第3話 バケモノ師匠
「走れ」
その一言から今日も一日が始まる。
俺のぎこちない動きを見て、師匠が足を止めた。
全身筋肉痛だ。めちゃくちゃ痛い。筋肉痛ってこんなに痛かったっけ?
「・・・鍛錬痛か」
今は頭痛もします。早く言葉を覚えないと、この会話は頭が痛くてたまらん。
こっちの世界では筋肉痛のこと鍛錬痛って言うみたいだ。鍛錬してなくても筋肉痛になる気がするけど、そのときも鍛錬痛って言うのか? それとも別の言い方があるのか。
朝食は干し肉だった。朝から肉か、とも思ったが文句を言えるような立場でもないので、黙って平らげた。
師匠は少し考え込んだ後、ちょいちょいと俺に付いてくるように手で示した。付いてくと、薪割り場の横に椅子になるくらいの丸太を用意してくれた。座ると、コクリと頷いて薪割りを始めた。
見てろってことか。無理に訓練させるわけじゃないようだ。のんびり薪割りを眺めることにした。
師匠は特に強く力を入れてるわけでもなく、斧を叩きつけたりもしていないが、すたん、すたん、とリズム良く斧を当てながら薪を割っていく。
しばらく横から見ていて、素人目にもなんとなく分かった事がある。多分、重心の動きがすごく綺麗だから全体的に綺麗に見えるんだろう。斧を振り上げ、振り下ろす。その間に重心が左右しておらず、足腰や重心の上げ下げが揃っているんだ。
薪割りを見てたのは体感で一時間程度だ。それ以上のことは分からなかったが、手、足、腰、そして重心の連動が無駄を無くしているんじゃないかと思った。
今日の分は終わったのか、薪割りをやめて家の中に入っていった。少し待っていると大きめのカゴを持って外に戻ってくる。手持ち部分のない舟型のバスケットのような形状だ。
「野草を取りに行く」
「はい!」
カゴを渡されたのでそれを抱えて師匠の後を付いていく。俺を気遣ってくれているのか、こころなしか歩みはゆっくりだ。
森の中をじっくりと見ながら進んでいく。背の高い木が多く、雑草は少ない。木の根があったり土の凹凸は多いので歩きやすいわけじゃないが、背の高い草が生い茂っているような森に比べれば格段に歩きやすい。
時折師匠が野草を摘み、カゴの中に入れる。種類は様々で、いつか必要になる日が来るかもしれないのでそれらの特徴を観察しながら歩いていく。
しばらくそうやって進んでいたところで、師匠の足が止まった。
「~~~~」
師匠が何かを言いながら手で下がるように指示する。慌てて近くの木の陰に隠れた。
すぐに大きな足音のようなものが聞こえてくる。どどど、どどど、とその音はどんどん近づいていき、正面から何かが迫ってくるのが見えた。
イノシシだ。体長1メートルほどに見える。特筆すべきはその牙で、50センチはあろうかというものが口元から2本、先端に向かうにつれ上向きで前方に突き出ている。
一定速度で走っていたイノシシは、師匠に気付いた瞬間凄まじい勢いで加速した。
目で追うことも出来なかった。加速したと分かった瞬間、師匠も動いた。早すぎて、どう動いたかまではわからないが。
どごぉん! と、轟音と同時に土煙が舞い上がる。石が飛んできて顔を掠めた。咄嗟に顔を引っ込める。
おいおい、化け物と化け物のぶつかり合いじゃねーか。
この目でしっかり見たけど、それでも今の光景が現実だってのが信じがたい。
「どうやったらああなれるんだ?」
ゆっくりと顔を覗かせる。ある程度土煙が晴れたそこに見えたのは、師匠がイノシシの頭を剣で地面に押さえつけているという、とんでもない状況だった。何がどうなったらそうなるんだよ。
剣はイノシシの左こめかみあたりから首までに当たっていて、刀身が半分ほどめり込んでいる。イノシシはその体を横たわらせ、足をバタバタと動かしていた。
頭部と首にあれだけ剣がめり込んでいて、まだ生きているのが信じられない。とんでもない生命力をしている。
イノシシがほとんど動かなくなったのを確認してから師匠は剣を上げ、首を切って血抜きをしていた。恐る恐る近寄ると、手を拭って俺の頭に手を置いてきた。
「帰るぞ」
野草はまだカゴ半分程度だったが、イノシシの処理を優先したいようで師匠はひょいっとイノシシを担いで家の方向へ歩き始めた。
何キロあるかも分からないイノシシを簡単に抱えて苦もなく歩いている。あの尋常じゃない突進もあっさりと受け止めていたし、この人、俺が思っている以上に凄い人なのでは?
家に戻り、キッチンにカゴを置いてくるように指示されたので置いてすぐに外に戻る。
師匠は既に池から少し離れた川下で解体を始めていた。皮を剥ぎ、内蔵を取り出し、肉のブロック分け、となんとも手際が良い。いずれ旅をするなら、こういう技術も必要になるだろう。食い入るように見ていたら、見やすいようにかゆっくり、かつ刃を入れる位置などを手で示しながら作業をしてくれた。
体感で1時間も経たないくらいだろうか、さっきまで生きていたイノシシは見事に皮、肉、内蔵、頭にバラされていた。一緒に皮や肉を川で軽く洗う。
「内蔵を捨ててくる。肉を中に運んでおいてくれ」
それだけ言い残して颯爽と森の奥に消えていった。半分ほど肉を運んだところで戻ってきて、一緒に肉を運んでくれた。子供の体格に筋肉痛で、ただ運ぶだけでも結構キツイ。
頭はなにかに使うのか、薪割り場の近くに運んでいた。
「明日の日中、留守にする」
それだけ言って師匠は肉を焼き始めた。
日の高さから、そろそろ正午だ。この世界の太陽や時間がどうなっているかは知らないが、師匠が肉を焼き始めたってことは昼食時だと思って問題ないだろう。
明日留守にするのは何でだろうか。一部の肉や皮をまとめていたし、それら絡みだとは思うが。
近くに村か街があって売りに行くんだろうか。
ついていってみたいけど、無理だろうな。師匠にとっては近くても、俺にとっては遥か彼方に思えるだろうし。
「食え」
座って待っていると、分厚いステーキが目の前にどんと置かれた。500グラムくらいあんじゃねーかこれ。
イノシシは食べたことがない。ジビエは癖が強いなんて聞いた気がするが、実際はどうなんだろうか。
獲れたてだし、変な匂いや味はしないと思うが。少なくとも今漂ってくる匂いはめちゃくちゃに食欲を刺激してくる。
師匠の方を見てみると、俺の3倍はありそうなステーキにかぶりついていた。なんとも豪快だ。
再度ステーキに目を落とす。
表面はカリカリに焼けていて、フォークで少し刺すだけでプシュッと肉汁が飛んだ。ナイフを入れると一度ぐっと反発し、ぷつんと繊維が弾けたように内部に入っていく。
内部までしっかりと焼けているが、パサパサになっているなんてことはなくサラサラとした脂が流れ出てくる。
思いっきりかぶりつく。途端、脂の甘みと嫌なクセの全く無い血の風味、そして肉自体の旨味が口の中に広がった。味付けは相変わらず塩だけだが、それが肉の味を引き立てている。
正直、人生で一番美味い。
「ウッメェ・・・」
思わず口に出た。信じられないくらい美味い。この肉を食えただけでも転生した価値あったな。
切り分けることもせず、一気に全て食べ尽くした。脂が全くくどくないので、もう一枚くらい食べられそうな勢いだ。
とんでもない旨さのせいか、筋肉痛が薄れた気がする。
いや、気のせいじゃないな。ホントに痛みが薄れてる。
めちゃくちゃ旨くて治癒効果まであるのか?
最高すぎる。おかわり。
「もっと食うか?」
表情に出てたのか、俺がテレパシーを体得したのかは分からないが、そう言ってくれたのでぶんぶんと首を振った。
自分で焼いてみろと言われ、焼き加減を教えて貰いながら焼いて食べた。少し塩が強い上に焼き過ぎになってしまったが、それでも十二分に美味しかった。
その後食器を洗い、寝ろと一言言って師匠は寝室に入っていった。
肉2枚でかなり薄れたとはいえまだ筋肉痛は残っている。お言葉に甘えさせて貰うことにした。
起きたときには既に夕暮れで、外に出ると師匠が薪の整理をしていた。
特にやることも無かったので何かやることは無いかと身振りで伝えると、休んでろ、と返ってきた。今日はもう休養日のつもりなんだろう。
夕食はステーキと朝摘んだ野草だった。3枚目のステーキを食べ終えたときにはもう筋肉痛はほぼ無くなっていた。
食事を終え、食器を洗い、寝ろと言われる。多分しばらく夜はずっとこういう流れになるだろう。言われた通りに寝床につく。
明日は師匠が居ないが、もちろんトレーニングをやる。早く強くなりたいが、焦りは禁物だ。しばらくは体を作る事に専念しよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます