如月:かくもほろ苦きチョコレイト01

 拝啓、おじいちゃん。

 お元気ですか? 花は元気です。おじいちゃんのおうちを守る為、おじいちゃんの代わりにこのおうちに住むことになりました。いつ帰って来ても大丈夫なように、綺麗にしておきます。安心して下さい。

 めちゃめちゃ顔の良い遠縁の御兄様方達が一緒なので、心強いです。多分、きっと、恐らく。

 少なくとも、ごはんに関しては困らないと、思います。


***


 カレンダーをぺり、と剥がす。

 『おじいちゃん』が選んだカレンダーは、本人によって捲られることはなかった。節張った皺くちゃの指の代わりに、少しだけ荒れた女性の丸みのある指によって、二月に模様替えされる。


「あー……二月かあ……」


 呟く花の後ろで、首を傾げたのが龍一だ。植村龍一、と名乗った細身の青年は、花より少し上くらいの年齢だろうか。

 彼と、彼と血の繋がらない兄である宗一と共にここにやってきたのは先月のこととなる。花の遠縁の親戚で、ここの主が家を開けることになった際に花と共に家の管理を任された、らしい。

 らしい、というのは、花の記憶に彼等のことが全く無い、ということに起因している。小さい頃に一回会ったことしかないとのことだから、記憶に残らないのは自然なことではあるし、電話でも母と普通に話しているところで信用することとしたものの、正直まだ血縁、という実感は湧いてこない。かといって常に警戒するような人達なのか、と言えば否、と答えざるを得ない。

 彼等は揃って家を綺麗にしたり庭を整えたりすることに熱心だったし、在宅とはいえ仕事もしている気配はある。収入もちゃんとあるらしく、月末には揃って花に『家賃』と称して封筒に入れた札を手渡してきた。親戚の小娘として、ではなく家主として見てくれているのだということに驚くと「え、大家さんだし」「タダで暮らすわけにいかんしな」と当然のように返される。洗濯物や風呂に関しても配慮してくれるし、個人のプライベートもそれぞれで一定の線引きをして、過干渉しないようにという心遣いも見られ、そのお陰で花も性別云々を意識しないで済んでいた。

 共同生活、としては順調なスタートを切った方だと言えるだろう。

 第一印象は無愛想さが先立っていた宗一の方は、料理上手で良く台所で背中を丸くしながら色んなものを作ってくれた。何でも共働きの両親に代わり、子供の頃から家事全般を任されていたらしい。曰く「何かとメシ作る係を回されとったな」だそうで、まあ任せたくなるくらいには美味しいと思えるものを出してきた。だから花はまず胃袋を掴まれてしまったと言っても良いかもしれない。寡黙でぶっきらぼう、言葉は多い方ではないが、ちゃんと話す時はしっかりと話す。一応コワモテという自覚はあるらしく、花に怖がられないようにという気遣いが見えていて、好感が持てる。

 変わって龍一はと言えば、ふわっふわな所謂天然系の性格だ。主に家の掃除や洗濯を率先してやってくれているが、決して料理には携わろうとはしなかった。何でも宗一に鬼の形相で止められた、らしい。しでかしたのは理解したが、その詳細は怖くて聞いていない。所謂料理音痴、というやつなのだろう。ただ、何もないところで躓いたり、ぼうっと歩いていて家の柱に激突したりしていたから、そっち方面で止められているのかもしれない。

 そして、宗一の分まで吸収したかのように愛嬌はてんこ盛りだ。そして人懐っこく、好奇心も旺盛だ。印象で言えば大型犬の仔犬、といったところか。勿論成人男性だ、別の面も潜ませているには違いない、のだろうが。

 その成人男性(大型犬)は、カレンダーの前で唸る花の背後へ、ひょこひょこと近付き、小首を傾げながら顔を覗き込んでくる。

「花ちゃん、何か困ったことでもあるの?」

「え、あ、困ったっていうか――うーん、まあ、いいか」

 別に隠したところで同じ屋根の下で暮らしているのだから、バレるのなんて早いに決まっている。だから、花はもう正直に白状することにした。

「バレンタインデーどうしようかと思って」

「ばれんたいんでー?」

 あっ、何でそこ首を反対側に傾げるのか。その容姿で貰ってないとは、言わせない。言わせないぞ。

 しかし、龍一はイマイチどうもピンときていないようだ。

「毎年チョコ作ってたんですけど、今年はあげる場所が限られてて……作ろうかどうしようか迷ってるんですよね」

「え、あ、あー! そうか、そういう?」

 ぽん、と手を打ち、漸く花の言葉を理解したらしい。これが、天然というやつなのだろうか。ああそうかなるほどねえ、そうかそうかとひとしきりカレンダーを見ながらうんうん頷いたあとで、はた、と何かに思い当たったかのように龍一はぐりん、と花へ向き直った。

「待って? 花ちゃんチョコレート、作れるの?」

「え? あ? はい、そうそう。毎年、作ってたんですけど……その、お二方はチョコ食べるかなって」

「食べる!」

 普段の三倍速どころじゃないくらいに返事が、早い。見れば目をきらっきらさせて、嬉しそうに表情を綻ばせている。もしかして、もしかしなくても。

「……龍一さん、本当甘いもの好きですね。桜餅の時からそんな気はしてましたけど」

「うん! 大好き!」

 お返事、よく出来ました、なんて言いたくなるくらいの元気な答えが返ってくる。犬なら絶対に尻尾がめちゃめちゃばたんばたん揺れてるだろう。宗一は野良寄りの猫、だとしたら、龍一は完全な飼い犬だ。しかも、めちゃめちゃ人懐っこくて愛されるタイプの。

「じゃあ、今年も作ろうかな。材料、買いに行かなきゃ」

「僕もお付き合いするよ」

 ご機嫌な声でそう言われてしまうと、いやいやいいです! なんて言えるわけがない。何せ今の龍一の表情はまさに、散歩待ちのわんこそのものだったからだ。この際もう荷物持ちしてもらおう、と花は開き直る。

 随分と顔の整った、贅沢な荷物持ち、ではあるけども。これは同居人の特権だと思うことに、した。


***


 花達の住んでいる家は賑やかな小町通り側とは、反対側になる。奥に入れば観光地の色とは違う、住宅地が広がっている。ただ、その中には歴史を刻んだ古民家や、地主のものと思われる大きな屋敷などもあり、建築好きには楽しめる一帯でもあるだろう。近年、鎌倉三大洋館と言われている古我邸が改修工事の後にフレンチレストランになったことが、観光的には話題になっている。

 その一帯から駅方面に出ていくと、高級食材を扱っているスーパーがあった。正直、花としては普段はあまり縁のないところではあるが、今回ばかりは相手が相手だけに少々奮発せねばなるまい。普段は締めがちな財布を緩め、足を踏み入れる決意を固めたのである。流石にこの顔面に、お安いチョコを食べさせるのは何となくいけない気がした。気がしただけだが。

「そういえば、宗一さんは何処行ったんだろ」

「打合せだって言ってたね。帰りは夕方になるって言ってたけど」

「じゃあ帰ってくる前に急いで作らなきゃ」

 売り場をきょろきょろと見回しながら、花が向かったのは製菓コーナーである。

 折りしもバレンタインのこの時期、ここには数々のチョコレートが並ぶ。製菓用のそれらから、コイン状に固められたビターチョコとスイートチョコの袋を選び、籠へ入れていく。傍らでは、ほわぁ、と口を半開きにして売り場を見ている龍一がいた。普通なら間抜けな表情なのだろうが、顔面が綺麗だとそれもまた良し、となるのだから得だなあと思いながら、花は袖をくん、と引っ張った。

「生クリーム買いに行きますよ」

「生クリームを入れるの?」

「うん、私が作るのは生チョコだから」

「なまちょこ……チョコに生とかあるんだね」

 ああ、成程。男の人はあまり種類とか考えたりしないのかもしれない。そんなことを考えながら乳製品のコーナーまで向かうと、今度は生クリームのパックを手にしてまた放り込んだ。ふと、横を見ると、龍一は目を丸くして売り場を凝視している。確かに通常のスーパーよりは牛乳の種類は多いから、新鮮なのはわかる。

「牛乳ってこんなに種類あるものなの?」

「まあ、ここちょっとセレブ的な客層ですしねえ……」

 すごいなあ、としみじみと言いながら手に取ったのは豆乳だ。確かに豆乳もここは種類が豊富だ。有名な豆腐屋さんで出しているものもある。

「豆乳、気になるなら一本ならいいですよ?」

「えっ、ほんとに?」

「健康にいいですもん」

 龍一は暫くどれにしようか悩んでいたが、結局花の勧めた『豆腐屋さんが作った豆乳』を籠に入れた。しかし、反応がまるで見るもの全て初めてのようで。余程の箱入りなのか、それとも。

――まあ、私が詮索するところじゃないか。

 どうも植村家は少々複雑な家庭事情らしい。そこを突っ込むことは何となく憚られてしまう。それに、何にせよ今の龍一はとても楽しそうだ。もうそれで、充分な気がする。

 花は、会計すべくレジに向かう。後ろからついて歩く龍一はまさに飼い犬のようであったし、それに伴う周囲の熱視線はなかなかに焦げそうなほどであった。

 顔が良い、とは罪深いものである。

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