第5話
ティーノ様とのキスは、実は、初めてじゃない。
どころか、ティーノ様は、キス魔なのだ。
昔から――婚約する前の本当に小さい頃から、私たちはおままごとのようなキスを繰り返してきた。
私は、彼がキスしてくるのを拒まなかった。
だって、年下の男の子だもの、子供のじゃれ合いみたいなものを邪魔しちゃ可哀そうでしょ。
でも、彼のキスは、だんだん可愛らしいついばむようなキスから、足腰が立たなくなるようなキスに変わっていった。
今日も、そんなキスをする。
腰が砕けそうな私の体を支えて、誰にも聞こえない声で、小さく囁く。
「ニナ。なぜ会ってくれないの? 僕を嫌いになってしまったの?」
そして、いつも、キスの合間に蕩けるような甘い囁きを残して私の奥底を揺さぶるのだ。
さらに言うと、ティーノ様は、人前で見せつけるようにキスをするのが好きだ。自分はもう大人なんだと示したかったのかもしれない。子供のちょっとしたおねだりとして、私も受け入れてしまっていた。
ただ、今までは、人前と言っても、侯爵邸の中の本当に親しい人達の前だけだったり、知り合いが全くいないお忍びの街中などでだけだった。――まあ、エリーゼや侯爵邸の使用人たちにはしょっちゅう見られてただろうし、街中では街娘と商家の息子として色々な人に見られてたと思うけど、それが貴族社会に漏れることはなかった。
それなのに今日は!
王女様は、顔を真っ赤にしてこっちを見てるし、取り巻きの子たちはキャーキャー叫んでるのがぼんやりと聞こえてくる。
私は、くらくらしながら、止めなければならないのに、ティーノ様の服の端をつかむばかりで押し返すことすらできなかった。
彼は、ふらつく私の手をとり、腰を支えて、その場を辞すと廊下をずんずん歩き、空き部屋に私を押し込んだ。
「お前! どういうつもりだ」
ぼうっとする私に冷ややかな怒りをぶつけてくる様は、いつも通り、二人きりになった時の彼だった。
ええ、分かってたわ。
私はすぐに夢から現実に引き戻された。
間違えてはいけない。これが現実だ。
私の今までの覚悟と努力が台無しにされたのが思い出されて、私もだんだん腹が立ってきた。いつもなら受け流すのに、なんだか余裕がない。
「何よ、誰も悪者にならないように、うまく婚約破棄できるところだったのに、そっちこそなんで邪魔するのよ! どうせ婚約破棄するんなら、あれに乗ってくれればよかったのに」
「俺が決めると言っただろう」
「はいはい。いつでもいいと思って、私がほっといたのもいけなかったけど、もう、いい加減付き合ってられないわ。もうおしまいだと思うし、この際だから、言わせてもらいます! いくら格差婚約だからって、ひどいと思うのよ。せめて私が行き遅れになる前に婚約破棄するとか、気を使ってほしいのよね。うちは、侯爵家に借金があるわけでも、借りがあるわけでもないんだし! 人道にもとる行為だわ」
「何を言ってるかわからん」
「はあ、馬鹿なの? 行き遅れになった頃に婚約破棄だって、口癖みたいに繰り返してたのはそっちでしょ! せっかく行き遅れ前に婚約破棄できそうだったのに! あの流れなら、誰か私を哀れに思って拾ってくれたかもしれないのに! あんなに知り合いがたくさんいるところで、ああああんなキスしたら、私もう、お嫁に行けないじゃないー!」
「おい」
「私はもう、傷物よ」
口に出して言ってしまうと、だんだん心が逆立ってやさぐれてしまう。
「ちょっとまて」
「もうやだ、修道院に行くしかないわ。あ、侯爵家で寄付金払ってよね。慰謝料でそれぐらいはくれるでしょ」
「いや」
「請求するから! じゃあね!」
私は怒りに任せた振りをして部屋を飛び出した。
マリーノ子爵様が運良く近くにいらして、送ってくれることになったので、本当に良かった。
これ以上あそこにいると、怒りよりも、もっと違う感情で、ティーノ様の前で泣いてしまいそうだった。
余計なことを考えちゃだめだ。
私は、今は、怒ればいいの。
そう、そう、人前であれはない。ほんとにない。
しばらく、いや、もう一生人前に出れないかもしれない。
男の子は、キスが好きなんでしょ。
やりたい盛りだしね。
年上の婚約者は、練習するのには最適だものね。
あんたのキスはすごいわよ! きっと王女様も喜んでくださるわよ!
でももう、付き合ってらんない。
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