第7話

 私は、エリーゼの結婚式の衣装合わせの付き添いで、今日も侯爵邸に来ている。


「ひどいわねー。私だって覚えてるわよ。ティーノがあんなにニナのために溺愛王子様をがんばってたのに、ニナってば、すっかり忘れちゃってるし。それに、可愛いニナが目をつけられるのが心配だから学園に上がる前までに婚約しないとって、ティーノがどれだけ頑張ってたことか」

「あー」

 私は、封じられていた記憶をだいぶ思い出していた。

 思い出してみれば、エリーゼが、やけにティーノ様の肩を持つのは当然だった。


 どうやら、私の記憶は、魔術の力を借りて一部蓋をされていたらしい。それは、ティーノ様が望んだことだったが、先日、あまりの掛け違いに耐えきれず、ティーノ様が強制解除されたのだ。それ以来、少しずつだけど、色々思い出してきている。ちなみに、魔術契約については、当事者以外には話せないので、周りの人々は、この件は、単に私が忘れてたんだと思っている。理不尽だ。でも、思い出した今は、私の願いを叶えようとしてくれたティーノ様の気持ちも嬉しくて、とっくに許してしまった。


『ごめんなさい、姉さま。姉さまに、立派になった僕を見てもらいたくて始めた演技なのに、あんな誤解をされちゃうなんて思わなかったんだ。だって、結婚する時には、婚約って破棄されるんだよ。ずっとそのことだと思ってたんだ』

『ニナ姉さまの思い込みの激しさと素直さとだまされやすさを甘く見てた』

『思い出して? 僕は、昔から姉さまが大好きで大好きで。ずっとプロポーズしてたでしょ? すぐにでも結婚したいぐらいなのに』

『アデリーノ殿下のところへ通ったのは、ニナ姉さまが、二十歳までに結婚したいって言ってたから! 僕が十七歳で結婚できるように、王家から特例を出してもらおうとして働きかけてたんだ』


 王女殿下とのあれこれもそんな落ちだった……。

 一部、馬鹿にされてたような気もするけれど、まあいいわ。

 あれ以来、ティーノ様には、二人きりの時まで無理して溺愛王子様を演じなくていいよって言ってある。そうしたら、いなくなってしまったと思っていた私の天使が帰って来た。

 外では、溺愛王子様、二人っきりの時は天使。私は今、幸せをかみしめている。


「もう、あんなに人前でべたべたべたべたべたべたしておきながら、ニナったら何を言ってるのか、私にはさっぱりわからなかったわ。ふふ、でもよかったわ。おめでとう、ニナ」

 まわりのメイドさんたちもうんうん頷いている。

「お坊ちゃまは、ニナ様に小さいときからべったりでしたものね」

「うらやましいくらい愛されてますのに、婚約を誤解されてたなんて」

「……だって、うちは男爵家だし」

「まあ、本当に格差婚約だったとしても、大丈夫よ。最近は、既成事実があると、婚姻が強制執行されちゃうらしいし?」

「き、既成事実って……」

「聞いたわよ。舞踏会で、公衆の面前で、すごいことしたんですって?」

「な、そうだけど、き、きき既成事実なんてほどじゃないわ!」

 私が真っ赤になって慌ててるのに、エリーゼは楽しそうだ。

「ふふ。もう、赤ちゃんまでいるくせに何言ってるの? 夜会で、傷物になったから、修道院で産む、なんて痴話喧嘩してたって話題になってたわよ? 親友の私にぐらい早く教えてくれたっていいのに。この間は、男爵様が、お腹に赤ちゃんがって、駆け込んできてたし」

 え? え? 私は、自分のおなかに手を当てる。赤ちゃんがどうやったらできるかなんてもちろん知っている。そしてそんな覚えはない。――でも、これもひょっとして思い出していないだけ??

 さーーっと血の気が引いていく。

「お義父さまが、今日は、ニナの分もドレスの衣装を作るって大慌てだったわよ。さ、採寸しましょ。合同結婚式ね。楽しみ」

「はあ?」


 それから、私は、何とかエリーゼの元を逃げ出して、試験を控えて勉強中のティーノ様を探し出した。周りの使用人たちが、さっと去っていく。

「ティーノ様……」

「ニナ姉さま! 僕のところまで来てくれたの? 嬉しい。ちょうど、これが終わったら会いに行こうと……。あれ、怒ってる?」

「怒ってるわよ、当然です! あらぬ疑いをかけられて! 侯爵様への誤解をどうして解いてくれなかったのよ!? ……誤解ですよね?」

「あ、結婚式のこと聞いたんだ。ちょうど王家からの特例許可も下りたんだよ。アデリーノ殿下がね、僕たち二人のキスシーンを見て、いたく感動したらしくって。だから、ちょうどいいかなって」

「うわああ、何それ、何それなんでそんなことになってるの? 特例許可の理由がそれってないでしょう!?」

 王家からの結婚の特例許可は、結構簡単に降りる。それも、馬鹿みたいな理由で。そして、その馬鹿みたいな理由は、恒例のように、結婚式で披露されてしまうのだ。

 もう、晒し者決定だ。

 私は、もう小さくなって肩を震わせながら、顔を伏せた。

「け、結婚はいいんですけど。さすがに、令嬢として、結婚前の既成事実とか赤ちゃんとかは、言われちゃうのは、な、なないと思うんだけど!」

 いつの間にか、ティーノ様が、私の座っているソファの横に跪いていた。下を向いていた私の頬に手をあてて、私の髪をかき上げた。

 ティーノ様の熱のこもった目が、こちらをのぞき込んだ。


「誤解? ほんとに誤解だと思うの? 実は、まだ思い出してないだけだと思わないの?」


 まさか。


 思わずおなかに当てた私の手を、ティーノ様が上からそっと握り締める。


「僕たちがそういう関係だって、忘れちゃったの? ここに僕たちの赤ちゃんが」


「――将来、できるといいね」


「な、なな何よ! だましたわね」

「だって、また変な誤解してニナ姉さまが逃げ出そうとしたら大変じゃないか。この際、何でも利用してしまおうかと思って。大丈夫、おじ様にも父様にも、あとでちゃんと誤解をとくから」

「絶対よ!」

 なんか私の天使が腹黒くなってるような気がする。


「ねえ、ニナ姉さま。僕、ちゃんとプロポーズしてないんだ、今からしていい?」

「う、うん」

 色々思い出した身としては、小さい頃から何十回とされたような気がするんだけど。ちょっと嬉しくなって頷いてしまった。

「ニナ。小さなころからずっと好きだったよ」

 それは、いつものくすぐったくなるようなニナ姉さまって呼び方じゃなくて、とてもどきどきする。

「僕の手を引いて、どこにでも連れて行ってくれて、僕の我儘を真剣に聞いてくれて、一生懸命叶えようとしてくれて、とても嬉しかった。今度は、僕がニナの願いを何でも叶えてあげたいんだ。一生側にいて僕がニナの願いを叶え続けるから、僕と結婚して」

「うん」

 涙が出るくらい幸せだ。

「でも、ダメなときは、ちゃんと言ってね」

 そういうこと言うから、何でも叶えたくなるんだよ、と言いながら、ティーノ様は、跪いたまま、私の髪を両手でかきあげた。

「キスしていい?」

「うん」

 ティーノ様は、ほんとに小さい天使の時から、キスが好きだったわ。

 私のお膝に乗って、私の顔を見上げて、小さな手で今みたいに、私の髪をわちゃわちゃしながら、ちょんとついばむようなキスをするの。

 思い出に浸っていると、いつのまにか、彼の向こうに天井が見えていた。

 あれ?

 そして、かみつくような、体の奥が熱くなるようなキスをされたのだった。


 ――私が、この天使が、天使のくせに、とんでもなく手が早いということを知ることになるのは、もう間もなく。

 誤解じゃなくなってもいいよね? そんな天使じゃなくて悪魔のささやきが聞こえたような気がした。








 もちろん、そんなことになる前に蹴り飛ばしたけどね!



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本作は、格差婚約シリーズの話です。

よろしければそちらもご覧くださいませ。

同じ世界観のお話が2作あります。3万文字程度の話なのでお気軽にどうぞ。



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溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~ 瀬里 @seri_665

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