第6話
「お父様! 私達、とうとう決めましたわ!」
次の日の朝、私は朝一番にお父様の書斎に駆け込んだ。が、そこにいる人物を見て、動きを止める。
ティーノ様がいる。
私は怒っているのだと自分に言い聞かせると、彼を見て、精一杯冷たく言い放つ。
「ああ、婚約破棄の手続き書類をお持ちになったのね。なかなか行動が迅速でいいわね。私に、あんな辱めを受けさせて傷物にしたんだから、それ相応の保証をお持ちくださったんでしょうね」
お父様が、途端に目を剥いて、ティーノ様を見る。
「おい、言ってることが違うじゃないか! ニナ、傷物って……」
ティーノ様は、お父様の前から一歩を踏み出す。
「ニナ、もう、婚約は終わりにしたい」
ほう、とうとう言ったわね。お父様の前で、初めて言ったわね!
「いや、ちょっと、傷物って……」
「いいでしょう。条件をお見せくださいな。私、どうせなら待遇のいい
「まさか、まさか、もう……」
「わかった。手続きをしよう、ニナ」
いや、そこでなんで手を握るかな。
もう、
それになんで嬉しそうなのよ! 失礼ね! ちょっとは申し訳ないとか、残念そうな顔しなさいよ!
私は、イラついてティーノ様の手を振り払った。
ティーノ様は私に手を振り払われてショックを受けたようにこっちを見る。
泣きたいのはこっちよ。
「いや、お前達、明らかに通じてないから! それより、傷物ってどういうことだ? まさかお腹にもう」
お父様がうるさい。
ティーノ様は、私とお父様の様子を見て、何かをいいかけて、口をつぐむ。
その様子にまた、もやっとしたものがこみ上げてくる。
はー、と私は、大きなため息を吐いた。
仕方ない、最後だ。
この男は、人目のある所では、本心を語らない。
私は、ティーノ様の手を引くと、お父様を放置して書斎を出る。床を踏み鳴らして廊下を抜け、ティーノ様を自分の部屋へ引き入れて、後ろ手に扉をしめた。
「な、なななんでこんなとこに連れてくる!?」
「こんなとこって失礼ね! 私の部屋よ。そりゃ侯爵邸みたいに広くないかもしれないけど、私が毎日寝起きしてるベッドに着替えしてる部屋よ!」
ティーノ様はなんだか挙動不審だ。
「さあ、誰もみてないわよ。もう最後だし、思う存分、本音をどうぞ?」
私は腕組みしてソファに腰かける。
彼は、いつもの傍若無人ぶりが嘘のように小さくなっている。
まあ、私の態度もいつもと違ってひどいものだものね。
「俺は、お前が……」
もにょもにょいって聞こえない。
「……」
私は、それを見ると、小さい子をいじめているような気分になってきた。まあ、最近すっかり忘れていたが、彼は三つも年下なのだ。私は、少し気を取り直して諭すように話しかけた。
「わたしから先に、本音を言うわね。この間も言ったと思うけど、もうやめたいの。私たちの婚約は、まあ、あなたは小さかったからわからなかっただろうけれど、色々おかしかったわ。人前でだけの溺愛もキスも、子供のすることだからと思って付き合ってたけど、あそこまでする必要なかったと思うわ。婚約破棄前提の格差婚約だってばれるのが嫌だったのかもしれないけど、練習なら、もう十分じゃないかしら? あたなたはもう十分立派になったわ。あなたに溺愛されているように振舞われると私だってうっとりしてしまうし、キスだってとても……ええ、上手だと思うわ」
ほんとかっと嬉しそうにいらぬ突っ込みをいれる彼を無視して、私は話を続ける。そこは重要ポイントではない。
「あなたには王女様との話も出てきてるし、この辺が潮時なんじゃないかしら? 私にもよい頃あいだと思うの。さっきは当てつけのように修道院と叫んでしまったけれど、あと数年はがんばってみることにするわ」
傷物だからもらってくれる人がいるかわからないけど、というのは今度は飲み込んだ。別に、今さらどうにもならないことで彼をなじるつもりはないのだ。慰謝料はしっかりもらうつもりですけどね。
私がここまで折れれば、彼も話しやすいだろう。
しかし、ティーノ様は、それでも、
「もうちょっと、待ってほしい。もうすぐなんだ」
と、煮え切らない返事だ。
「じゃあ、書類だけは、書いてください。貴族院への提出は後でもいいわ。ただ、もう会いたくないわ」
「いやだ!」
ああ、これだけ言っても、伝わらないんだ。
だって。
だって、私は、もう、耐えられないのに。これ以上はもう、私が限界なのだ。
「もうやめてよ。会うのは嫌なの。会うと勘違いしちゃうじゃないの」
絶対言わないと決めていた本音が震える唇からポロリとこぼれてしまった。
こうなると、もう止まらない。
「私が立ち直れなくなる前に、もうやめたいのよ! このあと、あなたの婚約者の立場のまま、王女様と仲良くなっていくあなたを横でずっと見つめていくの? 溺愛される婚約者の振りを続けながら、あなたが飽きる日をずっと待ち続けるの? ねえ、幼馴染に多少の友情が残ってるなら、この辺りで私を自由にしてほしいわ。――私達、もう、大人になりましょう?」
途中から、涙がこぼれてしまった。
でも、最後まで言うことができた。
ティーノ様は、唐紅の瞳に耐えられないというような苦し気な光をのせて、私の方を見る。ポケットからハンカチを出して私の涙をぬぐおうとしたが、私はその手を振り払った。
ティーノ様は、ぐっと唇をかみしめると、下を向き、小さく何かをつぶやいた。
「……もう、むり」
「え?」
「ニナ姉さまの望みをかなえようって頑張ったけど、僕には、もう無理だよ」
いきなり昔の呼び方で話しかけられて、私はびっくりした。ニナ姉さま、という呼び方は、昔の天使だったティーノが、私を呼ぶときの呼び方だった。
「ニナ姉さまが望んだんだよ? ニナ姉さまが、婚約者は、自分を溺愛してくれる、大人っぽい王子様みたいな人がいいって言うから」
え?
「人目が気になって難しいって言ったら、ニナ姉さまが、人目が気になるなら、演技すればいいっていうから! だから、ニナ姉さまの好きな、溺愛王子様を頑張って演じてたのに」
は?
「僕だって、ニナ姉さまのと二人きりの時にも、ニナ姉さまの好きな溺愛王子様をやりたかったよ。でも、二人きりだと緊張するし、うまく演技できなくて昔の僕に戻っちゃいそうになっちゃうし。だから、いつも二人きりの時は、あんまりしゃべれなくて。そのせいで、ニナ姉さまは、僕の事、変な誤解して婚約破棄とか言い出すし。だから、もう無理だよ!!」
誤解?
「ニナ姉さま。嫌わないで。お願い、僕を、捨てないで!」
ええと?
誰だ、これは?
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