第12話 緊張の糸

 その次の日……


 母にスマホを返してもらい、産業医の先生の、オンライン面談を受けた。


 産業医は、苑田そのだ先生という女医さんだった。


 ずは、私の勤務表を見て「これは……かなりおつらかったですね」……とねぎらってくれた。


はるかさん ……私は一度休職して専門医の診断をお受け頂く事を強く勧めます」


 ……休職!?


「期間はどのくらいでしょう?」


「早くて1ヶ月……最大で2年です」


 このサターン蔓延の中、かなめとなる検査センター勤務の私が休職なんてしていられない! 


「部長が一週間休みを下さったのですが……それでは……?」私が遠慮がちに聴くと……


「一週間では、全く足りないと判断します」……と、きっぱりと言われてしまった。


「私たち産業医には『勧告権』というものがあります。 現状を総合的に考えて、このまま勤務を継続させるのは不利益になると判断します」


『病院にとっても不利益』……この言葉は……非常に重い!


 ……私が何も言えずうつむくと……


「ちょっと見て下さい」……と言って、先生は便箋を一枚取り出し、そのまま『グシャグシャッ』っと音を立てて丸め、まんでカメラに向けた。


「これを遥さんの今の『精神状態』だと思って下さい」


 私は無言で頷いた。


 先生は、それを広げ直して、もう一度私に見せた。 ……いくら伸ばしてもしわクシャのままだ。


「このように、一度傷ついた精神は元の綺麗な便箋に戻る事はありません。 それどころか……」


 ……その便箋を、もう一度丸めると、音もせずに丸まった。


「人間の精神は、この紙よりも脆いんです。 拡げる事も出来ず、破れてしまう場合も少なくない。 今は、時間をかけて疲れを癒し、可能な限り……遥さんには、それが必要です」


 私は、PCR検査センターに出向になってからの事を思い返していた。


 必要書類の締め切りギリギリでの作成に始まり……

 当初の、孤立無援の日々

 レッドゾーンでの検体採取

 サターンウイルスの蔓延と大量に届く検体

 残業に次ぐ残業……等々……

 


 今思い返しても、背筋が寒くなる事が度々あった。


 ……そうか……私……いつの間にか心が悲鳴を上げてたのか……。


「遥さんの真面目過ぎる勤務態度は、人事考課で充分に判ります。 だからこそ、今は休んで下さい。 早期の治療が、遥さんの将来を左右する場合もありますからね。 ……今から診断書と紹介状を作成します。 PDFで辰巻さんに送っておくので、郵送で受け取って下さい。 あと、今、お母様かお父様はいらっしゃいます?」


「はい……母がおります。 呼びましょうか?」


「お願いします。 大丈夫ですよ! ご家族に心配は要らない……とお伝えするだけですから」


 ……私は苑田そのだ先生に心からのお礼を言ったあと、母を呼び、話をして貰った。


 何故か眠くて仕方ない……。 緊張の糸が切れたんだろうか?


 私はまた、ベッドに潜り込んで眠ってしまった。

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