第5話 病院実習

 …今回の患者さんは、運良く一命を取り留めたが、一度だけ、目の前で患者さんがお亡くなりになった事があった…。


 病院実習に行った時の事だ。 


 …余談だが、『病院実習生』と『研修医インターン』には、決定的な違いがある。


 『病院実習生』は、だ国家資格を取得しておらず、『無資格者』だが、『研修医インターン』は、既に医師免許を取得している『医師』だ。 …この両者は、『覚悟』の面でも、大きな違いがある。




 私が実習に行ったのは、ある大学病院だった。 同じ班になったのは、少々無口な『川崎』君と、明るい性格の『安岡』さんだった。


 この二人とは同じクラスだったが、あまり交流は無かった。 しかし、同じ班になり、共に勉強を進めるうちに意気投合し、すっかり仲良しになった。


 そんなある日、緊急で心電図の依頼が入り私たちは、その場で見学する事になった。


 車椅子で生理検査室に運び込まれた患者さんは、見るからに状態が悪そうだった。 


 当然、ベッドに移動して頂く事は出来ず、先輩技師のかたは、車椅子のまま『座位』での記録を始めた。


 しかし、電極を装着しても、心電図が表示されない。 …先輩技師は、冷静に


 「うーん …ステっちゃってるかな…」


 …と言い、室外で待っていたヘルパーさんを招き入れ、


 「ステルベンかも知れないから、先生に連絡をお願いします」


 …と伝え、私たちに「病院では、こういう事が時折ときおりおきるから、(心が)折れないようにな」…とことげに言った。


 私たちは、その頃『ステルベン』と言う言葉の意味が分からなかった。


 ドクターが入室し、心電モニターを確認して

 「これ、すでに、ノイズかな…」


 と言って、ポケットからペンライトを取り出し、瞳孔反射を確認して


 「ご臨終…です。 午後3時…」と口にした。


 …ステルベンはドイツ語で『死亡』を意味していたんだ…。


 私たちは愕然とした。 人って、こんなにもあっさり死んじゃうの? それに、検査技師って、こんなにクールになれるの…?


 川崎君と私は理解が追い付かず、その場に立ち尽くし、安岡さんは、そばの机でむせび泣いた。



 私たちはその日、最後まで無言のままで、帰りも簡単な挨拶だけで、別の方向に歩きだした。 


 一人になりたかったし、このまま家に帰れない気がした。 多分3人とも同じ気分だったんだと思う。


 少し離れたハンバーガーショップで、シェイクだけ買って店内で飲んだ。 …しかし、なんの味もしない。


 …周りでは、高校生やカップルが、とても楽しそうに談笑している。 


 『目の前で、人が死んじゃったんだよ! 何でみんなバカみたいに笑っていられるの?』


 …完全に八つ当たりなのは、理屈では充分に判っているが、感情が抑えられない。 飲みかけのシェイクをゴミ箱に投げ捨て、早々に店を出た。


 …いつもの帰宅時間になっても家に帰る気がしなくて、母に電話して今日の出来事を聞いて貰い「もう少し遅くなる…」と伝えた。


 マン喫に行って、手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』を読んだ。


 …ブラック・ジャック先生が、神様に『医師の存在意義』を問いかけるシーンと、『自分が生きる為に、人を治す』…と叫ぶシーンで、涙が止まらなかった。


 …今考えると、あの日、『ブラック・ジャック』を読んで、思い切り泣いたお陰で、この仕事を続けられているのかも知れない。



 翌日から、安岡さんは来なくなり、そのまま退学してしまった…。


 …LINEを送る事も考えたが、却って苦しめてしまうと可哀想だと思い、いまだに連絡をとっていない。



 安岡さんの明るさが似合う、素敵なお仕事をしていれば、それで良い


 …と思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る