臨床検査技師の『はるか』です！

第6話『足掻き』

　今回送られてきた検体は『抗原検査』を行（おこな）っていない……との事で『プール法』を使わず、全数PCR検査を施行した。

　最終的には……１０５名中、陽性３５名！　陽性率……３３％！

　実に、３人に１人は陽性という事になる。

　……検査を実施して陽性が出る度（たび）、辰巻部長に報告するのだが、４クール……つまり４回、陽性者の結果報告をする都度、部長の声に張りが無くなっていくのが判る。

　……当たり前だ。　陽性者は勤務させられない為、また別の方（かた）を探す必要が生じるんだ。　仕方無い事なのだが、報告するのも申し訳ない気分になる……。

　さて……検査や報告が立て込んでいて気付かなかったが、ふと時計を見ると、間もなく深夜０時……

　墨台さん……まだ戻って来ないよ……

　……と思った矢先『コン……コン……コン』と力（ちから）無いノックの音が聞こえた。

　ドアを開けると……

　墨台さんだ～～～！　良かった！　お帰りなさい！

「遥（はるか）さん……まだ帰れなかったんだね……。　お疲れ……」

　そう言う墨台さんの方が疲労の色が濃い。

　……それもその筈、２００名分の問診補助と検体採取を一人でやり切り、しかも、その後２時間以上かけて、やっと戻って来たんだ。　これで疲れていなければ、最早（もはや）人（ひと）では無い。

「……遥さん……ごめん……ちょっと……寝かせて……」と、墨台さんは検査室の椅子に座ろうとした。

「す、墨台さん！　こんな所で寝たら風邪ひきますよ！　せめて休憩室で！」

　……検査室は精密機械が多く、湿度が高いと故障する恐れがある。　その為、一年中、冷房をつけっぱなしにしている。　普通にしていれば問題無いが、寝るには寒い。

　私は墨台さんを支え、休憩室の簡易ソファーにお連れした。

「……ありがとう……先方様には……『結果は明日以降』って伝えたから……遥さんは……帰って休ん……で……」

　やっと戻れて安心したからか、墨台さんはすぐに寝息を立てた。

　検査室に戻ると、私も張り詰めていた緊張の糸が緩（ゆる）み……その途端（とたん）、唐突に涙が溢れ出た。

　……今回のパンデミックで、全世界の人々……文字通り、数え切れない人々が悲しみ、苦しみ……死者まで出ている。

　墨台さんが、こんな大変な思いをして検体を運んでくれても、私が何百人検査をしても、サターン禍（か）の大勢（たいせい）に変化が起きるとは到底思えない。　……私たちがどんなに足掻（あが）いても、ウイルスが消える事は無い。

　それなのに……私たちは、なんでこんな事続けてるんだろう……。

　無力感が私の全身を包み込んだ。

　ドッと疲れが出て、無性に眠くなった。　

　墨台さんが運んで来て下さった検体を保冷庫に入れ、帰ろうとした時、墨台さんが検体と一緒に持ち帰ってくれた検体リストが目に入った。

　……リストには、氏名、生年月日をはじめ、ワクチン接種の有無などが印刷されていたが、リストの空欄に、体温やご本人の訴え、気になる症状、感染者との接触の有無等々（などなど）……２００名以上分（ぶん）の情報が、所狭しと事細（ことこま）かく記載してあった！

　墨台さんが、全員に聴収して記録してくれた貴重な情報だ。

……墨台さんだけでは無い。　医療に携わる方々（かたがた）は、須（すべか）らく、こうやって患者さんを看（み）てドクターに報告し、チーム一丸となってウイルスと戦っているんだ。　いつの日か必ず訪れる『勝利の日』を信じて……全力で！

　……このリストを見て……私は、自分が恥ずかしくなり『私はなんて愚（おろ）かなんだ！　何様のつもり！？』……と、自分で自分を詰（なじ）った。

　何（なーに）が『全世界の人々が苦しんでいる』だ！　国だって世界だって『個』が無くては存在出来ない！　

　世界なんかに目を向けて『自分は無力だ』……なんて、思い上がりも甚（はなは）だしい！　そんな暇があるなら『個』の、一つしかない大切な命をを護る為に、精一杯足掻きに足掻け！

　そう、自分に命じた。

　私は、リネン室からタオルケットを借り、気持ち良さそうにイビキをかいている墨台さんにそっとかけた。

　……そして、墨台さんを起こさない程度の小声で「本当に、お疲れ様でした。　感謝致します」と呟いて、最敬礼してから部屋を出た。

　……病院の前では、なんと！　兄貴が自動車で迎えに来てくれていた！

　え？　なんで？

「俺、明日休みだ……って言ったら、お父さんに『迎えに行ってくれ』って頼まれたんだ」

　……墨台さんにも感謝だが、家族にも感謝だ！　本当に有難い。

「晩飯（ばんめし）食った？」

　あ～、そう言えば食べてない～！

「……俺も小腹が減ったから、付き合うよ。　……この時間でやってんのは『ラーメンゴロウ』かな」

　ええ〜！　あの『こってりドロドロ系』の代名詞の〜！？

「お兄ちゃん！　ゴロウは『小腹』ってレベルじゃ無いでしょ！？」

「じゃあ、やめる？」

「……いや……行く……」

　……空腹には勝てない。

　兄貴も私も、大盛り全マシを食べた。

　真夜中に食べるラーメンは背徳感も相まって途轍（とてつ）もない美味しさだった。

　……翌日……

　私は爽快に目覚めたが、言い出しっぺの兄貴は胸やけが残ったと言う。

　同じ物食べたのに、不思議だな〜（笑）