちょっと軽めの依頼受けてくる」
すぐに終わる依頼があればいいんだけどな。
「ああ、カナタ様。行ってらっしゃいませ」
俺はまた管理部に顔を出すのか……てかさっき戻ってきてまた戻るのは、まるでシャトルランでもしているようだ。
若返ってて良かった、オッサンの俺だったら多分もう力尽きてる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「すいません。この依頼お願いします」
「はい。承りました」
早々に受付を済ませる俺。
今回の依頼は、以前受ける事の出来なかった暴豚7匹の討伐。
場所もこの近くという事で、今回は今日中に済ませられそうだ。
「気を付けてくださいね」
「はい?」
朝という事もあり、俺以外に他の冒険者の姿は無い。
それにお姉さんも他の人ではなく俺を見ている。
つまりこの言葉は十中八九俺に向けられたものという事だ。
「最近、魔物が活性化していて、熟練の冒険者でも怪我をして帰ってくることも少なくないんです。こちらの忠告を聞き入れない命知らずな方ならともかく、貴方とお連れの方は私たちの間でもかなりの信頼が置かれているのでもしもの事があったらと」
へえ、俺達って結構管理部だと有名なんだ。
そういえばエレインも魔物が活発に活動してるとか言ってたっけ。
「分かりました。ご忠告痛み入ります。それから」
俺は受付のお姉さんに笑いかける。
「朝早くから、お仕事お疲れ様です」
さて、
いや、正確には訓練中に何度か駆り出されたこともあったけど、とにかく自分から受ける討伐依頼は久しぶりだ。
「気を抜かないようにしないと」
俺は見晴らしの良い草原に出た。
どこまでも広く、背の高い建物に囲まれていた日本と違ってずっと先まで見渡せてしまう。
「いいなぁ。こんな景色」
俺は思わず呟く。
向こうでも一度くらいこんな景色を見てみたかったと思ってしまう。
が、今の俺が暮らしているのはこの世界だ。
世界は違えど、こんな景色を見られたことは素直に幸運と思おう。
「さてさて、暴豚とやらはどこだ」
一応、俺なりに暴豚の知識は集めた。
大きさは普通の家畜である豚よりも一回り程小さく、代わりに大きく突出した牙と、一目でそれと分かる蛍光色の黄色い毛並み。
だが、その毛皮は大層高価な物で、血が付いていなければ貴族や王族も欲しがるらしい。
そんな生き物なのに駆け出しの指標にされるとはと思うが、どうやら連中の攻撃自体が直線ばかりで避けやすいため、しっかりとした知識と、簡単な戦闘能力さえあれば割と簡単に倒せるから冒険者にとってはいい小遣い稼ぎになるらしい。
「お、あれかな?」
俺の見つめる先には確かに黄色い毛皮を身に纏った豚がいた。
いや、牙が大きいからあれだと猪だな。
「あれが暴豚か、思ったより可愛いな」
目は確かに凶暴だし、牙も恐ろしいが、さすがに
向こうも俺に気付いたのか鼻息を荒く俺を見ている。
「さてと、鬼教官に扱かれた腕前、見せてやるし、試させてもらおう」
俺も剣を抜き、暴豚目がけて走り出す。
奴も奴で俺に向けて走ってくるが、やっぱりまだまだエレインの方が早い!
……いや、あれはあの人が容赦無さ過ぎただけだな。
俺はその事を思い出しながら一匹の暴豚を斬った。
上下見事に真っ二つとまでは行かない。
しかし、この程度の魔物なら容易に倒せるらしい。
ちなみに、また一つこのチートについて学ぶことがあった。
それはもちろん<剣帝>についてだ。
このスキルのすべての剣技を最高火力で放てるというものだけど、どうやらそれはあくまでその剣技においての最高火力であって、俺が力一杯に剣を振ったところで遠くの山が斬れるとか、天が裂けるといった超絶大なものにはならないらしい。
まあ、何が言いたいかって言うと、チートは持っても精進はしろって事だ。
「けど、この分ならサクサク終わりそう」
俺は後退りをしながらもこちらを見る他の暴豚に目を向けて言う。
けど、ちょっとマズいな。
このまま近づいたら逃げられるかもしれない。
「……せっかくだし、また新しいスキルでも取ってみるか」
俺はそうしてポケットを開いた。
あと、エレインに散々扱かれたなら彼女の剣技を使えるのでは? と思う人もいるかもしれないが、その答えはノーだ。
いや、あんな素早い剣技見切るのは流石に無理。
模擬戦の時のは直感と結果が一致しただけのまったくの偶然だし、そもそも剣が見えたのが止めた後だったし。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ただいまー」
「あ、カナタ様。お帰りなさい。依頼は無かったのですか?」
「いや、丁度暴豚の討伐依頼があったから、サクッと終わらせてきた。はい、これ報酬」
俺は銀貨が十数枚入った袋をスワロフさんに渡した。
「え、もう終わらせたのですか!? それも討伐依頼とは」
「まあ、さすがに俺も驚いてるけどアレが駆け出しの指標な理由が分かったよ」
俺はそう言って笑う。
まあ、さすがに血を付けずに毛皮を取るってのは無理だった。
後からお姉さんに聞いて知ったのだが、暴豚は血液に特有の成分が含まれているせいで血が凝固することがないらしい。
だから毛皮を取る時は氷結系の魔術と組み合わせて倒さないとダメなんだとか。
それは確かに倒すだけなら駆け出し向きだわ。
「風呂沸いてます? 俺も飯前に寝ようと思うんで」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。カナタ様が依頼に行かれている間に掃除を済ませてあります」
ありがてえ。
この人やっぱりおもてなしの精神が達人級だわ!
こっちのしてほしい事が分かってる!
「じゃあ、入らせていただきます」
俺はそうして風呂に入った。
やっぱね、魂の選択には風呂が一番。
そうして、俺は風呂から上がり、部屋に戻って眠りに就いた。
一応、本当に一応だがリリがいるから部屋の隅でだけど。
そこから夜になり、リリも起きて俺達は決戦前夜の食事にありつく。
「今日はなんだか豪勢ですね」
「カナタ様からのお願いでして」
「カナタの?」
リリからの視線を感じ、俺は彼女に切り出した。
「ああ。明日はいよいよ」
「悪魔退治、ですね」
先に言われてしまった。
「よく分かったな」
「分かりますよ。カナタがなんの意味もなくこんなに豪勢な食事を頼むわけがありませんからね!」
リリはふふんと鼻高々に言う。
まあ、分かってるなら話が早くて助かるからいいや。
「そうだ。明日に悪魔を退治する。だから今日は精をつけないとな」
俺はスワロフさんが用意してくれた食事の一つ。
エビの様な甲殻類の姿づくりに手を付ける。
「あー! カナタ、ズルいですよ! それは私が食べようと思ってたんです!」
「うるせえ! 早い者勝ちだ!」
俺はリリと食事の取り合いをする。
すると、その横でスワロフさんが涙を流し、俺達は面食らった。
「ああ、すいません。なんだかこんなボロ宿が、お二人の様なお優しい方々に訪れて頂いたことがとても嬉しく、つい涙を流してしまいました。……自分勝手で申し訳ないのですが、カナタ様、リリーナ様。どうか、妻を、この宿を、よろしくお願いいたします…!」
その言葉に俺達は顔を見合わせる。
そして、俺達の言葉はまったく同時に返していた。
「「任せ(ろ)(てください)!」」
グーサインで返す俺とリリ。
自分でしといてなんだけど、リリってこれで返せば何とかなると思ってる?
という思いは置いておき、その日はスワロフさんも含めて三人で食卓を囲んだ。
そして、翌朝―――。
「うっし、行くか」
「はい」
俺達は朝早くに宿を出る。
スワロフさんには嫁さんの側についてもらうことにしている。
そして、俺はリリを見て驚いた。
彼女の装備が、前と大分違っているからだ。
「リリ、そのボウガンどうしたんだ?」
「えへへ、依頼を頑張って買ったんです。それだけじゃないんですよ! ほら!」
リリは俺に冒険者としてのメダルを見せてきた。
そこには、俺よりも一つだけ数字の小さい11という文字が刻まれている。
これはつまり―――。
「リリ、いくらなんでも盗むのはどうかと思うぞ。すぐに元の持ち主に返して来い。待っててあげるから」
「ちっがいますよ! これまでの功績が認められてランクが上がったんです!」
な、そんなバカな!
「ふん、これで私は冒険者としてはカナタよりも一つ上です!」
そう勝ち誇るリリ。
「そういう偉そうなセリフは、ちゃんと誇れる胸をしてから言え」
「なっ! それはセクハラですよカナタ!」
「さーてと、そろそろ行くか」
「聞いてくださいよー!」
喚き散らすリリを無視して俺はスワロフさんに教えてもらった。
どうやら、場所は森林の奥深くらしい。
そしてそこは、光すら届かない場所だとか。
「そんな場所があんのか?」
「さあ、聞いたことないですけどスワロフさんが言うなら信じるのみです」
「お願いだから、怪しいツボとか売られても買うなよ?」
俺の言った事にリリはキョトンとしていたが、それでいい。
そういう部分は、世の中の知らなくていい部分だからな。
「それにしても、悪魔ねえ。本当にいるのか?」
「いるって言ったらどうする?」
俺でもリリでもない声が辺りから響く。
瞬間、辺りは暗闇に包まれた。
とは言っても、本当に暗闇ではなく、俺はリリの姿を認識できるし、リリも俺の姿が見えるようだ。
「ここは…」
「ここはオレ様の創った寝床だよ! いいや、お前らみたいな雑魚が食べられに来るから、食卓かな!? ギャハハハハハ!!」
俺達の前で笑う影。
比喩とかじゃなく、本当に影なんだよ。
体は黒いのに、存在を誇示する様にソイツの輪郭だけは赤い線で覆われている。
「あの爺さん。まだ懲りてねえのかよギャハハ! てめえのせいで何人も冒険者気取りの雑魚が食われたってのに、ババアを助けるためなら他人の命なんざどうでもいいってか! アーハッハッハッハ!」
俺の前で笑う影。
なんだろう、剣を抜きたいけどその前に一発グーで殴りたい…!
誰かを侮辱されたとかの正義感じゃなく、ただただ喋り方が癇に障る!
俺が思うと同時に、その影目がけて一本の矢が通過した。
「へへ、何これ?」
影は依然へらへらしながら言う。
その矢の正体は、リリのボウガンから放たれたもの。
そして彼女は、俺よりも先に影に言った。
「あなたはもう喋らないでください…! あなたの話し方は、犬の糞よりも不快です!」
その比べ方はどうかと思うが、とにかく、リリが怒ってるのだけは理解した。
「まあ、俺達がここに来た理由が分かってるなら話が早えや。おい悪魔、お前を退治させてもらうぜ」
「退治? 俺を? ……ぷ、アーハッハッハッハ! お、お前らみたいな雑魚がこのシャドウ様を倒すとか、面白すぎて笑いが止まらねえ! イーヒッヒッヒッヒ! は、腹が痛え…!」
笑い続ける悪魔。
てか、影で名前がシャドウって―――。
「まんま過ぎるだろー!」
◇◇◇後書き◇◇◇
今回も読んで下さりありがとうございます!
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それでは、また次回でお会いしましょう!
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