ショートショートのような雑多

赤岾鴫弥

首吊り

 N氏には変わった趣味があった。首吊りだ。自殺じゃあないかと思われるかもしれないが、N氏の首吊りは少し違う。天井にヒモをぶら下げて、踏み台に乗り首にヒモをかける。ここまで通常と同じだ。しかし、ここからN氏は台を蹴ることなく首に圧力を掛けてじわじわとと圧迫させるだけにとどめるのだ。

 息苦しさと首への苦痛。首を吊っている、という状況の異様さ。生と死のぎりぎりに立つコトにより引き起る恍惚感。もしかしたら足を踏み外して本当に首を吊ってしまうかもしれないこの瀬戸際。たまらなく心地よかった。

 N氏が首つりにはまったのは、小学生の時だ。継母はひどい癇癪持ちで物事の道理が自分になくても、泣くことでうやむやにしてしまう人だった。どんなに言葉を重ねようとも泣いて伝わらない。伝えようとしてくれない。抑え込んでいたものが決壊した。自分の気持ちを伝える最後の手段として首つりによる自殺を選んだ。どうせ継母は泣くだけだが、苦しんでくれればそれでよかった。この息苦しさを味わってもらいたかった。

 結果として首つりは失敗した。首を吊った際、ほとんどの人は首の骨が折れて絶命する。しかし、N氏の場合は首が折れず、じわじわと首を締め上げることとなった。息苦しさでもがくうちに、さらに首が締まる。息ができない。すると、ふっと圧迫が消え、尻もちをついた。ヒモが切れたのだ。

 喘鳴を上げながら息を吸う。苦痛が引くとともにN氏はあることに気が付いた。

 息が苦しくない。継母から抑え込まれたような胸のつかえがない。まるで久しぶりに肺に空気を入れたかのような爽快感と恍惚。

 それからN氏はこっそり首吊りをした。もちろん、見つかったら大事だ。最初は見せつける首吊りだったが、今の首吊りはそうではない。息を吸うための首つりだ。

 それから継母ともうまくいくようになった。次いで、家庭もそのほかの生活もうまくいくようになった。息苦しくなったとき、そのたびに首吊りをしていた。N氏は健やかな青年に成長することができた。とても愛しい恋人もできた。すべて順風満帆だった。


 会社で大きなミスをしたある日、N氏はへとへとになって自宅に帰った。

「こんな日にはだな」

 ヒモと踏み台を用意し、慣れた手つきで準備する。ヒモを首に掛ける。胸がドキドキする。この恐怖に似た恍惚がたまらない。今日は息苦しさが強いから、長めにしよう。やがて体重をゆっくりかけて首を圧迫した。息ができない。首が締まる。耳鳴りがする。視界も歪み、感覚がどんどん消えていく……

 今回はいつも通りにいかなかった。体が揺さぶられたのだ。

「おい、君! しっかりしろ! やめないか、こんなバカげたことは!」

 気付けば同僚が部屋に入っていた。ミスを犯した自分を励まそうと家に突撃したが、インターホンを押しても返事がない。家の灯りはついている。心配になって、大家に頼みカギを開けてもらったら趣味にふけるN氏を発見したのだ。

「やめないか、あんなミスで自殺なんか! まだ挽回できるぞ。僕も手伝うから、まだ諦めないでくれ!」

「ああ、すまない……」

 諦めるわけではなく、向き合うためのものだったが、N氏は同僚にうまく説明できる気がしなかった。

 その後、同僚の手回しで汚名返上をした。しかしある日こんなことがあった。

 久しぶりに恋人とデートした。休憩として店に入り、彼女の好きなメニューを選ばせ、たわいのない話で彼女と楽しい時間を過ごした。だが彼女の眼はどこか気遣いがちでおかしかった。

「ねえ、なにかあったのかい」

「あ、えっとね。最近あなたってどこか気を詰めてるところあるじゃない? だから心配でね。だから、もし不満があったりしたらいつでも吐き出してね。私に悪いとこでもあったかしら……」

「どういうことだい? なんでそんなことを?」

そこまで言ってN氏は気が付いた。

「誰から聞いた?」

「誤解しないで! 同僚さんはあなたの相談として言っていたの。誰かに噂を流そうとかそんなんじゃないのよ。だから……」

「いや、いい。もう。いいんだ。わかったから」

 そのまま彼女と自分の分のお金を払い、彼女と別れた。

 その後もN氏は会社の人間、自宅の大家から何かと気を使われた。巣立ったあとまったく連絡をよこさなかった両親も電話をかけてきたのだ。恋人が知らせたのだろう。同僚に限っては前々から飲みに誘われることが多かったが、その頻度がさらに増えた。自宅に突撃されることも。さらに同僚はN氏の自宅にあるヒモをいつの間にか処分していた。これでは趣味をすることができない。

 恋人も気遣いをかけてくれていたが、ついには疲弊して離れてしまった。同僚もだんだん呑んだくれてN氏に管を巻く回数も増えた。家からはで生存を確認するかのように電話の回数が増えた。小言も多かった。

 会社ではひそひそと目の端でN氏を見つつ話す人々が増えた。そしてN氏が視線をよこすとはにかみながら生ぬるい気遣いの目と会釈を寄越した。上司も優しいがどこか躊躇するような目つきだった。

 N氏はいつものように帰宅した。ヒモはない。これから同僚が飲みに誘う体で自宅に突撃するかもしれない。電話が鳴る音が聞こえる……


 N氏の首が締まった。

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ショートショートのような雑多 赤岾鴫弥 @akayama7

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