俺と歯医者デビュー【2】

 梅雨入りの季節だというのに、次の日は快晴だった。カーテンの隙間から差し込む日差しが眩しい。こんな日に彩香と外で遊ばないのは、もったいないような気もしたが、何より歯医者に行くことが優先だ。

 まだ重たい瞼を懸命に上げ、俺は枕元の時計を確認した。午前七時。起床時間にしてはいつもより少し遅いが、隣の部屋から物音はしないので、彩香の方もまだ起きていないのだろう。

 俺は彩香を起こし、トーストと目玉焼きという簡単な朝食をとった。その後、彩香と二人いつもより念入りに歯磨きをする。こうやって二人で洗面台に立つのは珍しい。小学校の登校時間の関係で、彩香は洗面台に立つ時間も長くはない。かく言う俺も仕事に行く前の身支度で忙しいから、仕上げ磨きなんてしてやれないしな。

 洗面台の前で向かい合って彩香の口の中を覗き込のみ、仕上げ磨きをしてやりながら、子どもの成長は早いものだと思う。

 子どもの歯の後ろに、大人の歯が白い頭をひょっこりと出している。もう大人の歯が生えてくる歳なんだな。

 そこを念入りに磨いてやると、彩香はくすぐったそうな仕草をした。それに思わず苦笑がもれる。俺は一旦彩香にうがいをさせてから、再び口の中を覗き込んだ。

「よし、上出来」

 俺の言葉に、彩香はどこか気恥ずかしげに身体を揺らした。

「ねえ、パパ」

「どうした」

「髪結んで」

 彩香の手にはいつ間に取り出したのか、ピンクのリボンがついたヘアゴムがある。

 あれ。俺こんなゴム買ってやったかな。俺の動きが止まったのを不思議に思ったのだろう。彩香が顔を覗き込んでくる。

「髪やってくれないの」

「すまん、すまん」

 謝りながら俺はヘアゴムを受け取って、彩香に尋ねた。

「それにしてもこんな可愛いヘアゴム持ってたか?」

 彩香はよくぞ聞いてくれました、とばかりに胸を張る。

「おばあちゃんに買ってもらったんだ」

 ああ、そっか、お袋に買ってもらったのか。昨日は休みの前日だったから、一緒に夕食を食べることができたが、彩香は普段は学校が終われば俺の実家で過ごす。その時にお袋と買い物に出掛けることも少なくないのだろう。なんだかんだで、お袋も彩香を可愛がってくれているし、彩香も懐いているのだから、ありがたいことだ。

 俺は彩香からそれを受け取り、少し高い位置で髪をまとめてやった。彩香は鏡越しにその作業をじっと見つめている。

「できたぞ。どうだ?」

「おばあちゃんの方が上手」

 そりゃあ、女性であるお袋の方が上手なのは当たり前だろう。俺の結び方が不格好なのは御愛嬌というやつだ。

「なんなら、おばあちゃん家に寄って結んでもらうか?」

 俺の提案に彩香は黙って首を横に振って、「これでいい」とにこりっと笑った。その頭を思わず撫でてやりたい衝動に駆られたが、寸でのところで思いとどまる。ただでさえ不格好なのに、これ以上崩してしまっては申し訳がたたない。

「よし、じゃあ行くか」

 その衝動を誤魔化すように手を差し出せば、彩香はそこに小さな手を重ねた。


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